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「エイサー様、本当に行かれるのですか?」
明日には小国家群の町に入ろうかという日の夜、つまりは僕がキャラバンで過ごす最後の夜、野営の焚き火に照らされながら、共に見張り番をするアイレナは僕に問うた。
そう、とても気づかわし気に。
だがそれは僕が人喰いの大沼を踏破する心算だと聞いての心配では、ない。
それが普通の人間にとっては自殺行為でしかない行為だとしても、ハイエルフである僕なら十分に可能だと分かっているから。
故にアイレナが気にしているのは旅の危険度ではなく、今の僕が一人旅に耐えれる精神状態なのかどうかだ。
まぁ要するに、物凄く噛み砕けば『一人旅は寂しくないのですか?』と問われていた。
……改まって聞かれると、どうにも少し恥ずかしい。
いやもちろん、多少は寂しく思うだろう。
エルフのキャラバンに同行しての旅は、思った以上に楽しかったし。
やっぱり心も弱っていたから。
でも、うん、
「ありがとう、アイレナ。大丈夫だよ」
恐らくは大丈夫だ。
だってエルフのキャラバンに同行しての旅は、さっきも言ったが楽しかった。
つまり僕の心は、それを楽しいと思えるくらいに前向きになってる。
だから立ち止まらずに歩いて行けると、思う。
カエハとは色々とあったけれど、あの出会いに後悔はない。
全てを振り返ってみても、結末までを含めて、納得したし満足もした。
あの騒動、ルードリア王国の貴族達がエルフを奴隷にした事件がなければ、もっと沢山の時間を彼女の隣で過ごせたかもしれないけれど、それが必ずしも良い事だったとは限らない。
……だけどその場合、僕とカエハの間に子供ができる可能性は凄く低くて、シズキやミズハは生まれなくて、ウィンとも出会えず、ヨソギ流は彼女の死と共に僕の中にしか残らなかっただろう。
それは少しばかり、寂し過ぎる気がするのだ。
もしかするとその道をたどった僕ならば、その結果に満足するのかもしれないけれど。
結局は、たら、ればの話である。
それを想像する事が無意味だとは言わないけれど、引っ張られて迎えた結末を否定する程の価値はない。
「エイサー様は、……やっぱり凄いですね」
アイレナは、まるで胸の息を絞り出すようにそう言った。
彼女の言葉は、僕と自分を比較しての物である。
どうやらアイレナは、まだクレイアスとマルテナの死の悲しみに、引き摺られているのだろう。
人間としての感覚から言えば、クレイアスとマルテナの死からもう十年が経つけれど、エルフであるアイレナにとってはまだ十年しか経ってない。
仕方のない話であった。
「じゃあアイレナは、僕の旅に付いて来る?」
だから僕は、彼女にそう問うてみる。
思えばこれまで、アイレナと一緒に長旅をした事はなかった。
精々が、一緒に馬に乗って王都から北の山脈地帯まで行った程度だ。
だがもし彼女と共に旅をするなら、流石に危険地帯である人食いの大沼は避けなきゃならない。
そんな事を考える僕に、しかしアイレナは首を横に振る。
「いえ、お誘いは本当に……、本当に嬉しいんです。ですが、私はもう少し、このキャラバンを見ています。ウィン君からの手紙も受け取らなきゃいけませんから」
そして笑みを浮かべて、そう言った。
うん、まぁ、それも彼女の選択だ。
ただ恐らくだけど、仮に僕がまだ一人旅は辛いと言えば、アイレナは旅に付いて来る心算で問うたのだろう。
でも彼女は、自分の悲しみを癒す為に、僕を利用しようとはしない。
それはとても、アイレナらしい選択だった。
お互いに、暫く黙って焚き火を見つめる。
燃える火の中で、火の精霊がゆらゆらと揺れていた。
どのくらいそうしていただろうか、
「ですが一つだけ、エイサー様に、個人的なお願いがあります」
ふとアイレナが、口を開く。
はて、なんだろうか?
彼女が僕に個人的な願いなんて、少し珍しい。
アイレナからの頼みなんて、何時もエルフの全体の事を考えてとか、大勢が犠牲になりそうだとか、僕以外にはどうしようもない物ばかりだったのに。
「旅の最中に白の湖を見付けたら、私を何時かその場所に連れて行って欲しいのです」
あぁ、そういう事か。
彼女の願いは、腑に落ちる物だった。
「私達がパーティの名前に白の湖と名付けたのは、何時かそれを見付けられるような冒険者になりたいって、そう思ったからなんです」
白の湖とは、アイレナとクレイアスとマルテナが、冒険者をしていた時のチームの名だ。
そして同時に、エルフやハイエルフに伝わる御伽噺に登場する湖の名前でもある。
それはどこまでも続く真っ白な大地の中にポツンと存在する、清浄なる湖。
「もう三人で白の湖を見付ける事はできませんけれど……、それでも私は、一目でもその湖を、見てみたい」
アイレナの言葉に、僕は頷く。
彼女の気持ちには、共感できた。
だけど多分、その願いを叶える事は、些か以上に難しい。
だって僕の想像が正しければ、白の湖が存在するとされる、どこまでも続く真っ白な大地って言葉は、……恐らく雲の上を指し示す。
つまりは本当に存在するのかどうかも分からない、真なる巨人の世界。
この世界を真っ当に探索しても、そこに至れる道を見付けられるかは、……正直に言えば怪しい所だ。
でもアイレナが望むなら、努力くらいはしてみよう。
急ぐ旅じゃないし、ヨソギ流が流れて来た東の国を見るという事以外に、何か大きな目的がある訳でもない。
また他の誰かに見付けられるとも思えないから、だったら僕が引き受ける。
焚き火の暖かな光に見守られながら、夜の時間はゆっくりと過ぎて行く。