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 僕がゴン爺の家に滞在し始めてから、もう一年は経つ。

 この国の鍛冶の技法は、完全に物にしたとは言い難いけれど、後は自らの研鑽でどうにかなるだろう目処は立った。

 元より鍛治師としての経験は長いのだから、それなりに応用は利く。

 弟子入りをして学んでいるならともかく、客人扱いをされている以上、自分でどうにかできる事は、自分でなんとかするべきだ。


 ミズヨの話も、多く聞けた。

 幾ら彼女が博識だといっても、無限に知識が湧き出す訳でもない。

 最近では、月を見ながらの雑談に興じる事の方が、多かった。


 それに何より、ゴン爺とミズヨの時間を、これ以上は奪いたくないから。

 彼と彼女の記憶に、エイサーって名前の余所者の記憶は、もう十分に刻めただろうし。


 ……見届けたい気持ちは、実は少しだけある。

 恐らくミズヨがこの家に留まる理由は、ゴン爺を看取る為だろう。

 あぁ、少し違うか。

 より正しくは、その瞬間までの時間を少しでも近くで過ごして、共有して、自らの心に刻む為。

 僕がカエハに対してそうしたように。


 そんなの邪魔できる筈がない。

 共感するからこそ、見届けたく思うが、それが野暮であり過ぎる事くらい、僕にだってわかる。


 ただゴン爺がどう考えているのか、僕には分からなかった。

 どうして僕を道場に連れて来て、ミズヨを紹介してくれたのか。

 わざわざ道場に泊めてくれた理由も。


 今の道場の主は、ゴン爺の血を引く子ではなく、弟子の中で一番出来が良かった者らしい。

 そもそもゴン爺に子はいないそうだ。


 だからこれ以上、僕が道場に留まり続けるのは、彼らを親しく思うからこそ、やめよう。

 二人に時間がもっと、十年や二十年あるのなら、その中に僕が数年混じったって、むしろ良い刺激になるかもしれないけれど、……老いた人間の終わりはあっという間に訪れるから。

 僕はゴン爺ではなく、ミズヨの気持ちにこそ共感する。

 この先も思い出を抱えて長く生きるだろう彼女に。


 故に、そろそろ旅立ちの時である。



「なんでぇ、もう行くのか。もっとのんびりしてけば良いのによ」

 旅立つ僕に、ゴン爺はそんな事を言う。

 実に困った爺さんだ。

 僕が言えた義理じゃないけれど、もっと素直になれば良いのに。

 でもゴン爺とミズヨの関係なのだから、余計な差し出口は不要である。

 後どの程度の時間があるのかは知らないけれど、彼らなりにその時間を大切に過ごせばいい。


「もう十分にゆっくりしたよ。このままだと居心地が良すぎて、本当に根が生えちゃうからね。その前に扶桑樹を見に行かないと。ゴン爺、ミズヨ、世話になった。ありがとう」

 僕は自分の足を叩きながら、そう言って笑って見せる。

 ミズヨとは兎も角、ゴン爺とは恐らくこれが永遠の別れだ。

 口には出さないけれど、互いにそれは分かってた。

 偶然にも道が交わり知己を得たが、元より彼と僕とでは、生きる場所も時間も大きく異なるから。


 もっと早く出会ってたら、僕は気の合う友人と多くの時間を過ごせただろうに。

 いやでもその場合は、カエハと過ごした、僕にとって最も大事な時間が減ってしまうから、……そんな仮定はあり得ないか。


「私達は渦を避ける事もできるし、渦に守られて暮らす事もできる。貴方はただ、あるがままに貴方であればいいわ。エイサーが良い人だって、もう私達は知ってるから」

 要するにミズヨは、僕が思うように道を選べと、エールを贈ってくれているのだ。

 僕がこの地にどんな影響を齎しても、それに応じて生きて行けるからと。


 ゴン爺は何を大袈裟なって顔をしてるけれど、ミズヨの気遣いは嬉しかった。

 だけど僕も、ミズヨは少しばかり大袈裟だと思う。

 少なくとも今の僕にはもう、この島を南北で真っ二つにして引き離そう、なんて心算はない。

 そもそも今の状況でバランスが取れているなら、余計な手出しは不要だとすら思い始めてる。


 もちろん今後そのバランスが保たれ続けるという保証は、どこにもないのだけれども。

 タカトという名の英雄が現れて人側が持ち直したように、鬼にもまた英雄が現れたなら、今のバランスが容易く崩れ去る可能性はあった。

 しかしそこまでの事を僕が考えるべきかといえば、多分答えは否なのだ。

 鬼が手強い相手だったとしても、人間も、翼人も、人魚も、彼らは決して弱くない。

 一時的にバランスが崩れて苦境に陥ったとしても、この扶桑の国の人達ならば、何とかする力はあると思えた。


「ミズヨ、これまでのお礼に、これを渡しておくよ。使い道は、君が考えて」

 最後に僕はそう言って、ミズヨに黄古帝国から持ってきた、仙桃を一つ手渡す。

 彼女なら、その意味は分かるだろう。

 上手く使えば、ゴン爺とミズヨが過ごす残りの時間を、ほんの少しでも良い物にしてくれる筈。


 願わくば彼と彼女の迎える結末が、お互いにとって満足の行くものでありますように。

 何時か再びミズヨと再会する事があったなら、今度はその話を聞かせて貰おう。



 央都を抜けてそのまま道を真っ直ぐ北に。

 前線に赴くこの街道の名は、(つわもの)の道。

 この道は、北へ向かう者の数の方が、南へと戻る者の数よりもずっと多い、そんな道だ。


 でもその道を行く者の多くは、顔に悲壮感を浮かべず、また周囲もこの道を行く者を哀れまない。

 それはこの、扶桑の国の人達の強さだった。

 その生き方を幸か不幸か決めるのは彼らで、少なくとも扶桑の国の人々は、それを不幸と思わぬようにして、生きている。

 彼らなりの、理で。


 僕はそんな道を、一人で歩く。

 目立たぬように、時には大きく道を外れて。

 同じ道を行く者達には、交じらない。


 そう、僕はこの先にある町、鎮守に入る心算はなかった。

 あの町に入るのは、扶桑の国を守る兵を志す者、或いは傭兵で、僕はそれに当て嵌まらないから。

 軍に組み込まれ、管理される気は毛頭なかった。

 僕はあくまで、その先に見える扶桑樹を目指すだけ。



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― 新着の感想 ―
[一言] おおー、とうとう最前線近くまで行くんだ
[一言] 死別ENDはやっぱり寂しいですね・・・ だからこそ印象に残るのですけど。有終の美ですね。 昔読んだ作品で永遠の時を生きる恋人と同じ時間を生きるために人間やめたキャラがいたのですが仙人や魔族…
[気になる点] ミズヨがゴン爺の子を身篭ったりして
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