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道中の村に立ち寄り宿を求めながらも、一泊以上の長居はせずに、街道を歩き続けて二週間。
僕は扶桑の国の首都である、央都の近くまで辿り着いていた。
そういえば鬼も自分達の住む北側を、扶桑の国と呼ぶからややこしいけれど、僕が辿り着いたのは人の勢力圏である扶桑の国の首都だ。
ここから前線である鎮守までは、徒歩でまだ一週間以上の距離があるのだけれど、見晴らしの良い場所に立てば、もう遠目に薄っすらとだが、天に向かって伸びる巨樹、扶桑樹の姿が見えた。
「山……かな?」
遠目にも、いや遠目だからこそより分かる異様な大きさに、僕は思わず首を傾げる。
大きな山は雲にも届くが、同じように扶桑樹の先端も雲を軽々と貫いていた。
とてもじゃないが、植物が成しえる規模じゃないだろう。
真なる巨人が植えたとされるのも、納得の大きさだ。
高さはもちろんの事、それだけの高さを支える太さも、尋常な物ではない。
聞くところによると、扶桑樹の中腹辺りからは水が溢れ出て、根元の付近は大きな湖になってるという。
その湖から北にも南にも、この島中を水が流れる。
扶桑樹は単なる大きなシンボル的存在ではなく、扶桑の国を潤す命の要になっていた。
もしかしてあの巨樹は雲から、上空の大気から水を取り込み、扶桑の国へと流す為に、存在しているのだろうか。
霊木や仙樹に近い種である事は間違いなさそうだが、ちょっと面白い。
疑問は色々と湧いてくるけれど、……直接問うてみればいいか。
どれだけ巨大であっても、扶桑樹もまた植物である事に変わりはないし、だったら僕の問いには答えてくれる筈。
扶桑樹がずっとこの島国を見守り続けてきたのなら、真なる巨人の意図だって知ってる可能性は、なくもないから。
だけどそれは、もう暫くは我慢だ。
あんな物を見せられたら、真っ直ぐそちらに向かいたくなるけれど、先ずは央都へと入る。
僕はこの扶桑の国の中央でも、見て回りたい物が沢山あった。
見上げれば、空を舞う幾つかの翼が生えた人の影。
そう、翼人だ。
修験者のような衣服を身に纏って空を行く彼らは、まるで天狗を彷彿とさせる。
東の天岳という町に住む翼人は勇猛な種族で、鬼を中央部で食い止められているのは、彼らの力によるところが非常に大きい。
特に空で隊列を成した翼人が行う、急降下からの短槍の投擲戦術は強力無比で、鬼の軍勢を幾度となく退けたそうだ。
また鎮守と央都をいち早く行き来ができる彼らの存在があればこそ、前線の状況を知った後方が、適切な支援を行える。
もしも翼人の存在がなければ、戦いはもうとっくに人側の敗北で終わっていただろう。
僕は大陸の東半分を踏破し、幾つかの種族に出会って来たけれど、この扶桑の国に住まう人間以外の種族は、鬼はさておいても非常に特徴的だ。
海を住処とする人魚に、地に住みはしても空を飛べる翼人。
そもそも活動範囲が全く異なる種族同士が、互いの領分を侵さずに尊重し合い、されど互いを同胞と認めて、一つの勢力として活動してるというのは、実に面白い。
もちろんそれは、鬼という共通の敵がいたからこそ、一つに纏まる事ができたのだろう。
だが単なる同盟に終わらず、完全に一つの勢力になった背景には、きっかけとなった大きな出来事、繋がりを保つ為の配慮、工夫が数多くある筈。
僕はそれを、互いを尊重する決まりや歴史を、三つの種族が交わる場所、央都で調べたかった。
例えば央都には海からの広い水路が引かれ、人魚が入って来れるようになってる。
央都の宿や重要施設には、空から出入りが可能な最上階の入り口が備わってる。
南から央都に集められた米は、鎮守ばかりでなく天岳にも運ばれる。
人が西の海に船を出す際には、人魚に配慮した独特な決まりがある……、等々。
またこの国の貨幣は金銀銅を小さな棒状にした物だ。
僕はこの形状の貨幣を他の国では見た事がないから、恐らくは翼人か人魚の利便を考えてそう鋳造されてるのだと思う。
詳しい理由はまだ分からないけれど、央都で周囲を見渡せば、他では見られぬ工夫が幾つもある。
でも他の国々との違いは町中を注意しながら見て回れば気付けても、この国の歴史を知る事はそう簡単にはいかなかった。
大まかな概略程度なら、酒場で適当な相手を見付けて酒でも奢れば、気持ち良く喋ってくれるだろう。
だけどそれだけでは、僕が求める物には足りない。
三つの種族が手を取り合うには、そうせざる得ない下地があって、切っ掛けがあって、試行錯誤があった筈。
失敗が積み重なった上に成功があって、失敗にはそれが失敗した理由がある。
だから僕は成功したって結果だけじゃなく、失敗した試みも知りたいし、納得したい。
僕には多くの種族の知人がいるし、義理の子はエルフと人間のハーフだ。
異なる種族同士の融和には、どうしても興味があった。
そりゃあこの国で成功した事例が、そのまま別の場所で通用するなんて甘い話は、幾ら僕でも考えちゃいない。
しかし成功例が、どうして成功したのかを知る事は、多分何時かどこかで役に立つ。
僕がこの生き方を続けるならば。
それがたとえ、異なる種族が手を取り合うには、強大な敵が必要不可欠であるという、僕にはどうしようもない結論だったとしても。