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 朝霧が立ち込める中、僕は呼吸を整え、剣を振るう。

 霧を切り裂くのではなく、その霧を成す小さな小さな水の粒を、切るように。

 当たり前の話だけれど、これが中々に難しい。

 少なくとも今の僕には、まだ届かない領域だ。


 でもきっと、カエハならできた。

 僕と違ってハイエルフの感覚を持たなかった彼女だけれど、それでも霧を構成する水の粒を見極めて、切れただろう。

 だったら僕も、何時かはその領域に辿り着かなきゃいけない。


 カエハの死から、十数年。

 一歩か二歩は、あの背中に近付けたように思う。

 だけど十数年掛けても、一歩か二歩だ。

 なんて遠い背中だろうか。


 先日、ノンナの墓に参ったからか、どうにも少し感傷的だ。

 次はルードリア王国のカエハの墓まで、さっさと走って行きたい気持ちが、少しだけ湧いていた。

 別に急ぐ必要はないと、そう思っている筈なのに。


 雑念を払うように、剣に集中する。

 一つずつ丁寧に、まだ遠い理想に近付こうと、剣を振るう。

 目指す先の遠さは苦しみであり、喜びでもあった。

 そしてそれとは全く別に、こうして剣を振るう事は、純粋に楽しい。


 ふと、人がやって来る気配を感じて、僕は剣を振り終わった姿勢で、動きを止めた。

 ここは宿の屋上で、見知らぬ者はやってこない。

 以前の宿にはそんな広い屋上はなかったのだけれど、大きく改築された結果、増える洗濯物を干す為の、大きな屋上が設けられたのだ。

 まぁこんな早朝に干されてる洗濯物は一つもないから、僕がこうして鍛錬に借りる事もできるのだけれど。


 動きを止めたまま、ちらりとそちらに視線をやれば、アイナがこちらを覗き見てる。

 ……また随分と、今日は早起きだ。

 怖い夢でも見たのだろうか?


 話を聞こうかとも思ったが、ここで声を掛ければ、彼女は僕の邪魔をしてしまったと思うかもしれない。

 だったらもう少しばかり鍛錬を続けてから、その後で話し掛けた方が良いだろう。


 僕はそう考えて、再び剣の鍛錬を再開する。

 呼吸を整え、丁寧に振るう。

 それから構えを取らずに、最小限の動きで後ろに振り向き、サッと剣を振るう。

 右にも左にも、四方八方に。


 丁寧に振った斬撃が鋭いのは当たり前で、その更に先を目指して振るう。

 静かで凄絶で、全てを断つと確信したカエハの剣を、目指して振るう。

 四方八方に振るう剣が、丁寧に振った時の鋭さを、大きく下回ってはいけない。

 構えを取らずとも、心の準備ができずとも、右でも左でも後ろでも、鋭く振るえるのが、カエハの剣だった。

 

 汗か、それとも霧の水気か。

 僕の身体を、水滴が流れ落ちる。


 観客は、僕の剣に何を思うのだろう。

 何かを思わせる力が、僕の振るう剣にはあるだろうか。

 もしもアイナが、夢見が悪くて起きてきたのだとしたら、そんな悪い夢は切れてしまえと、僕は剣を大きく振るった。



 鍛錬を一通り終えた僕に、こちらから声を掛けるまでもなくアイナは近づいて来て、

「エイサーさん! びゅんって! 凄い!」

 目を輝かせて僕にそう訴える。

 どうやら僕の剣の鍛錬が、彼女はお気に召した様子。


 足りない語彙で、けれども物凄く純粋に褒めてくれるから、多少面映ゆいけれど、決して悪い気はしない。

 けれどもその後に続く一言が、少しばかり僕を困らせてくれた。


「それ、アイナにもできる?」

 きっとアイナは単純に憧れから、僕を真似たいと思ってくれたのだろう。

 そしてできるかできないかで言えば、できるのだ。

 何しろヨソギ流は、偉大な女剣士が振るった剣である。

 カエハや、ユズリハ・ヨソギが振るった剣なのだから、性差はハンデにはなったとしても、越えられない壁じゃない。

 また僕は、ツェレンという名の少女にも、ヨソギ流の剣を教えた事があった。

 できないなんて言葉は、嘘になる。


 ……しかし、できると答えてしまうのも、僕には少し躊躇われた。

 何故なら、アイナはこの宿に生きる少女だから。

 その生き方に、果たして剣は必要だろうか?

 恐らくそれは否である。

 むしろ剣を握り、僅かばかりの武力や自信を持つ事で、命を縮める場合だってある筈だ。


 例えばこの町がズィーデンに攻められ、占領されたとして、武器を握って抵抗した為に殺されるって未来は、絶対にないとは言い切れない。

 もちろん無抵抗なら助かるのかといえば、それはどうか、わからない。

 けれども本気で学び、その道に生きようとするのでなければ、アイナは剣を握るべきじゃないだろう。

 憧れからカエハの剣を追い掛けた僕が、アイナの憧れを否定したくなんて、ないけれども。


「どうかなぁ? でも物を振り回すと危ないから、お母さんに怒られるかもね」

 だから僕は、そう言って誤魔化す。

 僕にアイナの生きる道を決める資格はない。

 もし仮に、彼女の母、シェーネが構わないと言うのなら、基本の練習方法くらいは教えても構わないと思ってる。

 だけどそれ以上は、僕だってそこまで長くはこの町に留まり続けないだろうから、不可能だ。


 アイナは残念そうに唇を尖らせ、でも一応は納得したように、頷いてくれた。

 僕は彼女の頭をくしゃりと撫でて、共に屋上を後にする。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 実際エイサーが美化してるだけなのかもしれませんけど、 真に人生を賭けて研鑽した技は短命な人間のものであっても長く生きる彼らのそれを凌駕する というのがすごくかっこいいと思いました。 前回時…
[一言] >でもきっと、カエハならできた。 実はカエハは出来なかったけれどエイサーの記憶の中のカエハの存在が大きくなってしまっていて、エイサーはカエハの剣を追い越した後も永遠に追い続ける、なんて妄想…
[一言] 色々物騒なことになってる中央部の時世からしたら戦う術を持つのは悪い事ではない けどそれが元で死んでしまうかもしてなれないっていうのが難しいとこですねぇ
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