第二章 第四話:やがて来たる卒業の日
風の精霊魔法、“射手の導き”によって大気を味方につけた矢は、チューブ状に形成された負圧の帯の中を、矢音すら立てずに突き進む。
狙いを寸分たりとも違うことなく、人形のこめかみに命中した矢は、古びた日干し煉瓦が砕けるような音を立ててその頭部を完全に貫通した。
自身の手元から空を渡り、敵の至近、数メートル程度まで続く真空の細い帯。その中を走る矢は負圧によって前方に引き寄せられ、後方からは大気圧によって加速される。このため、“射手の導き”では狙いをつける必要も、弓を強く引き絞る必要もない。
二射、三射、四射、と狙いもそこそこに速射された矢は、それぞれが異なる軌道で急速に加速しながらうねるように目標に引き寄せられ、肩、腰、心臓、と人形の急所を次々に射抜いてゆく。
【スネヴよ、此れ持ち給へ】
体に矢を突き立てたまま突進してくる人形との距離が二十メートルを切ったところで、僕は短く精霊語を呟いてから弓を空中に放り投げ、小剣を引き抜くと同時に、背負っていた円形盾を左手に素早く構える。
放り投げられた弓はゆっくりと揺れながら中空に上昇していった。これも風の精霊魔法、“微風の揺り籠”だ。“スネヴ”とは風の精霊に対する精霊語での呼びかけで、どんな風の精霊でも基本の呼称はスネヴとなる。もちろん呼びかけに答えてくれるかどうかは術者の力量や精霊との相性にもよるが。
ここら一帯の風の精霊とはすでに十分に長いつきあいがある上に、もともと森精族は風属性とは相性がいいらしいので、さっきのようにぶっきらぼうな精霊語でも彼らはちゃんと応えてくれる。
僕は意識を集中し、体内の魔力の流れを整えると、今度は身体強化魔法“俊脚”を使った。これは下半身の骨格を支える筋肉と腱を、部分的に体内の魔力によって強化し、俊敏性や瞬発力を向上させる身体強化魔法だ。
ちなみに身体強化魔法は呪文の詠唱を必要とせず、体内の魔力のコントロールとイメージによってのみ発動する。この魔法により体に過負荷がかかるような動きでも無理なくこなすことが出来るようになるのだ。
もちろん簡単に習得出来るような技術ではない。僕のような華奢な体格の人間は、毎日の単調な筋力のトレーニングと、それに同調した魔力の繊細なコントロールを体にしっかりと覚え込ませる必要があった。
ちょうど俊脚が発動したタイミングで人形は僕に向って剣を振りかぶり、飛びかかってきた。
僕より大きな体格の人形が両手持ちから振り下ろしてくる片手半剣には、振りが遅いとはいえ充分に体重が乗っていて一撃が相当の威力を持っている。
だが、僕は左の肩口へ振り下ろされる切っ先の下に素早く潜り込むと、左手の円形盾を斜め下から擦り上げるように押しつけて攻撃を右に受け流す。いい加減慣れたとはいえ、相変わらずこの体の出鱈目な反射神経には驚かされる。その反射神経に応えるための俊脚なのだ。
攻撃を受け流した余勢を利用して体を回転させ、格闘技でいうところのバックハンドブローの要領で無防備にさらけ出された相手の右膝を、僕は小剣で狙い打った。
人形の体部は中空で軽く、攻撃で破壊されてもすぐに修復されてしまうが、関節部分だけは体重を支える強度が必要なために中身が詰まっていて、修復には多少の時間がかかるのだ。
その膝部分を抉られた人形はバランスを崩し、よろよろと右手と右膝を地につけた。
奴が右膝を修復するまでの時間は僕にとっての最大の好機だが、ここで不用意に近づいてもリーチと回復力に優れる相手に有効な打撃を与えられないことは、これまでの経験から嫌というほど理解している。
僕は俊脚で軽くなったステップで素早く後ろに下がると、人形に向かって手をかざし、意識を集中させて長めの精霊語を紡ぎ出す。内容はこんな感じだ。
【掛けまくも畏き、ズーレット、其が身たる土を以て、吾が敵を縛り給へと願うこと、さりとては聞いてたび給へ】
土の精霊魔法、“泥濘の束縛”だ。ズーレットは土の精霊に対する精霊語での呼びかけになる。風の魔法に比べて詠唱が冗長なのは、いまだ土の精霊とはそこまで親しく付き合えるようになっていないからだ。
それでも僕の呼びかけに答えて、人形の足元の土が泥沼のようにぬかるんでうねり始め、みるみるうちにその手と膝をついた右半身に這い上がり覆ってゆく。覆われた部分を引きはがそうとしても、今度はそのためについた反対側の手足がコールタールのようにネバつく土に絡めとられてゆく。
僕は魔法への集中を切らさないように注意しながら、もがいている人形の後ろに回り、視界の外からその無防備な背中や足に嫌がらせの攻撃を加えてやる。
それだけで人形はバランスを失い倒れこんでしまった。一度地面に体を横たえれば、接地面の全てから泥が這いあがり、二度と体を起こすことは出来なくなる。後は核となる魔力媒体を探し出して破壊するだけだが、
「ま、そこまでやな」
ロタットのかけ声がかかった。
その声に応じて僕が魔力を霧散させると、人形を覆っていた泥はゆっくりと地面に吸い込まれていった。激しい戦いを終えて上気した身体は熱く震えても、心は不思議と落ち着いている。
「ふう」
僕は人形から視線を切り、ロタットを振り返る。その途端、人形は片手半剣の柄を逆手に持ち替え、ゆっくりと僕に向って振りかぶって……そのままの姿勢で地面に転がった。
「一体とはいえ、ワイの土塊の人形を簡単にあしらうようになるとはな」
「でも、接近戦ではそこまでの余裕はないよ」
これは本音だ。接敵する直前、出会い頭の一撃でうまく急所を突けたのはいいが、あれを躱されていたらと思うと、ゾッとする。
確かに劣勢になっても以前より食い下がれるとは思うが、結局は地面に転がされて土まみれにされる結末しか見えない。接近戦に持ち込まれれば魔法を使うタイミングはほぼ無いに等しい上に、僕の身体能力では身体強化魔法を使っていられる時間もそこまで長くはないからだ。
ただ、今回は接近戦に入る前に、弓矢による四射を全て急所に命中させることが出来た。その後の僕が苦手とする近接戦闘でもそれなりに立ちまわれていたことを考えると、もし敵が生身の相手だったなら、充分以上に有利に戦いを進められるだろう。
「心象伝達もだいぶ上達しとるようやし。つかおもんねーわ」
心象伝達とは精霊魔法を使う際に必須となる技術の一つで、魔法によって起こしたいと思う現象を精霊達が理解しやすい形で心の中にイメージし、彼らとの精神的な脈絡を通じてそれをいかに伝えうるか、というものだ。
この技術は精霊魔法の根幹であるし、その良し悪しは精霊魔法の効果や自由度、呪文の省略等に大きな影響を与えるので、精霊語の正確性と共に非常に重要な要素であるといえる。
さっきは精霊魔法の泥が人形の体表を覆うのとともに、右膝の欠損部分から内部に入り込み、時間差で徐々に硬化するイメージを伝えておいたのだ。同時に泥を通じて人形の動きも僕に伝わってきていた。
「おかげさまでそれなりに精霊達とは仲良くなっておりますので」
「まあでも、これでようやっと旅立つ決心もついたやろ」
「うん。ここまでやれるようになるまで、この二年間よく頑張ったと思うよ。自分を褒めてあげたいね」
「何ぬかしとんねん!四作はワシが育てたんじゃ!!」
「ははは、ほんとにその通りだと思うよ」
東屋への帰り道、相変わらずうっとうしく飛び回るロタットとふざけ合いながら、僕はこの世界に来てからの日々を思いかえしていた。
呪文詠唱の雰囲気を出すためになんちゃって古語を使ってみましたがどうなんでしょう。雰囲気出てるかどうかもわからないし、逆にイメージ壊れちゃってるかもしれませんね。ここらへんは読み手次第なので何とも言えませんが。