第一章 第一話:ひどくテンプレな出会い
「朝日が眩しい……」
毎度ながら夜勤明けの太陽は目に悪い。
勤務を終えて帰路につく、朝五時三十分。改札を抜けてホームへ入り、いつもと同じ始発電車の前から三番目の車両に、僕は乗り込んだ。
「あ~あしんど、今日もやっと終わったわ、はよ帰って風呂入って寝よ」
何の変哲もない、いつもの帰宅風景のはずだった。やがてホームに響く発車メロディとともに、ゆっくりと電車は滑りだす。
「ガタ……ガタガタ」
発車からしばらくして、普段聞きなれた、レールの継ぎ目から出る「トトン、トトン」という軽快なジョイント音や高鳴るモーター音とは明らかに違う、不穏な音に僕は気がついた。
(何の音だ?これ)
僕が音のする方を向いた瞬間、それまでいじっていたスマホから不快な効果音とナレーションが響く。
[ボボッぼーん!][大敗しました]
「?!」
画面に大写しにされる「大敗」の二文字と、その横にあられもない姿で倒れこむマイキャラ。
「ふっざっ!ありえねぇ!Bの三ごときでこんなんありえんだろ!ルート設定間違えたか?!」
あわてて画面をいじりながら小声でブツブツ言う僕は、先ほどの異音が次第に大きくなっていくのに全く気付いていなかった。
そのうちに電車はカーブへと差し掛かり、慣性を受けた構体が「ミシリミシリ」ときしみだす。
「ゴッ!」「ゴガガガガガガガガ!!」
突然何かが激しく擦れる音とともに、巨大な振動が車両を襲う。僕はスマホを放り出し、あわてて手すりにつかまった。そうでもしないと体が座席の上で跳ねまわってしまう、それほどの揺れだったのだ。
「ズドォーン!!」
すぐ先をいく前方車両から響く轟音。
そして一瞬の間。
僕は手すりを必死に掴んだが、巨大な慣性は轟音と共に恐ろしい勢いで、手すりごと座席ごと僕を前方へ投げ出した。
上なのか下なのか、左なのか右なのか。音も光もないそんな虚空、当然自分がどっちを向いているかもわからないような、そんな暗闇の中で僕は目を覚ました。
周囲を眺めるが、真っ暗闇では何も見えず、声を出すことはおろか、自分の体を認識することすらできなかった。さらに言えば自分で自分の体を触ることも出来ないのだ。ただ、自らの周囲がぼんやりと光を帯びているのだけはわかる。
(なんだここは。なにがどうなった?)
たしか僕は帰りの始発電車に乗っていたはず。それから工事現場の騒音みたいな音がして前に投げ出されて……
(死んだ?のか??)
だが意識だけはある。実際奇妙な感覚だ。肉体が無いように感じているのだから、苦しくも痛くもない。自分がどこにいるのか、上昇しているのか、それとも落ちているのか、それすらもわからない。
ただ、目で見えているわけではないが、不思議と自分がある種の空間を漂っているのだけはわかるのだ。
(やっぱり死んだよな。ああ、死ぬ時ってのはずいぶん呆気ないもんだな。列車事故、か。あの様子じゃ相当大きな事故だろうけど、始発だし僕以外の死者はそれほど多くはなかったろうな)
(ああ、親父、母さん、綾子、心配かけてごめん。先立つ不孝をどうかお許しください)
離れて暮らす両親と妹。疎遠とまではいかないが、お互い自分達の生活に忙しい。それでもやはり死に際に思い浮かぶのは家族の顔だ。
(そういえば僕が死んだ後、職場はどうなってるだろうか。僕の代わりはいくらでもいるだろうが、少なからず迷惑はかけたろうな)
(しかしここが死後の世界って奴か。思っていたのとは全然違うなあ)
とりとめもなく浮かんでは消える思いを、ひとつひとつ言い聞かせるように自問自答してゆく。
どれくらいの時間が過ぎたろうか。ふと我に返り。
(しかしどうしたもんかな?ずっとこのままなんかな)
ずっとこのままというのも、そのうち考えるのをやめる羽目になりそうで恐ろしい。必死になってあたりを探ろうと試行錯誤すること体感三分……僕は潔く考えるのをやめた。
何も、どうすることも出来なかったのだ。
「遠藤 四作君」
(?)
「君は遠藤 四作君だろ?」
(?!)
突然の呼びかけに驚いて、僕はあたりを見回した。
「ここだよ四作君」
不意に頭上からまばゆい光が差し込み、僕を包み込んだ。
(あたたかい)
例えるなら、放射冷却で冷え切った冬の朝、二度寝で潜りこんだ羽毛布団のような。
例えるなら、凍えるほどに効きすぎた冷房から逃れて、むっとする真夏の外気に触れた一瞬のような。
そんな、安心感さえ抱かせるような温もりを、僕は全身に感じた。
「ほったらかしてしまってすまなかったね」
あたたかい安らぎの光の中、すでに風呂につかっているかのように全身が弛緩し、たるみきってしまっている僕をさらに甘やかすかのような、中性的な声音が心の中にまで染み込んでくる。
ともすれば安堵感から泥のように揺蕩ってしまいそうになる意識を、僕はしっかりと引き締め、光に向かって居住まいを正した。
「あなたは?誰?ですか」
僕の恐る恐るの問いかけに応えて、周囲に満ちる光がゆっくりとその色を変える。
「僕はエジルプラス。君たちの理の外にいる者さ」
その声は全てが尊崇し、全てを畏怖させ、全てに律する力を、否応なしに僕に感じさせるほどの威厳と風格、そして存在感に満ちていた。
「エジルプラス……さま。理の外。ですか。ええと、例えば別次元の神様のような存在なのでしょうか?」
神様。
神の定義にも色々あるだろうが、少なくとも、この眼前の存在は僕にその絶対性を信じさせるくらいには神様然としていた。
「厳密には違うけど、まあそれで理解しやすいならそう解釈してもらってもいいよ」
僕らの世界で言う神に近しい存在。その神の言うことにしてはずいぶんとアバウトな回答だ。いや、厳密には神様じゃないのか。一体どっちが正しいのか。
だがどちらにしてもここは彼に従っておいたほうがよいだろう。そうでなくては話が進まない。
「わかりました」
「理解が速くて助かるよ。それじゃさっそく本題に入るけど、君は遠藤四作君で間違いないね」
彼(としておこう)の話ぶりは意外に気さくな、しかもビジネスチックなものだった。
「はい。初めまして。遠藤四作と申します。ですがそれを証明することもできませんし、それにたぶん僕は死んでしまっていますよ」
「ああ、問題ないよ。僕は君の心に直接訊いているから、君が言ったことが本当かどうかはわかるのさ、君には僕が声を出しているように認識されているけどね」
「はあ、そういうものなのですか」
この時の僕は、この得体の知れぬ存在の話にいつの間にかぐいぐいと引き込まれてしまっている自分に全く気付いていなかった。