第二章 第五話:出立前夜
遅くなりました。
この世界に来てから丸二年。
そう!実に二年もの間、僕はチュートリアルマップであるここ“目覚めの東屋”で、基礎訓練で学んだ技術を自分なりに研究し、時にはロタットにアドバイスをもらったりしながら、自主的な戦闘訓練を続けていたのだ。
チュートリアルが一年を過ぎた時点で“とっくに卒業”とロタットから言われていたのに。
おい、そこの君!ヘタレと言うなかれ!突然見知らぬ世界に放り込まれて、そこで生きろと言われて怖くないわけがない。もうチュートリアルは充分だから旅立て、と言われても、安全が確保されたこの我が家のような場所から安易に出てゆけるわけがない。
例えるなら、教習所内の訓練だけで免許取得後いきなり路上に放り出されるオートバイの免許に近い物がある。
これがもっと若い年齢なら、喜び勇んで出発するのかもしれないが、僕はそれなりに社会経験もあるいい大人だ(中身は、であるが)。
その上チートといえるほどの力も神様からもらってはいないのだから、出来るだけこのボーナスステージでの取りこぼしが無いようにするのは当然のリスク管理といえる。
チュートリアルに明確な時間制限がないことがわかってからは、ここで学べることは全て学んでしまおうという思いが一層強くなった。もちろん新しい世界を早く見てみたいという思いもあったから訓練の手を抜いたりは一切していない。
それでも一人で旅をするのに、十分な実力を身につけたと感じるまでこれだけかかったというだけの話だ。
終いにはしびれを切らしたエジルプラスが夢にまで出てきて、「今ならサポート役をつけるから早く旅立ってくれ」と懇願してきたのには閉口したが、僕は何も間違ったことはしていないはずだ。
していないよな……?
いよいよ出立を明日に控えた夜、僕はまたあの夢を見た。この、夢の中でいつも感じるなんとも例えようのない浮揚感。
何度目の夢中の対話だろうか、これまでにも夢でエジルプラスとの対話を繰り返してきた僕には「またか」という思いしかない。
もちろん気にかけてもらえるだけありがたいのだが、最近は早く出ていけと急かされているようで、夢の中でもエジルプラスに猶予を頼みこんでばかりいた。
だが、言質は取ってあるとはいえ、さすがに彼の願いを無下に断り続けるのも少々後ろめたい気持ちになり始めていたところだったのだ。ついにその夢も今夜が最後になるのだろう。
最後の夢の中、彼は一体どんな話をするのだろうか。期待とともに一抹の不安が心をよぎる。
「やあ、こんばんは。いよいよ明日は出立だね。いざこの時になると長かったような短かったような。でも、やっぱりこのまま出てゆかずにここに居座るんじゃなかろうか、とやきもきしたのも事実なんだけどね」
いつになく心安く響く彼の言葉。僕の出立に彼もうれしさを隠しきれないのだろう。
「ご心配をおかけして申し訳ありません。以前にもお伝えしたかと思いますが、僕は“石橋を散々叩いた挙句渡らない”性格なものですから。これでも結構な勇気を出している方なんです」
「ふふ、わかっているよ。君の不安を全て取り除いてあげられないのは残念だけど、僕にもどうしようもないことはあるからね。それに、不安を言い出したらキリがないからと、夢にまで出て君を急かすようなことを言ってしまって済まなかったとも思っているよ。ただ、何度も言っているけど君の力はすでにかなりのものだし、正面から君をどうこう出来るような存在に出会うことは、気をつけていればそう多くは無いと言ってもいい」
自分がずいぶんと力をつけてきているのはわかっている。ただ、それを正しい場面で正しく使えるかどうかは僕自身の心次第であり、その結果として窮地に陥ることもあるかもしれない。
あくまでも、僕には全てを力技で打破出来るような“チート”は与えられていないのだ。
「力ずくで無理でも、搦め手で逃げることも出来ず八方ふさがり、ということもありえますよね?」
「それはそうなんだけど、そんな状況も滅多に起きないと思うよ。でも、前にも言ったと思うけど、本当に困った時はアッティバの導きを求めるといい。あ、あと、出立を急かしてしまったお詫びに旅の道具をいくつか用意しておいたよ。目が覚めたらぜひ手に取って見て欲しい。ここで僕が出来る最後の導きだ。実を言うとこのチュートリアルマップの維持ももう限界だったんだよ」
唐突に明かされた事実に僕は正直困惑してしまった。チュートリアルマップを維持することが出来ないほど、彼の力は弱まってきていた?ということなのだろうか。それともチュートリアルマップを作りだすこと自体がチートといえるくらいの大業なのだろうか。
いずれにせよ、これでは初めからチートなぞ望むべくもなかったといえる。毎度のことだが、エジルプラスに対しては本当に申し訳ないという気持ちしか湧いてこない。
「そうだったのですか……知らぬこととはいえわがままを通してしまって申し訳ありません」
「いやいや、僕だって神の端くれだからね。信徒の前でいいかっこしたいというのは当然だろう?それに僕と君の仲じゃないか。それくらいは面倒を見させてくれたまえよ」
「重ねてご厚情に感謝いたします。ですがお会い出来るのはこれが最後となるのでしょうか?」
夢の中で何度も話すうち、僕はいつも飄々としている彼の人となりが本当に好きになってしまっていた。名残惜しくないと言えば嘘になる。
「我は其を見守るが常なり。ゆえに星の巡りに因りてあいまみえることもまたあろう。ゆくがよい、理の狭間を彷徨う旅人よ」
エジルプラスがこんな感じで神様然と最後の決め台詞を口にした時は、別れの時間と相場が決まっている。思わず緩んでしまう口元を引き締め、僕は決意を口にした。
「わかりました。世界を見てまいります!」
「ふふふ、君の人生に驚きと喜びがありますように」
暗闇の中、僕を包む光がゆっくりと減衰しながら上昇してゆく。どこまでも落下し続けるような不思議な浮揚感に苛まれるまま抱かれるままに、僕は深い眠りの奥底へと落ちていった。