カツマの少女と元御庭番の少女
太陽はほとんど傾き、周囲の路地は静かだった。
「天誅?何ばいいよる!?」
サーマが自分に刃を向けてきた少女から目を離さずにいる。
「天誅は天誅以外何がある!」
パナは法力の渦を纏った刃を振り下ろす。するとまるで蛇が獲物を襲うかの如く波打ってサーマに渦が伸びた。
サーマの前方でそれは弾かれ、空気をきいいんと鳴らした。
「何ぃ!?」
パナは舌打ちした。
まさか、防がれるとは思っていなかったからである。自分は御庭番として優れた法術の業を身に着けている。方や相手はカツマ出身なだけで勝者となった小娘に過ぎない。ちょっと法術が使えるからといって、修練を重ねたパナの敵ではないはずだ。
パナは改めて目の前の相手を見る。年はパナと同じくらいで、髪はゼラの赤と違って金に近い髪色の少女だ。
「納得がいかん。天誅とは何の天誅じゃ。ゼラの代わりと言ったが、どういう意味か。わたしには話を聞く権利がある」
サーマの口調は問い質すといった風で、パナを少々苛立たせた。
「ゼラの代わりにお前が誅されるのだ」
「さっきも聞いた」
サーマが首を振った。
「ゼラは逆賊だ」
「ないが逆賊か。ゼラが何をした?」
「っ…我らが主の命に背いた!」
あまりに苛立ったので、主君の名であるカルプのカまで出かかったが、かろうじて抑えた。
「主とは誰じゃ」
間髪入れず当然のように訊いてくるのでパナは歯軋りした。
なんなのだこいつは。
(いや、待て)
パナは平静を取り戻すのを心掛けた。この娘はこちらをかき乱すつもりなのだ。動揺を誘っているのだ。そうはいくものか。
「お前に応える義務はない。何も知らずに死んでいけ」
パナは改めて剣を振りかぶった。
「訊くが、おはんは命を受けてわたしを狙っているのか?」
サーマはじっとパナを睨み付けるような視線をぶつけてきた。
「言わぬ」
パナは自身の思わぬ動揺に戸惑いながら、それを必死で隠した。
「ゼラを殺せと、おはんの主君が命じたのか?」
「言わぬ!」
「もしや、ゼラを殺すという命すら受けておらんのか」
「黙れ!」
パナの刃が唸りを上げ、地面をえぐる。すると地面から土柱が飛び出し、サーマの身体が吹っ飛んだ。
(良し!)
サーマは思い切り地面に叩きつけられた。
「がっ……」
サーマは地面に横たわり、苦悶の表情を浮かべながら呻いた。
「ごほっ…げほっ…」
「はは」
パナは思わず笑みが零れた。地面を柱として腹に直撃されれば臓腑は徒では済まない。今に血を吐き出すだろう。
しかし。サーマは腹を抑えながらも起き上がり、尚も苦痛を顔に浮かべながら、
「おはんは天誅などど言って、その実自分自身のうっ憤を晴らしているだけだ。主君からの命でもなく、勝手に行動を起こしているだけ。そんなもの天の誅罰であるはずがなか」
サーマの表情には怒りさえ滲んでいた。
「そんな者に殺されてたまるか」
馬鹿な。何故口を利ける。それに、どうしてここまで強気を貫けるのか。
臓腑をやられたはずではなかったか。
パナは歯軋りした。
「黙れ、お前は賊だ。カツマの賊だ。誅罰するに充分足りる!」
パナの刃が再び振り被られ、サーマに振り下ろされようとしたその刹那、パナは不思議な感覚を覚えた。
ふっと力が抜けるような、奇妙な感覚だった。風が吹き去るように刃から法力の渦が消え去っていく…。
パナは口をあんぐりした。
「……っ!」
改めてもう1度、法力を込める。しかし、あの沸き上がる法力の沸騰を覚えない。法術師ならば誰もが陶酔するであろう、内なる法力の解放が、あの感覚が、どこかへ消え失せてしまったかのようなのだ。
「ば、か、な」
パナは再度試みたが、無意味だった。
「効いたか」
サーマの声が冷淡に響いた。
「すまん事をした。なに、一時の事だ。何時間か何日か、そいは分からんが」
「何を言っている…!?何をした!?」
焦慮を隠せないパナの罵声に、サーマは腹を抑え苦痛に歪んだ表情で、
「さっき食らった時に、発動させた。あれは官製で比べるべくもないが、法術封じの魔動機と仕組みというのが、身体に魔動紋様を打ち込んで、その魔動力によって体内の法力の流れを操り、結果封じようというものなのだが、それをちょっと手動でさせてもらった」
そう言って、自嘲的な笑みを浮かべると、手元を開いて紙を見せ、
「ここにある魔動陣を相手に合わせた一定の方向性で発動させる。何より向きと機が大事で、さっき法術を食らうついでに、発動した。おはんから放出した法力の流れに乗って、おはんの身体の内で作用したとじゃ」
パナは驚愕と怒りにわなわなと震え、もはやサーマを睨み付ける事しか出来ない。
「お前はあたしに法術封じをしたというのか…!!」
「最近、政府の人間への襲撃事件が相次いでいるので用心しとった。おはんじゃなかかもしれんが。以前法術封じを施した身として、少し勉強した。あれは元々異端の人々相手に開発されたものだったそうだが…」
サーマは息をついた。
「それを今更、法術師に用いようとは。しかも専用の魔動機まで作って」
パナはサーマの言葉に一瞬耳を疑った。
「法術封じをお前もやったのか…!?」
何故、カツマの人間が?あれは反政府だった法術師を狙い撃ちする為のもののはず。政府の横暴を示す証左ではなかったか。
「そうじゃ。法治主義を率先して示すつもりじゃった。じゃっどん、ほんの数人は追従してくれたが、やはり法術師としての誇りもある、政府側の法術師としての特権も失いたくない。なら法力を奪われた法術師の気持ちも分かろうというものだが…。『法術禁止令』が聞いて呆れる」
パナは理解し難かった。何故自分から法術師であるのを辞めるのか。全く理解の外だった。目の前の少女は自分とは全然価値観の違う相手だと実感した。
「お前は、サパン国の法術師であるという誇りは無いのか……!?」
「こっちだ!!」
「急げ!」
すると、角を曲がった先から幾人もの声がした。足音からして走っているのが分かる。普段のパナなら、だいぶ前から気づいていても良かった。だが、本調子ではなかったのだろうか。政府の巡回兵が目の前に現れた時、パナは茫然としたのだ。
「何をしておる!」
「大人しくせんか!」
兵士達は抜刀し、夜闇に月光に照らされ、幾本もの煌めきが2人に向けられた。
(……ここまでか)
パナは剣を修めた。冷静さを欠いたとはいえ、彼女は厳しい修練を積んだ特別な人間なのである。トトワ王家を守った御庭番なのである。潮時は心得なければ、と自身に言い聞かせた。
「…エルトン・サーマ、いずれ相まみえようぞ。その時は必ずや報いを受けさせる。サパンの誇りを蔑ろにする罪、免れがたし!」
パナは踵を返した。
背後から、騒ぐ声がし、追いかけてくるのが分かる。だが、パナに追いつける者は滅多にいない。ぐんぐんと引き離され、幾度も角を曲がり、方向転換を繰り返し、ついにはまく事に成功した。
サーマの元には1人兵士が残された。
「大丈夫ですか?」
兵士が、腹部を押さえながら喘ぐサーマを伺った。
「心配はいりません…。寸前で防いで何とか……」
しゃべると激痛が走り、ついに耐えかねて蹲ってしまった。食らう寸前に法術封じと同時に魔動による防壁を張ったのだが、それでも土柱が直撃してしまった。
「お送り致します。エルトン殿」
兵士はパナの言葉でこの少女がエルトン・サーマであると知ったのである。ミラナ王女とつながりがある、言ってしまえば政府の有力者だ。
「……馬車を呼んで下さい」
息も絶え絶えでサーマは言った。
「おのれおのれおのれ!!」
パナは夜闇を駆けていく。
こうなれば一旦、王都に潜む仲間に合流せざるを得まい。その上でゼラとサーマ、あの2人への対策を練ればいいのだ。
「見ていろ、見ていろ!ははは!その身で贖ってもらうぞ!」
もはや呪詛にも似た言葉を吐きながら、パナは駆けて行った。