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「光り輝く御方、草原に吹く風の使いよ。ダーリア部族の兵より私達をお救い下さったこと、誠に感謝いたします」
居住地に辿り着き、天幕の中へと案内された僕を待っていたのは、他の遊牧民達よりも少し豪華な服と、装飾を身に纏った一人の少女。
そう、まだ十歳になるかならないかの、人間の少女だ。
なのに彼女は、僕を光り輝くと称した。
それはつまり彼女が、
「私はツェレン。このバルム族の風読みの巫。風の子と呼ばれております」
精霊を見る目を、持っている事の証左である。
風読みの巫という言葉が実際にどんな物なのかは僕には分からないけれども、恐らくこの遊牧民、バルム族とやらは草原に吹く風を信仰する部族なのだろう。
そして彼女、ツェレンと名乗った少女は、その中に稀に生まれた、風の精霊と波長が合う人間なのだ。
故に僕の魂の不滅性を光として見、また風の精霊が彼女の救助を求めたのだと推測された。
しかしそれにしても……、風の精霊はこの少女の何を気に入ったのだろうか。
左右を部族の老人衆に挟まれて喋る彼女を見て、僕は思わず首を傾げてしまう。
だって一つ所に留まらぬ自由な風と、ツェレンの在り方は真逆に見えたから。
「そう、僕はエイサー。故郷では楓の子とも呼ばれたよ。風の使いというのはよく分からないけれど、風の精霊に頼まれて助けたのは確かだね」
僕の言葉に、左右の老人衆は僅かに眉を寄せたが、少女は表情を変えずに頷く。
どうやら少なくとも、権威的な立場は老人達よりもツェレンの方が上の様子。
……子供に大役を背負わせるというのは、僕はあまり好きじゃないけれど、初対面の人々の文化に口を出す気はなかった。
その結果、子供が子供らしく振る舞えてないのだとしても、今は、まだ。
「はい、伺っております。このツェレン、伏してお願い申し上げます。風の使いよ、どうか我らを、ダーリア族よりお守りください」
そう言って頭を下げるツェレンの姿に、僕は内心で溜息を吐く。
まぁ予想はしていたけれども、やはり先程の窮地を救って、ハイ、終わりとはいかないらしい。
風の精霊の頼みだから仕方はないが、厄介事に巻き込まれたなぁとは思う。
尤も助けるべき相手が子供だと知ってしまった以上、もう僕にだって簡単には見捨てられないが。
後はまぁ、このバルム族とやらが、或いは風読みの巫という役割の仮面を外したツェレンが、僕が積極的に手助けしたいと感じる人間であって欲しいと願うばかりである。
今の所は、どちらもまだ分からない。
結局、僕のやるべきは危機的状況にあるバルム族の立て直しだ。
ならば当たり前の話だが、今のバルム族が置かれてる現状を把握せねば、始まらない。
僕は招かれた一際大きな族長の天幕で、ツェレンとその母であるザイヤ、弟のシュロと共に夕食を取りながら話を聞く。
……族長の天幕であるにも拘らず、族長はいなかった。
だけど天幕の表には護衛か、それとも僕への監視だろうか、二人の若者が控えてる。
遊牧民達の容姿は、中央部の人間を見慣れた僕には、少しエキゾチックな印象を受けた。
体色は中央部の人間より少し濃いめの淡褐色で、目鼻は割とハッキリとしてる。
危険地帯を一つ越えただけで、暮らす人々が大きく変わった事が、僕にとっては面白い。
出された食事は、塩茹での羊肉や中に挽肉が入った饅頭、ああ、肉まんのような物。
ついでにチーズと、白いヨーグルトを思わせる飲料だ。
恐らく御馳走なのだろう。
農耕民族でない彼らにとって、饅頭の皮を作る小麦は交易か略奪でしか手に入らない物の筈。
部族が窮する今の状況では、略奪はもちろん、交易だって難しいだろうから、貴重な蓄えから出してくれた物だと思われる。
味は、うん、どれも美味しい。
カトラリーの類はなく、塩茹での羊肉も指で摘まんで食べる。
まぁ最初は少し戸惑うけれど、作法が分からないなりにも周囲の真似をしながら、口に運んだ。
飲料はかなり酸っぱく、癖もあるけれど、……何故だか不思議と懐かしい気がした。
後は少しだけれど、発泡もしてる。
あぁ、これはもしかして、馬乳酒という奴だろうか。
酒と名はつくものの、酒精はとても弱く、生活的に野菜を摂取する機会が少ない遊牧民が、ビタミンを取る為に必要な飲料だと、何故だか僕は知っていた。
そう、前世の知識という奴なのだけれど、なんでそんなにも偏った知識があるのだろう……。
また馬乳酒が、カルピスの元になった飲料だという事も、知っている。
さっき懐かしさを感じたのは、その知識のせいだろうか。
さて、夕食を取りながらぽつりぽつりと聞かされた話によると、バルム族とダーリア族の諍いは、風の子と炎の子、二人の子供の誕生と共に始まったらしい。
風の子とはもちろんツェレンの事で、炎の子とはダーリア族に生まれた、彼女の三つ上の少年をそう呼ぶそうだ。
バルム族とダーリア族は、同じく草原に吹く風を信仰する遊牧民で、活動範囲が比較的近い事から物々交換で足りない物を融通し合うなどして、緩やかに交流する関係だった。
しかしダーリア族に炎の子、無から炎を出現させる不思議な能力を持った子供が生まれ、そこからすれ違いが始まる。
炎の子が持って生まれた能力は、誰でも簡単に理解のできる強い力だ。
無から炎を出現させるという事は、その気になれば好きに人を焼き殺せるという意味なのだから。
炎の子が長じるにつれ、ダーリア族はその力を利用して南の国に略奪を働くようになる。
それは南の国と交易していたバルム族にとって、非常に困った事態を招いた。
何故なら南の国に住む多くの人々にとっては、ダーリア族もバルム族も、同じく草原に住む遊牧民であったから。
ダーリア族の略奪が行われれば行われる程、バルム族は交易が難しくなって少しずつ困窮していく。
バルム族はダーリア族と、幾度となく話し合いの場を設けた。
南の国への略奪をもう少し控えて欲しいと。
炎の子も決して敵なしの存在ではないし、永遠に生きる訳でもない。
仮に炎の子を失った後、交易も略奪も難しくなった部族の行く末は暗い物となってしまう。
そんな風に訴えたそうだ。
でもダーリア族は、その言葉には耳を貸さなかったという。
まあ今が力による略奪で豊かなら、人間はその豊かさをそう簡単には手放せない。
それは至極当然の話だった。
むしろ今が豊かであるからこそ、子を増やして力を蓄え、炎の子を失った後も頻繁な略奪を可能にするだけの戦力を整えるべきだ。
ダーリア族はそんな風にすら考えたらしい。
そしてそんなダーリア族には、どうしても欲しい物が一つあった。
そう、バルム族に生まれた不思議な力を持つ子供、風の子である。
風と語って未来の天気や、遠く離れた場所の出来事を知る風の子は、草原に吹く風を信仰する遊牧民であるバルム族やダーリア族にとって、象徴的な存在だった。
ダーリア族は炎の子に風の子を娶らせれば、炎を、力を、新たな信仰の形にできると考えた。
炎が風を喰って燃え盛る勢いを増すように、古い信仰を喰う事で、ダーリア族はより強く豊かになれると、そんな風に。
当然、そうなればバルム族もダーリア族に吸収されるだろうと。
だがバルム族の族長、ツェレンの父は、ダーリア族の考えを良しとせず、婚姻の申し出を断り続ける。
バルム族だけでなく、草原に吹く風に対する信仰を守る為にも。
しかしその結果、バルム族とダーリア族は争う関係となって、……少し前に、ツェレンの父が率いるバルム族の精鋭の殆どが、ダーリア族と炎の子によって、殺されたらしい。
捕虜に取る事もせず、徹底的に。
恐らくダーリア族は、もうバルム族を完全に潰して、風の子ごと吸収してしまう心算だったのだろう。
バルム族に残されたのは先の戦いで僅かに生き残った精鋭の他は、女子供とまだ年若く未熟な戦士、逆に年老いて戦えなくなった老人衆くらいだから。
反抗的な戦士を殺し、老人衆も殺し、女子供のみを連れ帰る。
その心算でダーリア族は、バルム族の居住地を攻めていた。
僕が風の精霊に急かされてこの場所に駆け付けたのは、丁度その最中だったのだ。