第二章 第二話:日々の研鑽は辛い
この世界に転移してから三か月。僕は新しい体にもずいぶんと慣れ、ロタニキ、もといロタット先生の元、絶賛勉強中だ。
自称神、エジルプラスが考案したという基礎カリキュラムをロタット先生からみっちりと教え込まれている。最初は生意気にも疑問に思ったことをその都度質問したりもしていたのだが、基本中の基本がわからないためにロタット先生の解説を聞いてもよくわからないという場面が多々あり、今は一方的に基礎を叩きこまれる毎日だ。
ちなみにロタットによれば、僕の種族は森精族の古代種、要するに古代エルフ?というイメージでいいのだろうか、らしい。鏡が無いのでまだ自分の顔を見ることすら出来ていないが、触ってみるとたしかに少し長めの耳が、ちょっと高めの、こめかみあたりから麦穂色の髪を分けて生えている。
身長は目算で百六十センチちょいくらいだろうか、華奢な体つきで力も弱く、元の世界の自分と比べると、多少の非力さを感じる。そりゃ女の子に転生させられてしまったと勘違いするわけだ。
年齢は七十五歳だそうだが、人間年齢に換算すると十五歳くらいのようだ。森精族とは一般的に非力だが知性が高く長寿な種族らしい。ここら辺はファンタジーの中と一緒だな。ただ平均的な寿命は教えてくれなかった。自分で調べろということなのだろう。
ちなみに古森精族は外見が美しい種族らしく、しょーもない目標ではあるが、自分の顔を確認することも目標のうちの一つになった。とりあえず、魔族やマンドラゴラ・エルフじゃなかったのでエジルプラスには感謝しかない。
さて、僕のチュートリアルの一日を解説しよう。
朝、日の出とともに起き、小さな果物を一つと水を飲むだけの朝食を済ませる。この小さなリンゴに似た果物は、一つ食べればその日一日に必要なエネルギーと栄養が補われるという優れ物だ(読者のみんなには某仙人様の豆を思い浮かべてもらいたい)。しかも痛まないと来ている。ちなみに味と触感はマンゴーのそれに近かった。
その後、腹ごなしに午前の授業である武術全般のための準備運動が始まる。僕がこの世界で最初に目覚めた場所、“目覚めの東屋”と名付けた、の周囲には草原が広がっていて、ここをただただ走るのみなのだが、これが仙人果実の効果なのかなかなかに気持ちがいい。無限に力が湧いてくる感じだ。
いい加減腹がこなれたころを見計らって武術の訓練が始まる。ロタットが魔法で土から作り上げた様々な大きさの動く人形を相手に訓練をするのだ。
魔法で土から作り上げた動く人形!!
そうなのだ!この世界には魔法がある!あの似非神様は最初に教えてくれなかったが、この世界には魔法が存在していた。
それを知った時、正直言って僕のオタク心はときめいた!さすがエジルプラス。僕はこの世界に来てからというもの、すでにいくつもの驚きと興奮を経験をしている。
だが、魔法については追々話そう。今は武術だ。ロタットが操る人形を相手に、遠距離から近接での攻防、組み打ち術に、果ては逃走術までを武術として学ぶ。
ロタットが操る土野郎は、テラコッタ製の少し太めのパイプを繋ぎあわせたような、奇妙な姿をしているが、体部は文字通り中空で煉瓦のように固く、関節部分は粘土のような土がみっちりと詰まった構造をしている。
こいつは土で出来ているくせに意外と素早く器用で、近接武器はもちろん、槍に弓矢、さらには格闘術まで使いこなす、疲れ知らずのタフな野郎だ。授業が始まった当初は、いつも地面に転がされて土まみれにされていた。土で出来ているくせに!
そんな僕でも三か月の訓練の成果か、今ではそれなりの動きは出来るようになっていた。種族特性上、僕が最も得意とするのは弓矢による遠隔攻撃である。
目覚めの東屋に置いてあった、胸丈程度の木製の複合弓を構え、約百メートルほど離れた場所から人形に向かって矢を放つ。初撃に対しては人形は動かず、完全に狙撃の練習だ。当たる当たらないにかかわらず、初撃の着弾と同時に人形はこちらに向けて接近を開始する。
ここからは速射の訓練となり、急速に接近する相手に対して、いかに素早く正確に多くの矢を射かけられるかが問われる。最初は慌ててしまって、矢を正確に番えることすら出来なかった。心の平静さを保つことがこの訓練の基本であり、肝要でもある。
今では近接戦闘に移るまでに三射は射かけられる自信はある。人形に届くか届かないか、当たるか当たらないかは、また別の問題ではあるのだが……。
さて、土野郎に接近されてからの僕には全くと言っていいほど冴えがない。接近戦は自身の体格に見合った短めの片手剣と小さめの円形盾を使って戦うが、相手の剣や徒手による攻撃を防ぐことに手いっぱいで、なかなか反撃のチャンスを見つけることが出来ないのだ。
安易に手を出そうものなら、すぐにバランスを崩されて組みつかれ、地面に転がされて土まみれにされる。逆に、盾を使って防御に徹したとしても、隙をつかれて軽く打たれるか、息が切れたところを転がされて結局土まみれにされるのだ。僕に出来るのは防御に徹しながら、相手の隙を見つけては、教わった逃走術を使って逃げるくらいだ。
逃走術は到底かなわない相手と対峙した時、防御の際や組んだ状態から敵の力を利用して相手のバランスを崩し、その隙に遁走する技術を体系化した物だ。如何に相手との距離を稼いでゆくかという、追いかけっことかくれんぼとマラソンを一緒にやるようなものだが、これが意外と楽しい。
だが結局は追いつかれ、奴に組み敷かれて土まみれにされることは確定している。土で出来ているくせに!
「あのさぁ…ロタット。土野郎が強すぎだよ。いくら寸止めしてくれるとはいえ、もうちょっと手加減してくれない?攻撃の練習が出来ないよ」
「四作弱すぎやろ!」
「……。僕ってどれくらい弱いんだ?」
「そらあれよ、そびえ立つクソ級に役立たずってやつやな」
「…。僕って強くなれるの?」
「エジルプラス様からそれだけの力をもらって弱いままだと、終身名誉死刑囚待ったなしってとこやな」
「」
意味がわかるだけに、辛い。でも、次の日から土野郎は徐々に動きが鈍くなったり、ちょっとした隙を作ってくれたり、と僕が近接戦闘の練習が充分に出来るよう色々配慮してくれていた。口調はあんなだがロタット先生は意外と優しいことがわかって、僕は少しだけうれしくなった。
午前の訓練が終わると、東屋に戻って水分を取り、小一時間ゆっくりと体を休めて午後の座学に備える。午後は魔法の基礎理論と、語学を含む一般常識の授業だ。
習得するようにエジルプラスから課された言語は精霊語(魔法の行使の際の精霊との意思疎通に必要)と、汎人類共通語であるアイクナッフ語(人類社会での意思疎通に必要)の二つだ。
まず精霊語についていうと、精霊は言葉を話さないので、言語というには語弊がある。魔法を使用する際の、人間からの一方的な意思伝達の方法、つまり信号や合図に近い物なのだ。
今はもう廃れてしまった言葉を使って、彼らとのやり取りをするのだが、この言葉は発音がやたらと難しい。覚える単語は、全て呪文の構成要素として大幅に定型化されているとはいえ、それでもかなり苦労しているのが現状だ。
この世界において精霊は、自然現象の象徴であり民間信仰や崇拝の対象でもある。僕ら古森精族でさえも、見ることも触ることも出来ず、ただその存在を感じ取ることくらいしか出来ないような、人知を超えた存在との意思疎通の方法なぞ、明確に解明されているわけではない。
つまり精霊語とは、あるいは長い森精族の歴史の中で経験的に発見され、あるいは精霊達より秘かに授けられ、そして伝えられてきた“風習”に過ぎないのだそうだ。
しかし、後述する魔法理論においては、精霊魔法を使用する際の精霊存在の重要性についてしつこいくらいに繰り返し教わるので、精霊語は超重要科目といえる。魔法知識全般の基礎なだけに、しっかりと覚え込まなくてはならない。
次に共通言語として汎人類社会で使われているアイクナッフ語についてだが、この言語はかつて存在した超大国アイクナッフで話されていた言語だという。
長い人類の歴史上、大アイクナッフ王国は中央世界に唯一覇を唱えた超大国で、当時存在したほぼ全ての国々をその支配下に治め、栄華を欲しいままにしたのだそうだ。しかし約三百年前、後継者争いに端を発する内戦によりいくつかの大国に分裂してしまい、現在に至っている。
分裂してもなおアイクナッフ語がいまだに各国で使われている辺り、当時の大アイクナッフ王国とやらの文化的影響力がよくわかる。
ちなみにアイクナッフ語は元の世界のどの言語とも、文字も発音も違うが、基本的な構成は同じである。また格や活用がやたら多くて複雑なものの、規則正しく整った言語であるといえる。
日本語に似ている点としては、丁寧語があることが挙げられる。発音は日本語とは多少似ている程度のものだったが、僕にはほとんど違和感なく発音することができた。
もっともエジルプラスが創造したこの肉体には、基本的な言語知識(つまり人間社会でいうところの中学生程度の)がすでに蓄えられており、より高度な言語表現を学ぶところからスタートしたのだ。
今ではロタットとの会話は全てアイクナッフ語で行われている。これらの基礎に加えて、エジルプラスの効率的な学習カリキュラムにより、たった三か月で僕のアイクナッフ語は非常に洗練され、成熟度を増してきている。カリキュラムも確かにいいのだが、この新しい体、古森精族の地頭がいいのだろう。
となると、この頭でも苦労している精霊語とは恐ろしく難解な言語といえるのかもしれない。
「ねえロタット」
「なんや」
「僕の精霊語ってどれくらいのレベルなの?」
「良くいって幼児レベルやな」
「は??うそでしょ?!」
「自分、精霊語の呪文わけわからんで?残当」
「」
意味がわかるだけに、辛い。でも次の日から少しだけゆっくり、はっきりと単語単語を発音してくれるようになった。やっぱりロタット先生はやさしい。僕はロタット先生のことがまた少しだけ好きになった。