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枯れ尾花

作者: しまリリス

雨が降って来た。


私は雨に濡れるのは嫌いだ。


いや、本当は雨に濡れることは好きなのだ。


ただ、今日は濡れてはいけないのだ。




「嗚呼、あの時に乗り合いの時間を確認しておけばよかった。」







私は今日、仕事の都合である方の住む辺境と言うと語弊があるかもしれないが、まあ、とにかく遠い田舎まで来ることになった。


私が朝に乗り合わせた席の運転手が言うにはこんな何もない所に来るのは酔狂な人くらいだそうだ。


私も仕事がなければここに来ることはないと思った。




「それにしても、今日は暗いな。」







木ばかりしかない道も進み続ければやがて村に着く。


運転手に礼を言い席から降り低い坂を道なりに歩いて行く。


暫く歩いてようやく、一軒の建家に着いたので、戸を叩いて誰か居ないかと誰何した。


遅かったが人が来て、見知らぬ私に丁寧に目的の場所を教えてくれた。


距離は此処からそう遠くないらしい。


私は家主に礼を言い、その場を後にした。







教えて貰った場所に着いたが、どうやら先客がいたようだ。


「こんにちは。」


年の頃は二十歳だろうか、やや焦げた、俗に言う小麦のような色をした肌を持つ、健康的に見える青年がいた。


相手に挨拶をされてしまったので、私も挨拶を返した。


青年は私の服装を見ると何か分かったかのように頷いた。




「先生に何か御用件でしょうか?」







「態々ご足労様だね君。」


私は青年に屋敷の中へ案内してもらい、私の此処へ来た目的である、先生に合わせてくれた。


青年は先生の弟子らしく、こうして先生が此処へ避暑に来る間は世話をしているらしい。


「ええ、私もこんな場所へ来るとは思っても見ませんでしたよ。」


「そうこの場所を邪険にしないでおくれ、ここもここで素晴らしいのだ。」


私の言葉に先生は眉尻をさげてしまう。


私は仕事を済ませるため、先生に用件を伝える。


「そうか、すまないね。資料は全て書き置きしてきたと思っていたのだがね。」


そう言うと、紅茶を持って来た青年に資料を持って来るように伝えた。







用件が済んだので、私は雨に降られないうちに足早に乗り合いの来る停留所へ向かった。


しかし、どうやらそれは遅かったようだ。


遠方で雷鳴が高らかに雄叫びを上げ始めた。


そして暫くしないうちにポツリポツリと大粒の水が滴り、それは次第に激しさを増してきた。


私はこれはいけないと考え、近くの大樹まで駆け込んだ。


肩口は大分濡れてしまったが、何とか鞄を守る事には成功した。


ここには大切な資料があるので、決して濡らすことはしたくなかったのだ。







雨が降って来た。


私は雨に濡れるのは嫌いだ。


いや、本当は雨に濡れることは好きなのだ。


ただ、今日は濡れてはいけないのだ。


「嗚呼、あの時に乗り合いの時間を確認しておけばよかった。」


現在此処からでは、乗り合いが来ているか視認することは出来ない。


音は雨の轟音に揉み消されてしまう。


つまりこの場にいる限り、私が帰路に着く手立てはないのだ。


私はこの大樹の下で一人、雨の降り行く様を眺める他なかった。







「御一人ですか?」


雨を眺める事にも少し飽き始めた頃、突然後ろの方から声が聞こえてきた。


その声は静かに、しかしながら耳に響くように揺らめいた、淡い印象を持たせるものだった。


私は流石に驚きを隠せず、ついこんなことを聞いてしまった。


「ずっと其処に居たのですか?」


すると、何を思ったのかコロコロと笑う声が聞こえてきた。


「ええ、ずっと此処に居ました。」


その声は喜色をはらんでいて、何となしに穏やかさが辺りを包んだような、そんな気がした。


「あなたもお人がわるい。全く気が付きませんでしたよ。」


私もその声の穏やかさに、ざわついていた心が静められた気がした。


私は自然ともっと話したいと考え始めていた。







気が付くと、すっかりと話をしていた気がする。


どのくらいかは分からないけれども、緩やかに時間が過ぎてゆくのを感じた。


「ふふ、あなたは面白い方ですね。」


見たい、と思った。


こんなに近くに居るのに、どうして顔を合わせようと思わなかったのか。


恐らく其が気にならないくらい会話に、この声の主と話す事を楽しんでいたのだろう。


私が自身の体験や遠い地のことを話すと、その声はまるで、始めて見るものにはしゃぐ子供のように声音を変えて、とても、とても楽しそうに相槌を打って、話の先を促した。


ほぼほぼ、私が喋っていたのだがそれでも相手がこんなにも喜んで聞いてくれると、私の中にも喜びが湧いてきていた。


そうしてとうとう、姿を見てみたいと思ったのだ。


私は、何となく尋ねてみた。


「あなたは、どんな姿をしているのですか?」


すると、声の主はその音を低く返事を返した。


「私はみすぼらしい姿をしております。」


これは、すまない事を聞いてしまったかと、僅かばかりに思ったが、ここは其を否定する。


「誰がみすぼらしいかなんて、そんなことは誰にも決められません。あなたが美しいと思えれば、きっとあなたは美しいのです。少なくとも、私はそう思うのです。」


声に返事は返って来なかった。







どうしても姿が見たくて、話し掛けた。


「あなたの姿を見ても良いですか?」


しかし、やはり返事はなかった。


もどかしく感じながらも、返事を待ち続けた。







遠くから人が歩いているのが見えた。


それは、先生の所にいた弟子の青年だった。


青年は此処まで歩いて来ると、私に手に持っていた雨に濡れていない傘を手渡した。


「先生があなたの事を心配していました。なので私が此処へ来ました。」


どうやら、先生に負担を掛けさせてしまったようだ。


青年の話を聞くと、今日はもう終発は出てしまったらしく、先生の家に泊まるようにと促してくれた。


私も申し訳ないと思ったが、ここは話を呑むことにした。


それと、声の主にも話し掛けてみた。


だが、やはり返事が返って来ることはなかった。







「先生、この度は泊めて頂きありがとうございます。」


「なあに、こんな場所だ、何も無いかもしれないがゆっくりしていってくれ。」


先生に夜の晩餐会に誘われた。


晩餐会というには些か大人しさがあるが、それでもこうして歓迎してくれていることを邪険にすることは出来なかった。


「こんな天気だ、気持ちも何となく落ち込んだりはしてないかね?」


先生は気を使ってくれているのか、そんなことを言い始めた。


しかし、私はこの天気を嫌いだとは思わない。


「確かに、雨は気持ちが沈むかも知れません。ですが、必ずしもそれが悪い事だとは思いません。」


するとその答えに先生はにっこりと微笑むと、静に頷いた。


「その通り、必ずしも上を向いていなくても良いんだ。たまには、足元を、地面をしっかりと見て、そこに立っていることを認識することも重要なことなんだ。」


先生は容器の飲み物が揺れる様を眺める。


「君の中で何か変わったことでもあったかい?」


先生は幾分歳を重ねているだけあってものを見る目が鋭いようだ。


「何故そう思ったのですか?」


後学になるかと思い尋ねてみた。


「雰囲気だよ。君の纏う空気の流れが昼間とは違って緩やかになっているからかな。」


これは私には到底理解は出来ないだろう。


けれども、先生のその直感的なものは的を射ている。


故に、私は先生に尊敬の念を抱いた。


「先生は全てお見通しのようですね。」


先生は私の方を見てこう言った。


「全ては見えないさ。」







大樹の下であった事を話すと先生は考え事をするような仕草を一瞬みせた。


「私が前に此処へ同じように避暑に来たときに聞いた話しなんだがね」


先生は私にこの村に伝わる伝承を話してくれた。







この村には昔、祖先の霊を祀る習わしがあったそうだ。


人は木々に祈りや願いを捧げて霊はまたそれを聞いていたりしたそうだ。


いつしか人は習わしを忘れ祖先のことも、人の記憶から薄れてしまっていた。


けれども彼らは人々を見守り、いつしか植生に身を宿してたまに訪れる人間に話し掛けたりすることがあるそうだ。


そんな話しを信じられるだろうか。


「私には真実なんて分からない。君が話したのは人かもしれないし、もしかすると本物かもしれない。」


先生はそんなことを言っていたが、私はどうだろうか。


昼間話していたのが本当に人ではなかったのか。


いや、そんなことはない筈だ。


私が確めれば済んだ話なのだ。


もしも、また明日に同じ場所にいたら会ってみるのがよいかもしれない。







翌朝、雨が降っているというので傘を借りて出ていった。


どうやら霧雨らしく、視界があまりすぐれない様子だが、乗り合いは平常運転するので、私はそのままの足取りで昨日の場所まで向かって行った。


大樹の下に着いた私は誰かいないかと一回りしてみたが、見付かることはなかった。


やはり帰ってしまったのかと思ったものの、昨日の時点で乗り合いにつけなかったのだから、帰れる訳がないと考えた。


ふと、あるものに気が付いた。


大樹の根元に一本だけひっそりと佇む枯れたすすきがあった。


それを見た瞬間に先生が言っていた事を思い出してしまった。


そして、ついこんな言葉が出てきてしまった。


「みすぼらしくなんてなかったじゃないですか。」


当然返事なんて期待はしていなかった。


しかし、何となく言ってやりたくなったのだ。


私は踵を返して大樹から離れて行った。







流石に今日は間に合って、今は席について外の景色を眺めている。


借りた傘は停留場に置いた。


あとで青年が回収しに来るそうだ。


私はぼおとずっと景色を眺めていた。


返事が返って来るのではないかと思って。

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