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僕も長く旅をしてきたから、色々と危険な場所も見て来てる。
例えば北の火山地帯。
岩に擬態したり、マグマの中を泳ぐ魔物がいる、危険な場所だ。
黄古帝国の黒雪州。
岩を纏い、肉にまで砂利の混じった魔物が闊歩し、水に乏しく、緑は見えず、舞う火山灰が生き物を苦しめていた。
他にも大陸の中央部と東部を隔てる、大湿地帯。
人間からは人喰いの大沼とも呼ばれた危険地帯である。
水も緑も豊かだが、それに育まれた大小の魔物が、多数生息する危険な場所だ。
しかしそれらと同等の、いや、或いはそれを上回る危険な場所として知られるのが、プルハ大樹海だった。
まず豊かな環境に育まれた魔物の数や多様さは、人喰いの大沼に勝るとも劣らない。
更に深入りすれば容易く迷う木々の濃さ。
魔物が多数生息する森で迷えば、その後の運命は語るまでもないだろう。
自然環境は豊かであるから、森の中でも食糧は見付け易い。
だが多種多様な植物の中には、毒を帯びた物も決して少なくはないのだ。
知識不足で、または似通った外見に騙されて、毒を摂取してしまえば、やはり森の中で息絶える。
つまりプルハ大樹海は、魔物の数も環境の厳しさも、正に危険地帯と呼ぶに相応しい場所だった。
まぁヴィストコートの近くに関しては、外周部であるから魔物の大きさや強さも控え目で、冒険者が出入りしているから、比較的だが切り開かれているけれども。
討伐した魔物の素材や、プルハ大樹海でしか採れぬ自然の恵みを目当てに、冒険者が集まっているのがヴィストコートという町だ。
とはいえヴィストコートの冒険者も、毎年多くの者がプルハ大樹海に入ったままに、帰らぬ人となっている。
魔物に食われて、うっかり遠くに踏み込んで、毒を帯びた葉で肌が傷付き、……理由は様々だが、プルハ大樹海は人を飲み込む。
但しそうしたプルハ大樹海の厳しさも、ハイエルフである僕には牙を剥かない。
そうでなければ、あの日、深い森から出て外を目指した僕は、……魔物の腹にでも収まる事になっていた。
あぁ、あの日の僕は、今にして思えば運も良かったと思う。
今の僕に比べれば身体も鍛えてなかったし、危険に対する感覚だって鈍かった。
結界を抜けた途端に出くわした魔物が、仮にグランウルフでなく、樹上に逃れた程度では逃れられない大型だったら、もしかすると、もしかする。
魔物の接近は、木々や精霊が報せてくれるけれども、あの遭遇は本当に不意だったから。
そんな事を思い出しながら、僕は木々の合間に姿を隠す。
すると木々は、葉で僕を覆い隠してくれる。
隠れた僕に気付かずに、ズルズルと地を這うは、牛でも軽々と丸呑みにしそうな、大きな大きな巨大蛇。
蛇は種類によっては、鼻の付近にある器官で熱を探知するというけれど、木々の葉は、僕の熱をも漏らさずに遮断してくれていた。
僕は巨大蛇が遠ざかるのを、息を殺してゆっくりと待つ。
緊張はしない。
このプルハ大樹海以外なら、見付かる前に自分から狩りに行くべき相手だが、これだけ木々が濃い場所では火が使い難いから、狩ったところで食材とし辛い。
でもその木々が、今は僕を隠してくれる。
こうして森の中に潜んでいれば、魔物が僕を見付けられる筈がないって自信があるから。
当たり前のように、僕は巨大蛇をやり過ごす。
命のやり取りをせずに済むのは、お互いにとって幸運であろう。
蛇肉は意外と美味しかったりするのだけれど……、この環境で無理に狩ろうとは、うん、まぁそんなに思わなかった。
巨大蛇の姿が視界から消え、気配も完全に遠ざかってから、僕は再び森の中を移動する。
プルハ大樹海は、やはり魔物の数が多い。
森の奥に進めば進むほど、辺りに満ちる力は濃くなっていく。
以前の自分は、この環境を当たり前として暮らしていたのかと思うと、少し笑えてしまう。
もちろん結界の中には魔物が入って来れないからこそ、安心して暮らせていたのだけれど。
外に出て世界を巡り、色々と知ったからこそ、今はこの場所の深さと大きさが理解できた。
これだけの環境が存在するには、その源となる何かが必要だって事も。
僕はその源こそが不死なる鳥なんじゃないかと睨んでる訳だが、……当たってるといいなぁと、本当にそう思う。
ここで不死なる鳥が見付からなければ、それこそもう一度、今度はアイレナを連れて東へ行き、扶桑樹の上から探索を始めなければならない。
あぁ、扶桑樹でなくとも、雲に届く場所からなら、高い高い山でも構わない。
試した事はないけれど、水の上を歩くのと同じ要領で、雲を作る水と風の精霊に助力を頼めば、その上を歩いたり、できるだろうか?
雲に乗り、風を繰って移動させれば、巨人の住む雲を見付けられる可能性は、十分にある筈。
但しそうして巨人の国に乗り込んだ場合、歓迎されるかどうかが少しばかり不安だった。
同じ古き者、古の種族の誼で迎えてくれるかもしれないが、どうせなら神話の通りに、不死なる鳥に橋渡しをして貰った方が、恐らく印象はいいだろう。
特に僕だけじゃなく、アイレナを連れて行くとなると、あまり無謀な真似はしたくない。
僕はプルハ大樹海を歩き続けて、あと数日で深い森に辿り着くであろうといった位置で、先触れの風を送る。
深い森の外周付近にはエルフが住み、中央部にはハイエルフが住む。
今回の先触れは中央部のハイエルフにも直接届けたいから、些か強めに。
……なんというか、疎遠になった実家のドアを叩く感覚とでも言えばいいのだろうか、何やら無性に気まずいけれども、仕方ないったら仕方ない。
さて、一体どんな反応が返ってくるだろう?
外周付近のエルフは、歓迎して出迎えてくれる筈だ。
ただハイエルフに関しては、勝手に出て行った僕に対しての態度が、どうにもわからない。
怒るだろうか。
無関心だろうか。
凄く想像しにくいけれど、歓迎してくれたりはしないだろうか。
そうされたらそうされたで、余計に気まずい気もするけれど。
あぁ、何といっても自分が生まれた場所だ。
あれやこれやと想像をしてしまうから。
まぁ、うん、何が待っていたとしても、取り敢えずその答えを確認しに行くとしよう。