さる人物
さる人物、という者が潜伏しているという村は、公に出来ない場所にあるらしい。街道を辿って、ある小路に曲がってさらに進み、ついには獣道と思しき足場の悪い道を辿った。
「大層なところにいるんだな」
ゼラが笑うと、カキとコウは、ぜえはあ言いながら頷いた。2人の方が先にバテたようである。
「あんまり行きたくねえんだ」
「何度行っても辛え」
ゼラは苦笑しながら、2人の速度に合わせる羽目になった。
突然、開けた場所に出た。荒涼とした大地が続き、遠くに屋敷が見えた。萱葺きの古めかしい大きな屋敷であった。
門も大きいが、古ぼけており、一時期廃墟になっていたのを、また人が出入りし始めた趣があった。
カキとコウの2人が先に門へ入っていき、しばらくして戻ってくると、ゼラにも入るよう促した。
罠があるとは思えない。あったとしても面白い。
ゼラが玄関に通され、侍従らしき人物に書院へと案内された。
カキとコウと並んで、下座に座っていると、襖が開いて現れたのはゼラの知っている人物であった。
ゼラはあまりの驚愕に口をあんぐり開け、仰け反ってしまった程だった。
「久しいな、ゼラ」
その人物は、ゼラより1歳ばかし年下で、まだあどけなさすら讃えていたが、かつての地位や身分にふさわしい気品と風格を備えていた。
トトワ・カルプであった。
王太子の実弟にして、ゼラと共にカナリスへ留学に行った少年は、何故、このような所にいるのか。
「ついさっき、お前の事を訊いて驚いた。無事であったのだな」
「で、殿下、なじょしてここにおるんです?」
ゼラは喘ぎながら訪ねた。
カルプは涼やかな微笑を湛え応えた。
「話はある程度聞いておるな?何をするのか」
ゼラが頷くと、カルプは言葉を紡いだ。
「政府の行いに反発する者は多い」
「だとしても、殿下が為さる必要はねえはずです」
「私がせねば誰がするのだ?」
カルプの口調は穏やかであった。
「やり過ぎればトトワ家にも迷惑がかかります」
「誰かが受け皿になってやらねばならぬのだ」
「なにも殿下でなくていいでしょう」
「私がやると決めたのだ」
ゼラは言葉を詰まらせた。心の底では政府に対する反感があるゼラなのである。カルプと共にトトワ陣営にいて戦った相手に、未だ拭えぬ敵対心がある。
だが、このまま戦ってもカルプに待っているのは破滅であろうし、トトワ家そのものの存続も危うくなってくる。政の座から引きずり降ろされ、そのまま滅ぶ道もあったが、せっかく生き残る事が出来た。なのに、また滅びの危機を自ら招き寄せるつもりなのか。
「特に、おまえも法術師であるから、分かるはずだ」
「ええ、分かりやすが」
ゼラは頷いた。
「なら、我々の仲間になれ。そしてサパン国の為政者はトトワがふさわしい事を示そうではないか」
カルプは立ち上がって、ゼラの手をとった。両手で握りしめて、視線を合わせ訴えてくる。にっこりと微笑んで、目には涙すら浮かべていた。
「留学の際は、船の上にあっても、カナリスにあっても、まったくといっていい程相対した事は無かったな。しかし、今やこうして共に生き残り、顔を突き合わせておる!」
ゼラはゆっくりと手を引き、頭を下げた。
「殿下、お話は分かりやす。でも、おらは加われません。どうか、殿下、お考え直し下さいませ。他のトトワ家の方々はお仲間なのでございやすか!?そうでなければ、お止めになった方がよろしいでございやす」
ゼラは政治が分からぬ。それでも戦いに生きてきたのは義憤の心が人一倍強かったからである。だからこそ、カルプの言いようが所詮はトトワ家の者として権力を取り戻したいのが第一に聞こえてしまった以上、乗り気を削がれたのも止む無しといえた。
「他のトトワ家は知らぬ。父上や兄上は、もはや政府に反抗もせず大人しくしておる。だが、私が立てば、反政府の者達は次々と立つであろう」
上座に戻ったカルプはゼラを見下ろした。
「法術禁止の法は知っておろう」
ゼラは首を振った。
「そうか、知らんか。法術はトトワ王朝以前からサパン国の誇りだ。それを失わせようとしておるのが政府だ。既に国中の法術師がしょっ引かれ、無理やりに法術封じが施されておる。法術師らの怨嗟の声は日に日に高まっておる。法術を修めたお前なら、彼らに同調するのが筋であろう」
「確かに、おらもやられました。あの悔しさ無力さは、未だに夢に見る程です」
「ならば!」
「ですが、それとは話は別です!」
ゼラは語気を強めた。
「だからといって、殿下に立ち上がって欲しいとおらは思いません!」
「この、分からず屋め!」
「分からず屋で結構!おらは、直に政府軍と戦った身、どれだけ強大な相手か知っておるつもりです!」
「当時と今では事情が違う。立ち上がるなら今なのじゃ」
カキとコウは互いにちらちらと視線を交わし続け、居た堪れずにじっとしていた。
カルプは溜息をつき、立ち上がった。
「分かった。なら1つくらいは頼みを聞いてくれ」
「聞けることなら」
ゼラの態度は堂々としていた。
「アカドへいって実態を見てくるといい。聞けば、ここ2年ばかり山に籠っていたそうではないか。なら世情を知らぬのも無理はない」
「世情を知って、考えを変えろと仰せですか」
「ああ、私は無理に仲間に加われというつもりはない」
カルプは書院を出、3人はその一晩逗留する事になった。
ゼラは外の空気が吸いたくなって、荒涼とした眺めを半ば楽しんでいると、冷たい外気が彼女の肌をくすぶった。まだ、この辺りは寒気が強いようだった。
自分の意思ではなく、人の都合によって戦わされるのが繰り返された為に、今回は絶対に断ってやるのだという強い意志が働いていた。かつて付き従った相手だとしてでもある。
これ以上、政に翻弄されるのはうんざりだった。
(でも、あの2人、こんな事に関わって無事で済むかな)
胸中で呟き、草木が冷風にさらされるのをじっと眺め続けた。
1人ぶらりとゼラが外へ出ている隙に、カキとコウはカルプへ非礼を詫びた。自分たちが連れてきた者がかくも無礼を働いた罪を謝した。2人もただ金で雇われたとはいえ、カルプの人柄に魅せられていたし、感化されつつあったのである。
「なに、赤髪でかつ法術師となれば、もはや宿命であろう。イリダ・ナーブ王の血がサパンの伝統と法術を否定する政府を許すはずがないのだ」
かつて、ナーブ王の死後に取って代わって権力の座に座ったトトワ家の、その末裔は言った。