笑顔の彼と電話の相手
私は受話器に手を掛けた。社員食堂の一角に置かれた公衆電話、そこで彼に電話を掛ける。
この電話で全てが分かる。
ここ数日のもやもやから解放される。
体は緊張に強張り鼓動は心なしか早く感じられた。
私が電話を掛けようとしている彼は同じ部署の後輩だ。特別格好よくなければ不細工というわけでもない。かなりの無口で、仲の良い人なんて見たことがないし、私も仕事以外で話したことがない。そんな彼が、唯一楽しそうに話すのがお昼休みのこの時間なのだ。携帯電話を片手に楽しそうに電話する彼が私にはどうしても気になった。彼の電話相手は誰だろうか。友人だろうか。恋人だろうか。それとも――。
私はふとあの日を思い出した。あれは確か大学一年の時。私が所属していた文学部には所謂ぼっちの男がいた。入学直後から二か月程休み続けたせいで友達が出来なかった彼はいつも一人だった。教室ではいつも一番前の左端。食堂では何故か真ん中。そこが彼の特等席だった。きっと食堂の端は大抵誰かに占領されているせいだと思う。そんな彼はいつも肩身が狭そうに座っていた。周りを集団が埋めていくと尚更身を縮こませてせっせと食事を口に運ぶのだ。
そんな彼がある日を境に少し変わった。教室ではいつも通りだったけれど食堂では誰かと電話するようになったのだ。そんな友達がいるとは思わなかったので私は驚いた。いや、文学部の全員が驚いていた。まぁすぐに話題は移り変わっていったけれど一時的に話題に上がったのは確かだ。
私は誰と話をしているのか気になって、偶々近くに座った時には耳を澄まして聞いた。会話から推測するにかなり仲の良い男友達だったようである時は「映画?いいけどいつ行く?」と誘われていたり、「え、嘘だろ。お前別れたのかよ。」と恋バナをしていたりと本当に楽しそうで何故かホッとした。
その日も彼の近くが偶々固まって空いていたので友達と共に座った。私たちは噂話やもうすぐ来る夏休みの予定について喋り、彼は電話で会話を楽しむ。彼も夏休みの予定を話しているようで時折、その日はバイトがあるから――と断ったり、今度泳ぎに行かねえか――と海に誘ったりと楽しそうだ。クーラーが適度に効いていて、まったりとした心地の良い時間だった。
聞き覚えのあるメロディが流れた。
アイフォンの電話の通知音だ。音につられて無意識に振り向く。するとそこには鳴り続ける電話を耳に当てた彼がいた。先程の楽しそうな表情が嘘のように、ポカンと口を開け、目を見開いている。きっと私も同じような顔をしていたと思う。一瞬辺りが静かになった。私は三秒ほど停止した後そっと顔を逸らした。けれどすぐに彼の顔が浮かんできて小さく吹いた。
私はあの時の彼の顔を未だに忘れられない。今もふっと浮かんできた彼の顔に肩を震わせる。一しきり笑って落ち着いたのを確認すると私は最後のボタンを押した。
どこかで着信音が響いた。