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仁義つね  作者: Sho-5
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後編・後編・義理の親子でも一世の契り

 真っ暗で狭い洞窟の中では、己の感覚だけが頼りだ。俺は恐る恐る進んでいく。

 不意に、奥の方に火の灯りが見えた。光の方向は洞窟の奥ではあるが、ひらけた空間のようだった。俺は、広間のようにも見えるその空間に足を踏み入れた。

 そこで俺の目に飛び込んできたのは、縄で縛られた状態で転がっているぎんの姿だった。

「ーーぎん!」

「仁ちゃん! 来てくれたの!?」

 助けを求めるぎんに応えようと、俺は駆け出そうとしたーーその時。俺の眼前には鋭利な爪を突きつけられていた。

「これ以上、先に行かせないわよ」 

 罠を承知でぎんの元に来た以上は奇襲は覚悟していた。だが、この声は……。

「い、彩葉……? 何の真似だ?」

 俺は動揺していた。俺たちの前に立ちはだかる女ーー彩葉は、かつて俺が甥成組に所属していた頃、俺を慕っていたはずの 部下だった。長い間共に組の任務をこなし、俺が一番信頼している部下でもあった。

 その彩葉が、明確な敵意を持った眼差しで俺を睨みつけている。

「ぎんを返してもらおうか」

 彩葉の爪が俺の首に掛かる。前に一歩踏み出すと、俺の首に爪が食い込んだ。構わず強引にもう一歩踏み出す。傷口は広がり、俺は首元から生暖かい血が流れ出るのを感じた。足元にぽつぽつと血が落ちていく。

「仁さん。あなた馬鹿なの?」

 彩葉の手は震えていた。

「ああ、そうかもしれねえな……ぎんの為ならば俺は命さえ惜しくない」

 俺の言葉を聞くと、彩葉は目を見開いた。その目には、涙が浮かんでいる。

「ーー仁さんの事が欲しくてたまらないのよ! この小娘が憎い!」

 彩葉は絞り出すように叫んだ。俺が今まで見たことがない、何かが取り付いたような表情だった。

「仁さんが私の全てだったのに……一匹の小娘のせいで貴方は私の元から離れた……」

 彩葉は我に帰ったのか唇を噛み締めながら涙を堪えようとするが、彼女の目は潤んだままだった。

「お前さん、大人気ないぞ。仁は亡くなった親友の為にぎんを引き取っただけじゃぞ」

 このままでは埒があかないと思ったのか、おやっさんがため息をつきながら宥た。

「ーーっるさい! うるさい!」

 彩葉はだだをこねる子供のように聞く耳を持たなかった。俺とおやっさんはどうしたものかと顔を見合わせる。

「そんな事知らないよ! おばちゃん!」

 ぎんの声だ。縄にくくり付けられて抵抗できないはずなのに、ぎんは無邪気な顔でそう言い放った。

彩葉は時が止まったかのように硬直した後、勢いよく振り返った。

「お、おばちゃん……?」

 ぎんは一矢報いたかったのだろうか、いや、きっとこれまで女性と接したことがなかったからだ。そうだったとしても、女性にそれだけは言っちゃいけないだろう……。

 俺の躾が足りなかったんだなーー俺の心は痛んだ。彩葉は眉間だけでなく口元にもしわを寄せていた。彩葉自身が理性で押さえつけつけることができていないのが見て取れた。その醜い形相は俺がかつて昔話で聞いた山姥を連想させた。

 彩葉が動いた。ぎんに襲いかかろうと走り出したのだ。

「待て! ぎんに手を出すんじゃねえ!」

 何かに取り憑かれたような顔。彩葉の爪がぎんに向かって振り下ろされようとしている。

「やめろおおーーっ!」

 俺は力を振り絞り、走った。

 そして地面を足で蹴り上げ、ぎんと彩葉の間に飛び込んだ。

 なんとか間に合ったようだ。俺はぎんを守ることができたようだ。そう思ったのも束の間、俺は背中に深々と食い込んだ爪の激痛に襲われる。

「ーーっああああああああ!」

 

 まるで背中が焼け付くような鋭い痛み。脳が痺れているかのように意識が遠のいていく。俺は体の自由がきかなくなり、その場に崩れ落ちるように倒れた。

「ーー!? 仁ちゃん!」

 かすんだ視界の先に、ぎんの姿が見えた。よほどもがいたのだろう、後手に縛られた腕には血の跡が見える。背中が冷たく感じた。激しい痛みが襲いかかる。


 ぎんを守らなければ。そう思ったが身体が動かない。

 眼前の光景は俺の意識とは切り離され、まるでどこか遠くの無音映画を見せられているようだった。


 ぎんは絶望の表情でこちらを見ている。刺さるような視線。

 逃げろ、逃げろ、逃げろ。

 彩葉が俺の血を纏い、次の獲物に狙いを定めている。

 狂気を孕んだ笑みが、ちらりと振り返った。

 どんよりと血走った目には、俺の顔が映っている。

 彩葉がぎんに向き直り、よろめくように歩を進める。徐々に速くなる歩調。

 誰かが叫んでいる。音が遠い。

 彩葉がぎんに飛びかかる。ぎんの胸に爪が吸い込まれるように入っていく。

 血が噴き出し、ぎんはのけ反った。


 心臓を一突き。鮮やかなやり口だった。

 あまりの絶望に、視界が欠けていく。

 俺は、全ての感情を分断するように、目を閉じた。

 見ていられなかったのだ。


 どれほどそうしていただろう。

 俺は妙な感覚に襲われて目を開けた。

 彩葉の様子がおかしい。後ずさり、恐れているようにも見える。

 その視線の先にいるのは、殺されたはずのぎん。


 俺は辺りの気配を探った。ぎんに向かって空気が流れているようだ。まるで、何かをため込むような……。

 突然、ぎんの身体から眩い光が発せられた。


 かまいたちのような暴風が、ぎんを縛っていた縄を断ち切り、周囲の岩壁や地面を削りとる。

 ぎんから吹き荒れる風と激しい光は、目を開けていられない程強いものだった。


 光が消え、風が収まる。


 土煙の向こうに見える影は九つの尾を生やしており、元のぎんとは風貌こそ同じであったが全く別の人物に思える雰囲気をまとっていた。

 闘志に燃える瞳が爛々と輝き、黄金に変化した毛皮が神々しささえ感じさせる。

「いつまで茶番やってんのよ。気にくわない小娘から楽にしてあげるわ!」


 冷静さを欠いた彩葉は、平静なら警戒して然るべきぎんの変化にも鈍感になっているらしい。


 彩葉は愚直にぎんへ向かうーー普段の彩葉なら一撃必殺である自慢の爪だが、今やその鋭さは鈍っているように見えた。


 ぎんは、目を見開き彩葉を迎え討つ。彩葉の一撃をひらりと軽い身のこなしでかわし、そこからみぞおちに向かって体当たりを繰り出した。

 何度も、何度も、間髪入れずに繰り返される攻撃。守る隙を与えないその姿は弾丸のようだった。

 彩葉が壁に打ち付けられた姿を見て俺は初めて、ぎんが攻撃を終えたことに気づいた。

 彩葉は口から血を流し、身動きが取れないようだ。打ち付けられた壁は抉れ、衝撃の大きさを物語っていた。

 彩葉は、絞り出すように口を動かした。

「初恋って……叶わないものね……」


 止まっていた俺の意識が再び動き出した。

 脅威はぎんによって葬り去られた。俺は安堵の息をついた。


「まだじゃ!」


 足音がした。声の主は稲荷兵衛だった。

「え……?」

 驚く彩葉を尻目に、稲荷兵衛は彼女の尾を力一杯踏みつけ、そのままひねるように引きちぎった。


「ーーっわああああああ!」

 彩葉の尻尾の付け根から血が噴き出した。もがき苦しむ彼女は悲痛の叫びをあげる。


「わしの大事な仁に襲いかかるような事をする輩はーー組に置いとくわけにはいかねえなあ」

 返り血を浴びたおやっさんの瞳は背筋が凍るほど冷たく、組織の頭の威厳を改めて実感させられる。


 彩葉に一瞥いちべつし、去っていくおやっさんの後を、俺は痛む身体を引きずりぎんと共に追った。


「なあ、おやっさんがわざわざ手を下さなくても良かったんじゃねえか……? 俺らの問題なんだからよ」


 本来ならば俺がぎんを助けるべきだったーーなのに、おやっさんに彩葉の処理を任せてしまった事に罪悪感でいっぱいだった……。


「これ、何をぼさっとしとるんじゃい。早よう、ぎんの元へ行ったらんかい。ここからは甥成組の組長であるわしの仕事じゃ」

「すいません。俺らのせいで手間かけました……」

「あほう! 仁はわしのせがれみたいなもんじゃよ。父親をやっとる者ならば、それは何となく分かるじゃろ? これ以上、口答えしたら……お前さんもただではおかんぞ。さっさとここから立ち去れい!」


「あ、有難うございます……おやっさん!」

 俺は頭を下げ、その場から立ち去った。おやっさんは始終、俺に背中を向けこちらに顔を見せなかった。


 ーー外へ向かう俺は、後ろ髪を引かれるような思いだった。彩葉のこともあって、己の未熟さを思い知ったからだ。

 だが、同時に誇らしくもあった。ぎんの親代わりという立場になってから、初めての感覚だった。まるで、初めて一人で狩りができるようになった時のような達成感だ。そう思いながら黙々と歩いていくとーー外の光が眼に入った。

「仁ちゃん! 遅いよう。もう待ちくたびれちゃったよ」

「すまんな、ぎん……」

 俺を笑顔で待っててくれていたぎんは、すっかりいつも通りのぎんに戻っていた。俺は、思わずぎんを抱きしめる。

「わわっ! どうしちゃったの? いつもなら私から抱きつくところなのに!」

「俺も……たまには抱きつかせろよ……」

「仁ちゃん。かあ〜わいい〜〜」

 いつものようにぎんが俺をからかってくるが……これもまた照れ臭くなってしまう。

「うるせえ! 今日の晩飯抜きにするぞ!」

「はうう〜それは駄目だよう」

 ぎんは俺を見上げて、困った顔をする。大変なことがあった後だというのにいつも通りすぎるのでおかしくなり、俺たちは顔を合わせて笑った。これから、ぎんと俺の関係はずっと変わらないだろう。しかし、それでいい。


 なぜならぎんにとって父親とは、この不器用な俺の姿そのものなのだから。

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