矛先
パナは周囲を見回し、宿場街の隅々まで目を配ったが、ゼラは煙のように消え失せていた。
おそらくは、近くの山にでも逃げ込んだのであろう。パナはそう確信した。消えたところに戻ってみて、地面を改めて確認すると、足跡が残っていた。御庭番の捜索力を示す時である。
足跡を辿っていく。やはり法術で地面を蹴り上げており、歩幅は常人の数十倍となっていた。それを辿っていくと、
(やはり木に飛び移ったか)
パナも飛び上がると、太めの枝に足跡が残っていた。蹴った際の擦れた傷が生々しい。
そこからどこへ向かったのか。
足跡の向きから判断する。あそこの枝までだ。飛び移る。
やはり、そうであった。次は。
パナはニヤリとした。過酷な修練の末に会得した術を生かす場を与えられた事に、高揚感に近いものすら覚えていた。だが、それとは裏腹に、主命を失敗した焦燥感もある。
パナはその恐るべき観察眼によってゼラの足跡を辿っていたが、ゼラのある能力を知っていれば徒労に終わると気づいたであろう。ゼラ自身が待ち受けようとしない限り、パナはゼラから逃げられ続けるのだ。
ゼラの法力察知は、パナの動きを把握していた。
木の枝を飛び移りながら、あえて今度は地面に降り立ち、沢に入った。浅い所を走る。
(追ってきてるな。だが、川の中ならどうだ?)
流れで足跡も残るまい、それに、匂いも流れる。足跡で判断される可能性もあるが、むしろ向こうの能力を把握したいゼラであった。耳で辿ってくるのなら早く分かるに越した事はない。
しばらく走っていると、気配は、ある場所で留まった。
やはり、川から先は追えないのだ。
(耳がいい訳じゃねえのか)
ゼラはニヤリとし、さらに進む。滝すらも彼女の足を止める事は出来ない。
遥か後方では、パナが屈辱に愕然となっていた。歯軋り地団駄を踏むパナであったが、
(怒ってるだろうな)
とゼラは少しばかり気にかけた程度であった。
(何故だ?何故だ)
パナは山に分け入って、ひたすら見回し、草木をかき分け、走り回った。恐らくゼラは沢に入ったのだろう。足跡も痕跡も消えてしまい、おかげで振り切られてしまった。並の人間なら山中で沢に入ればいずれは滝や崖に行き当たり足は止まる。だが、相手はゼラなのだ。その卓越した法術を以てすれば足止めされるものなど山には存在しない。
カルプ様の命を果たせなかった。この事実がパナの焦慮に駆り立てた。草木を蹴り上げたり、法術を辺り構わず放ったりして、気づくと周囲は土煙と共に木々が滅茶苦茶に倒れ、散々たる有様だった。
パナは暴れ回ってだんだんと思考も落ち着いてきた。
もはや、無駄な事だ。勝ち目の無い勝負だ。追いかけていても絶対に捕まえられない。待ち伏せや先回り、そういった手段でしか奴と出くわす事はあり得ないだろう。
山を降りる事にした。
もともとは、ゼラと王都アカドに向かうはずであった。そこで仲間と落ち合う予定だった。だが、全ては崩れた。自分が命をしくじったと知られれば、皆が嘲笑するであろう。カルプ様からどんなお叱りを受けるか……。
パナは暗澹たる思いであった。
このまま、受け入れるか…。
山を降り、街道をしばし歩いた。
足は王都へ向かっていた。
何故かは分からない。何も果たせず主君のもとへ戻る事は考えられなかった。
パナの過ちはまずここだった。
正直に話して分からぬ主君ではないはずだった。姿をくらまし仲間に加わるのを固辞したゼラに失望こそすれ、パナに怒りの矛先を向けようはずもなかった。そもそもゼラを王都へ連れて行くというのも、パナ1人には荷が重過ぎたのだ。
しばし、歩を進めたが、パナは自分の脳裏に何があって、王都へ向かっているか、はっとした。
そして、さらに歩みを進める。
ゼラは、我らに与しようとしない者である。我らの理念を理解しようともしないばかりか、カルプ様の命に背いた賊だ。
王都にゼラがカナリスに留学していた頃に知り合った者がいるという。カルプ様に同行する形でカナリス国の都パラスに向かったゼラは、そこで同年代の娘と知り合った。同行していた者達の間では誰もが知るところだったという。しかも我らの敵の政府の中枢を担うカツマ藩出身の者だ。
そんな者と親しい仲であるゼラなど、やはり味方になる訳がなく、むしろ敵といっていい。
(なら、あたしがしようとしている事を、カルプ様は賛同なさるはずだ)
王都を自分達の者のように闊歩し、屋敷を構えた奴らの1人であるその者を、罰しなければならない。ゼラへの見せしめとして!
(エルトン・サーマ!)
パナはその名を何度も反復した。