第二章 第一話:新たなる世界にて
僕の名前は遠藤四作。年齢は二十九歳。独身。彼女無し。東京都町田市のアパートに一人暮らし。
ちなみに名前の由来は四番目に作った子供だから、というわけではない。仕事は業務用電子機器メーカーの工場で完成品の製品検査を受け持っている。しがない会社勤めと言えばそれまでだが、自分なりに目標を持って頑張って来たし、給料だって同年代の平均より少しは高かったと自負している。
毎日が電車に揺られて家と仕事場を往復する日々だが、週末や休暇中には趣味の写真を撮りに遠出したり、好きなヤクルトスワローズの応援に神宮まで足を延ばしたりと、それなりに充実した日々を楽しんでいた。恋人こそいなかったが、女性とお付き合いした経験もあるし、結婚願望だってそれなりにあった。
こんな僕だが、実は社会人になる前はかなりのアニメオタクで、毎年ビッグサイトにブースを構えるくらいの強者だった。就職後は忙しくてそれどころではなかったけれども。
何を言いたいかというと、異世界と聞いた後で、多忙な日々のどこかに置き忘れた、あの身を焦がすような期待感や焦燥感がついと首をもたげたことを否定出来ない、ということ。つまりwktkって奴。
チートは無いけどチュートリアルはあるし、さらに内容はわからないけど加護を付けてくれたりもして、なかなかいい取引だったんじゃないかと自分では思っている。むしろ彼が選んでくれるという転生後の種族がどうなるのかが唯一の心配の種だ。
斯くて異界の神、エジルプラスはのたもうた。
「新しい世界を見て楽しんでくれ」と。
彼自身が言っていたように、ほとんど感動の押し売りに近い物があるが、そこまで言うからには自信があるのだろうし、僕もそこにつけ込んで好条件を出してもらったような物だから文句は言うまい。
願わくば、生まれ変わりの種族が、魔族とかマンドラゴラ・エルフじゃありませんように。
刺すように熱い日差しを瞼に感じて、僕は目を覚ました。ぼやけた視界は木造の天井と四方の石造りの壁に大部分を占められている。
体を起こし、ゆっくりと首を回してあたりを見る。木製のテーブルとイス、自身が寝る藁敷きのベッド以外には何もない質素な部屋だ。
そうだったな。僕は異世界に転移したんだっけ。
ぼんやりとそんなことを考えながら、じっと手を見る。細く長く伸びた指、淡く飴色に輝く美しい爪。薄い褐色の肌はきめ細かくすべらかで、まるで女の子の肌のよう。
しなやかに動く腕や足もほっそりと華奢だ。下を向いた拍子に流れて顔を覆った麦穂色の長髪は、朝日を浴びて銀に輝いている。まるで、女の子の髪のような……。
(そういえば性別は指定していなかった!)
最悪のパターンを想像して、背筋にゾッとする寒気を覚えた僕は、咄嗟に股間に手を当ててナニの存在を確かめたが……。
(あった!よかった!!なかったらまじ速攻クソゲー認定するところだったわ!!!)
暖かく体を走る血の巡りが自身の興奮を物語る。あってよかった男の徴!
「お前が四作やな?」
「ふあああっ?!」
安堵感からか股間をもみもみしながらニヤついていた僕は、突然の声に驚いて「どっから声出してんだよ」と誰かにツッコまれそうな悲鳴を思わず上げてしまった。
「誰!?」
恐る恐るあたりを見回しながら姿の見えない相手に問いかける。
「ここにおるやで」
声の主は僕のすぐ横に浮かぶ、小さな光る球だった。甲高いキーキー声に合わせてピンポン玉くらいの大きさの光がゆっくりと明滅している。異世界第一村人にしては、あまりに奇抜な存在だが、とりあえず話は出来そうなのでコンタクトを試みることにした。
「あなたはエジルプラス様ですか?」
「ワイや!!」
いきなりの喧嘩腰。思わず張り合ってしまう。
「はあ?答えになってねえよ、誰だよ!」
「ワイや言うとるやんけ!」
「……」
このノリはあれだ、話が通じないパターンだ。
幾らかの押し問答の末、彼?の勢いだけの答えに半ば気圧され、半ば呆れた僕は、光の粉をまき散らしながら周囲をうっとおしく飛び回りだした球体を横目に、部屋の中を調べることにした。
「机の引き出しにエジルプラス様からの手紙が入っとるで」
いかにも勿体ぶった口調で頭上からかけられた声が僕を妙にイラつかせる。
「それを先に言ってくれよ。しかし、なんで関西弁?なんだ?」
頭の片隅にひっかかっている、どこか聞き覚えのある喋り。関西弁であるような無いような。
「知らんがな!ワイは“そう”あるように作られたんや」
「誰に?どうして?」
「エジルプラス様やろ?なお、ほんとのとこは誰にもわからんもよう」
相変わらず話が通じない。
ふう……。
思わず漏れる深い吐息。
「なんやそのため息は!」
僕は机の引き出しから羊皮紙らしき紐で括られた巻紙を取りだすと、そのしっとりとした上質で柔らかい手触りに驚きながらも、手紙を広げて読み始めた。
光球を大きく膨らませ、怒りと抗議の声を上げて飛び回るそれはもはや無視である。
-----やあ、無事転移に成功したようだね。僕が創っておいた体はどうかな?気に入ってもらえるとうれしいな。
君が今一番疑問に思っていることに答えると、その光球は聖霊と言ってね、我々に仕えてくれる存在なんだ。名前はロタット。本来はもっと長い名前なんだが、まあそれはいいだろう。
とりあえずロタットが君のチューター、つまり先生役になるよ。ロタットの下でこの世界について色々と学ぶといい。君がこの世界で必要とするであろう基本的な知識は全てロタットが教えてくれる。ちなみに性格や口調は、君が生前頻繁に訪れていたいくつかのコミュニティでのやりとりを参考にして形作られた物だから、君も馴染みやすいと思うよ。
しばらくしたら様子を見に行くつもりだから、それまではロタットについて頑張ってくれたまえ。それではよい異世界生活を。君の新しい人生に驚きと喜びがありますように。-----
手紙はとても簡素であっさりした物だったが、わかったこともあれば、わからないことが余計に増えたようでもある。
そもそも転生ではなく転移だった。しかし転移先の器が違う場合はどうなるのだろう?転生になるのだろうか??この辺はよくわからないが、まあ大した問題じゃあないだろう。
重要なのは、僕の転移先が誰かの体を乗っ取ったり、死後の遺体を再利用したのではなく、エジルプラスが創造した器だったということだ。例え誰に迷惑をかけてないとしても、元が他人の体というのも気分的にはよくないものだしね。
しかし……。
「頻繁に訪れたコミュニティでの会話??」
「よろしくニキ!」
実際に面と向かって言われてみて初めて気づく、この上なく腹が立つこの言葉遣い!
(ああ、ようやくわかった。これはインターネッツだわ。僕がよく使っていたサイトの用語ってことか)
しかもよりにもよってベースが猛虎弁だ。そして、書かれた文章を読むのと実際耳にするのとでは、イラつき度が全く違うという事実に直面して、僕は最後の最後で落とし穴にはめられたように思えて仕方がなかった。
これから当分の間、このうっとうしい喋りを聞いて勉強しなければならないことを思うと、何とも言えない居心地の悪さに僕の心は乱れ始めた。
(先行き不安だわ……マジで)