オンタケ坊の果し合い3
ゼラとサーマが、ゾルトに相対して、幾ばくかの時が流れた。
突然、サーマの表情が、一瞬驚愕と共に歪み、すぐにそれが抑え込まれ平常へと戻った後、ゼラも眉を顰めた。
「無駄だ。もはや私には通じん。ナーブ王の血による力を貴様如きに抑えられるはずがない」
サーマの法術封じは、より強大な力を前に無力だったのである。
サーマは全く気付き得なかったが、、ゼラは相手の法力がどんどんと膨れ上がるのを感じていた。
ゾルトが凄まじい冷笑を浮かべた。
「見せてやろう。偉大なるナーブ王の血統!その血統たる私の、ナーブ王に近づかんとした成果を!」
突如、ゾルトの目がこれまでにない程に煌々と青く光った。真昼間であるのに、その青光は星の如く爛々と光っていた。赤髪は鮮烈な赤色を放ち、生き物のようにうねり伸び始めていた。
空気が歪み、ゾルトの肌が徐々に赤く染まり始めた。
サーマの唇が噛み締められ、目は見開かれた。
ゼラが苦み切った笑みを浮かべ、
「おい、何だそりゃあ…」
とゼラらしからぬ揺れた声音を放った。
それは、相手が見た目だけ化け物になった訳では無い事を示していた。
ゾルトの赤髪が伸び腰まで達した。指の先は鋭く尖り、口角は広がり、牙のようなものまで見え隠れしていた。皮膚は完全に人間のそれではなく、くすんだ赤色となっていた。
「物の怪じゃねえか……」
「ゼラ……」
サーマが慄きを隠し切れない表情で、ゼラを見た。
「妖怪変化じゃなかか……?」
ゼラは苦笑して返すしか無かった。サーマの発言は間の抜けた響きを持っていたが、それはサーマの動揺の激しさを物語るものだったかもしれないし、ゼラが苦笑して返すのも、普段のゼラならもう少し気の利いた事を言えたのに言葉が浮かばぬ程余裕が無かったといえるかもしれなかった。
「…それは違う」
ゾルトの声音は地の底から響くかのようだった。
「これが、ナーブ王に近づくという事だ…。ゼラ、お前もこの力の凄まじさが分かるだろう?感じるだろう?何故、これを求めぬ…?私と契を結び、血をより濃くし、さらにナーブ王へと近づくのだ。数百年の不遇を経て、我ら血統からナーブ王の再来を誕生せしめるのだ!」
ゾルトが拳を握りしめ、喜色と高揚すら見せつつゼラに語り掛けると、ゼラは大きく呼吸をした。
「ああ、これまで感じた事のない法力だ…。ぬしの力は確かにすげえ。言うだけはある…」
ゼラの髪もうねうねとし、目も爛々と光り出した。
「だが、おらもやられる訳にはいかねえんだ」
法力の衝突は、奔流を生み、それはサーマに膝をつかせる程のものだった。茫然自失で案山子の如くと化したゴウキは、サーマと違って法術封じの防壁も無くまともに食らった為か、操り人形の糸が切れたように、あっけなく音立てて倒れてしまった。
サーマも、びりびりと感じる圧に、腕で顔を覆いながら、もう片方の手をついて歯を食いしばるしか無かった。法力というものが。生まれて初めて、奔流となって襲い来るのを覚えた。突風に襲われるのとは全く感じが違う。巨大な手に抑え込まれ、地を這いつくばざるを得ない、というのが感覚的に似ているとサーマは思った。
法力の感知を出来る者は少ない。それが出来るのはゼラとゾルト以外サーマは知らない。実力のある法術師でも、感知や探知、もしくは推し量るといった芸当は出来ない。だが、彼らと違い一般人でも可能な事がある。いや、可能という言い方は適切ではないのかもしれぬ。法力は所詮力の流れであるからして、それを人にぶつければ誰もが影響を受けるだけなのだ。
サーマもゼラ達と違い、今のところ後者であるが、力の強大さ激烈さというものは、「壁」を通してみても、ひしひしと感じる事が出来た。
「ゼ、ラ……」
ゾルトの異相に違わぬ法力の凄まじさは、サーマのゼラに対する絶対的信頼を揺るがせる程であった。
ゼラが危ない!
雷鳴が体内に轟いたような直感に、サーマは頭が真っ白になった。
ゼラがやられる!?
(そげんはずはなか!)
サーマは慌てて平静に努めようとした。何か考えなければ…。
法術封じは通じぬ。恐らく小細工的な魔動の術も効かぬであろう。
(そいどん…!)
法術封じが食らわなかったのは、それ以上に強大な法術で弾き返したからだ。ゼラもそれをやって法術封じの紋様を打ち破ったのだ。ならば、何度も何度も食らえば消耗するに違いない。
だが。
もう、法術封じの魔動陣を描いた紙は使い切ってしまっていた。サーマは自分を叱り飛ばしたい気分だった。どうしてもっと数に余裕を持たせなかったのか。
「そいでも、やるど…!」
サーマは法力の圧の中再び顔を上げた。
眼前には、強大な力の奔騰を生み出す2つの影が対峙していた。
ゾルトはゆっくりと歩を進めていた。
「ゼラ、さあ、私の元へ来い」
「やなこった。母親が駄目だったんで今度はその娘などっつう、そんな情けねえ奴なんて御免だね」
ゼラの目がより青く光を増し、髪は赤く煌々とした。
真昼間なのに、信じがたい事だ。これが夜の闇の中ならば、どれ程怪しく神々しく輝きを放つ事だろう。
サーマはどこか見惚れてしまっている自分に気付いた。それは、ゼラにだけでなく、禍々しいゾルトの姿に対してもであった。
これが、ナーブ王の血筋の為せる業だとでもいうのか。
サーマが、じいっと見守っているうちに、ゼラとゾルトの身体が矢の様に飛んだ。
目にも止まらぬ速さで、ゼラとゾルトは拳を繰り出し合っていたのだ。一瞬目を凝らして、ゼラの拳がゾルトの腹部に直撃した一方で、ゼラの額にゾルトの拳が炸裂したのだと分かった次の瞬間、2人の両腕が原型が分からなくなる程の速度で繰り出されまくった。
ドドドドと殴り合いが出す音とは思えぬ轟音を響かせながら、最終的にゼラが吹き飛ばされた。
サーマが、あっと思ったその瞬間には、ゾルトの放つどす黒い稲光とゼラの赤き雷光が空中で衝突し、ばああんと凄い音と風圧と法圧の混成隊となってサーマを襲った。
「うわああ」
思わず声を上げ、顔を伏せるサーマであったが、その視界の端で、ゾルトの仲間であったパナとゴウキの身体が枯れ葉のように舞っていた。
サーマが地面に指を走らせ始めたのはすぐ後であった。
ちらちらと様子を伺いつつ、地面に指を走らせ続けている内に、パナとゴウキの身体は何度も地面にもんどりうっていた。
幾度目かの爆発の後、ついに2人は天高く浮かび上がっていた。
サーマは根気を振り絞って、魔動により風を操って、衝撃を吸収させて地面に横たえさせた。さらに地面に傾斜をつけた上で、法力飛び合う危険な防壁の中へ入り込み、2人の身体を引っ張って外に出した。
サーマは息荒く、膝に手をついた。地面には突貫で描かれた魔動陣がいくつもあった。サーマは大きく息を吐いた。
身体的に疲労があったのは無論だが、危険な事をしたという緊張感とがより疲労感を増していた。さらにいえば、とっさに頭脳と知識を回転させて陣を描いたのである。法術と違って、魔動は指向性があるのである。細かい挙動をさせ、自在に操るのは、法術のように感覚で済ませられず、いくつもの魔動陣を順序を工夫して発動しなければならない。相当に骨が折れるし、緻密な思考と高度な知識が必要になってくる。
法術使いが魔動は面倒だというのはそこにある。
だが、そこが逆に利点とも言え、法術師が天稟と血の滲む鍛錬の結晶である一方、魔動は理論と知識の習得さえ叶えば、天稟など要らぬのである。
(なんとか……)
ほっと息をつくのも束の間、サーマは顔を上げた。
法術封じの防壁を隔てて、法術の応酬が繰り広げられていた。死闘というにはあまりに色鮮やかで美しさすらあった。