第二章 第六話:旅立ちの朝
翌朝。目が覚めると、部屋の床にはいくつもの旅支度が並べられていた。
頭陀袋のような背負い、使い慣れた弓矢に、剣と盾と革鎧。真新しい旅装に革の長靴と外套、下着類。訓練課程で自作させられた生活用具、食料に水、革袋に入ったいくばくかの硬貨などだ。
「お、目が覚めたようやな」
いつになくウキウキした調子で僕を起こしに東屋に飛び込んできたロタットがいた。
「おはよう、ロタット先生。今日はご機嫌だね」
「あたりまえや!いよいよ出立なんやぞ。これはエジルプラス様からの餞別や。感謝するんやで」
一つ一つを確かめるように、ロタットはクルクルと飛び回る。
「うん。エジルプラス様には感謝してもしきれないな。それに最後まで面倒をかけてしまって申し訳なく思ってるよ」
エジルプラスの性格を表すように、無造作に並べられた旅支度を眺めながら、僕は昨晩の夢中の対話を思いだしていた。彼に対しては本当に感謝の念しか浮かばない。
「そう思うなら道々お祈りを欠かさんことやな」
そういえばこの世界での宗教はどのような形態なのだろうか。
元の世界と同じように秩序の維持に使われたり、生活の一部として社会に組み込まれているのだろうが、どれほどの数のどのような宗教があるのだろう。
そして僕を異世界から転移させるほどの力を持っていたエジルプラスはどんな宗教のどんな位置づけにいるのだろうか。
チュートリアルで学んだ一般教養では、いくつかの主要な宗教にサラッと触れる程度でしかなかった。
「ねえ、この世界のお祈りってどうやってやればいいんだ?」
「あん?エジルプラス様を思い浮かべて、“だいすきですー”とか“そんけいしてますー”とか言っとけばええんちゃう?」
相変わらずの適当さ。
「え、そんなのでいいの??」
「ヘーキヘーキ。神様なんてそんなもんやぞ」
「そ、そうなんだ」
ロタットの適当っぷりは長い付き合いでわかっているので、話半分に聞いておくことにする。ただ、エジルプラスのこの世界での位置づけや神としての格のような物はいずれ知っておきたいのは確かだ。
自分が一応でも信徒の列に名を連ねる神のことを知っておくのは、当然といえば当然だと思う。これも目標の一つに加えておくことにする。ロタットに聞いても自分で調べろと言うだろうし。
僕は無造作に並べられた旅支度を手に取って確かめながら、それらを身に着けていった。
キルティングが施された緑灰色のベストは、内側に硬い革の小片がいくつも縫いこまれていて、使われているキャンバス地も厚く、まるで革鎧のように見える。
下着の上に薄手の鎧下をつけてからベストに袖を通すと、あつらえたようにピッタリと僕の体形に馴染んだ。
これを身に着けた僕の脳裏に今浮かぶのは、エジルプラスと出会う時に常に感じるあのあたたかさだ。彼が放つ光に包まれただけで全身に満ちるあの安心感、心強さ、そして解放感。いよいよ僕も宗教的狂信者の仲間入りをしてしまったのかもしれない。
次に僕が手に取ったのは、訓練で使い古した弓矢と剣と盾だ。それらは持ち運びしやすいように背負い紐でまとめられていた。
試しに小剣を鞘から抜いて朝日にかざすと、刃に輝く光が薄っすらと青身を帯びているのがわかる。
鞘や柄に施された何の変哲もない素朴な意匠と、慣れ親しんだそれらの手触りは、チュートリアルの間僕がずっと使いこんできた小剣に間違いないはずなのだが、他の武具と同様に以前とは明らかに異なる気配を感じる。
「ロタット、この小剣、いつもの僕の小剣だと思うんだけど、何か変じゃない?」
「なにがや」
「何ていうか、表現するのは難しいけど、特別な気配というか。刀身からオーラみたいなのが見えるし」
「そらエジルプラス様がお前のために聖別されたものやからな!」
一般的に“聖別”といえば、聖職者が祈りを以て物品文物に聖性を与えることだと僕は記憶しているが。
「聖別?どういうこと?」
「自分で確かめるんや。それもエジルプラス様が望まれたことなんやで」
(うん、そうですよね。そうなりますよね)
「わかったよ。他の道具も聖別されているのかな?」
「いや、武具だけやな」
他の生活用具は普通の物らしい。まあ、聖別された下着とか畏れ多くて使えないだろうことは確かだ。
残りの用具を全て背負いに詰め、僕は二年もの時間を過ごした、住み慣れた我が東屋に別れを告げる。いよいよ新しい世界への第一歩だ。
東屋から出て、何気なく振り返った僕の目に映るのは、開いたままの扉の隙間から少しだけ覗く、薄暗がりのがらんどうな佇まい。小窓からこぼれる光に照らされた小さな机と、潰れかけた藁敷きの寝床。
僕は感傷的になることがあまり好きではないし、滅多にそんな思いをすることもないのだが、この時ばかりは寂しさと不安感とで胸にグッと来てしまった。かすれる喉を無理やり動かして、声を絞り出す。
「さ、さあ、出発しようか」
「いてらー」
あっさりと否定される出立のかけ声。
「え?ロタットは一緒に来てくれないの??」
「ファッ!?なんでや!ワイ関係ないやろ!ここでお役御免や!!なんでチュートリアル卒業してまでワイがクソ雑魚のお守りせなあかんねん。アホちゃう?!」
けたたましくまくしたてたロタットは、激しく光を明滅させて抗議の意思を強調している。よほど意表を突かれたらしい。彼のあまりの剣幕に僕も驚いてしまった。
「そ、それもそうだな。でも寂しくなるね」
そういえば、結局ガイドの話はどうなったのだろうか。以前エジルプラスがガイドをつけてくれる云々を言っていたが、チュートリアルを引き延ばすために、僕は答えをはぐらかしていたのだった。
この際なし崩し的にロタットについて来てもらうことを咄嗟に思いついたのだが、あっさりとバレてしまった。
「とっとと出発して、どうぞ」
説得してついて来てもらおうとも思ったが、相も変わらずロタットはそっけなく、取り付く島もない。だが心なしかロタットの光の大きさも普段より小さくなっている、ように見えなくもない。
あきらめた僕は改めて殺風景な部屋に目を向けた。
石造りの壁に板張りの天井と床。粗無垢材の机と藁敷きの寝床。何でもそろった日本の恵まれた環境から一転、こんな罰ゲームのような監獄でたった一人二年もの間頑張れたのはやっぱりロタットの存在が大きい。
「で、でも、ロタットがいてくれて本当によかった」
「なんや!?気色悪い!!」
声を詰まらせて見つめる僕の視線から逃れるようにロタットが飛び回る。
本音をいえば、このうっとうしいキーキー声で喚き散らす悪態がもう聞けないのかと思うと、少々寂しいのも確かだ。
言ってみれば僕が別世界から来たことを証明する唯一の存在が彼だったのだ。彼の元を離れるということは同時に、僕がこの世界に本当の意味で仲間入りするということに他ならない。僕のこの身の秘密を知る者は、僕以外には彼しかいなかったからだ。
これからは勝手知らぬこの新しい世界で、たった一人で生き抜いていかなければならない。先のことを考えれば考えるほど心細くなる、言いようのない不安が鳩尾に重く蟠る。
僕は後ろ髪惹かれる思いを吹っ切るように、渇いて張りついた唇を無理矢理開き、最後の別れをロタットに告げた。
「じゃあ、もう行くよ!もう会えないかもしれないけど、元気でね。いままでありがとう」
「ほな、また……。」
(最後までそれかよ……)
いよいよ出立ですね。ロタット先生の口調は友達になんJ大好きな人がいるので、その人の影響でちょっと使ってみたくなっただけです(笑