井戸の中
サーマは暗い部屋にいた。
目を覚まし、動転しながら周囲を見回す。
椅子に座らされ、縛られている。
愕然とした。
「お目覚めかな?」
男の声だ。しかもカナリス語だ。
「何が目的でこんな事を!?」
サーマは震えを押し隠しながら、あくまで平静を装って尋ねた。
「わたしを何故攫ったのですか?」
目の前に薄っすらだが、人影が見える。だがはっきりとは分からない。
「あなたは運が悪かったのですよ」
男は応える。
「ですが、大人しくしていれば返します。ただ、我々の目的は身代金だ。カツマの人間とあらば、大金も得られよう」
笑っている。
サーマはカツマの皆の事を思い浮かべた。イワラ様やマリナリ、自分の軽率な行動で彼らに迷惑をかけてしまった。
もう少し早く、助けを呼ぶ事に気を回すべきだった。
申し訳なさと無念さに押しつぶされそうだ。
その時、何か聞こえた。
目の前の男が焦っているのが分かる。
また、聞こえた。
サーマは耳をそばだててみた。
次は言葉まで聞き取れた。
「ここから出せ」
ゼラの声!
男が苛立っている。
「気にしなくていいですよ。他にも攫ってきた者もいるのでね」
「身代金目当てですか」
「そうです」
「ならば、こんな愚かな事は止めるべきです」
サーマは勇気を振り絞って言った。
「あの娘もわたしも、サパン国の要人です。このままでは外交問題に発展します。そうなれば、あなた達もただでは済まない」
「心配はいりませんよ」
男は笑った。
周囲の仲間と共に笑っている。
その時、サーマはふっと沸いた疑惑に愕然とした。
この者達は、本当に身代金目当ての誘拐犯か!?
ただの金目当てのごろつきとは思えない落ち着きぶりだ。
「あなた達の本当の目的は何ですか!?」
「言っているでしょう。サパン国の要人とあらば大金が手に入る」
「いいえ嘘です」
サーマは首を振る。相手に見えたかは分からない。
「わたしを攫ったのはたまたまでしょう?わたしに見つかってしまったから」
「何を言うのやら。もともとカツマから1人、トトワから1人の計画でした」
「それはおかしい。それなら何故、ホテルの前にいたんです?1人で歩いているところを攫った方がよっぽどいい。ホテルを襲撃するつもりだったとでも!?」
「……」
カマをかけつつやったら、相手は思ったより早く馬脚を現したようだ。
「では、正直に言いましょう。あなたは間違えて連れてこられた。今のところわれわれの顔は見ていないでしょう?娘1人夜出歩くなどあってはならない事、これは誰にも言わぬ事だ。それを守れるならすぐにでも解放しましょう」
高圧的な物言いだった。
「それなら、さっきの声の主も解放してあげてください」
「それは駄目です。もともとトトワのみを相手に身代金を得るつもりだったのです」
「何故です?攫った獲物を何もせずにみすみす解放するのですか?」
男は黙った。
「わたしは必ず誰かに言うでしょう。ですからあの者を解放して下さい」
サーマは自分が危ない道を渡っているのに気づいていた。それでも、ゼラを助けてやりたかった。下手をすれば自分の命が無いのも分かっている。恐ろしかった。
目の前の者達は、単なる人攫いではない。
だとして、どうすれば……。
(考えろ。考えろ……)
「もういい、この小娘も放り込め」
男は苛立って言った。
横にいた男達がサーマを椅子ごと抱え上げた。
「まさかとは思い警戒していたが、カツマの者に、しかもお前のような小娘に勘付かれるとは思わなかった。こうなったら仕方ない。お前も死んでもらう」
サーマは抱え上げられて部屋から連れ出される瞬間、男のはき捨てる声を聞いた。
「止めてください!こんな事をしても!」
カナリス語でそう喚くしかなかった。
サーマは暗い井戸の前に連れてこられた。屋内にある井戸。恐ろしくて仕方なかった。まるでこの為に作られたかのような……。
下には仄暗い闇が広がっている。
「ひっ……」
椅子から降ろされ、思わずたじろぐ。
後ろから背中を押され、悲鳴を上げながら闇の底へ落とされる。
気づくと、誰かに抱きかかえられていた。
「危なかったな」
聞き覚えのある声だ。
「ゼ、ゼラ!」
ゆっくりと降ろされた。
闇の中、うっすらとゼラの顔が見えた。
「まさか、ぬしまで攫ってくるとは」
ゼラは座り込んで井戸の壁に寄りかかった。
サーマは思わず上を向く。
小さな点のような光が、頭上から僅かな明かりで井戸の底を照らしていた。
サーマもとりあえず息をつき、ゼラのように座ろうとしたら、「そこは駄目だ」とゼラ。
サーマも何か感触を感じたので、驚いて振り向くと、人が横たわっていた。
寝息を立てている。
「おらの後に入れられた。最初から眠っちまってる」
サーマは横たわる人影をまじまじと見て「子供じゃなかか!」
と思わず語気を荒げてしまった。
こんな子供まで、許せない。
「いったいあの者達は、何を企んどる」
サーマの声に反応したのか、人影が起き上がった。
「ほら、起きちまったぞ」とゼラ。
その人影はきょろきょろと見回し、呆然とした様子であった。
サーマはカナリス語で話しかけた。
「心配しないで、あなた1人じゃないのよ?」
「あなた達は?」
その人影は少女だった。
「あたし、どうしてここにいるの?」
「それはわたし達も分からない。でもきっと助かる」
サーマは微笑みかけ、手を握る。
「だから、怖がらないで」
その様子を見ていたゼラが言った。
「ぬしがカナリス語が分かって良かった。おらだったらどうしていいか分からんかった」
「そいで、どげんする?」
サーマがゼラの方を見る。
ゼラは上を見上げる。
「井戸には鉄格子の蓋がされとる。どうもそれには法術封じがされとるようだ。まあ、おらならそれを破れるだろうが、さらに井戸の近くには魔動遣いが4人。この子を守りながら抜け出すのは1人では荷が重い」
サーマは考え込んだ。
「あの者達は、何が何でも私達を逃がさん心づもりだろう。下手をすれば身の破滅だから。かと言って、何もせんというのも……」
「恐らく、トトワの者達もカツマの者達も、おら達が攫われここに囚われとるとは嗅ぎ付けられんだろうな」
ゼラの口調は重々しい。
「おら1人なら、どうかなったかもしれねえが……」
苦々しく呟く。
「おはん、大した自信じゃなかか」
サーマは笑う。
沈んだ気持ちを少しでも振り払いたかった。
「自信じゃねえ、確信があんだ」
今度はゼラが笑う番だった。