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松の木は残った  作者: おしどりカラス
第2章 動乱編
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隠遁生活

 ゼラは山の中腹の掘立小屋を寝床と決めて、横になっていた。

 数日ここにいるが、今のところ誰も帰ってくる気配はない。それに、荒れ果て振りから見て廃屋といっていいだろう。

 さて、しばらくここに住もうか。そうとすら考えているゼラであった。今はとにかく何にも巻き込まれたくないし、人にも会いたくない。そんな気分だった。

 ここでひっそりと暮らして、気が向いたら山を出ようか。

 ゼラは自分には学が無いとの思いが強かったが古き時代の仙人のようだ、と自身を顧みた。


(世を捨てる。隠遁ってやつだ)


 おかしくて笑ってしまった。

 そういうのはお偉い学者や僧侶がやるべきもののはずだ。考えすぎて悲観した世捨て人なんて自分の柄じゃない。

 なら、自分のこの虚脱は何であろうか。

 サーマが聞いたら笑うだろうか。あいつは世に積極に関わろうとする人間だ。自分にも何か出来ると信じている人間だ。


(なら、おらは信じていないのか?)


 ゼラという娘らしからぬ、覇気の失われた姿がそこにあった。

 自分の力に自信があった。

 自分の強さに自信があった。

 自分の意思を貫き通し、敵を打倒し、守りたいものを守れる。そう信じていた。

 なのに、師を守れず、友を危険に晒し、友に迷惑をかけた。

 ゼラにとっては痛恨事ばかりであった。


(きっとサーマも……)


 あの時見せた苦悶の表情は、ゼラの事で相当苦しんだ証であった。恐らくは彼女自身の立場も危うくさせたがそれ以上にゼラを心配してやまなかったのであろう。


(あいつはそういう気質だ)


隠遁生活は当初魚釣りや薪拾いに始終した。これはこれで気楽なものだったし、こうして1人でいると小鳥のさえずりや木々のざわめき、遠くから聞こえる鳥の鳴き声、せせらぎの音、などが心地よく感じられる。だんだんと暖かくなってきているし、時折小動物も見かけるようになった。

 まったく、人気の無いのが不思議であった。小屋があったという事は昔人が居た証拠であり、近くにも村があるに違いないのだ。ゼラは今のところは下りて行く気持ちは無いが、いずれ街に繰り出すかもしれぬ。自分の気質からいって、あり得る話だった。何分都会生活に慣れているゼラなのである。

 いつか、畑を作りたい、と小屋の目の前の原っぱを見て思うゼラだった。草が生い茂り、青々とした緑が一面に広がっている。誰も耕した事のない土地だろう。

 政治やら何やらに、もはや関わりたくもない。もともと興味など無かったが。図らずも大きくかかわる羽目になった。

 サーマの様に、志を持って積極的に関わっていくのは自分には不向きだ。色々我慢しなければならない事が多い。

 そうして、いつものように野兎や魚を採り、捌いて、煮るか焼くかして、腹に入れる。そういう日々を過ごした。

 ふと、頭をよぎるのが、師であるシンエイの事である。無念の死であったろう。新政府は憎いが、関わるのもうんざりである。向こうもそうであろう。赤髪の厄介な娘、だ。


(リュカさんは何をしとるだろうか?)


 無事だろうか。いや、無事には決まっていよう。シンエイ様の墓も建てているかもしれない。そうすると、いつまでも墓参りに来なければ怒るだろう。


(弱ったな)


 ゼラは苦笑した。

 だが、まだその時ではないような気がした。まだ情勢は安定していないだろうし、のこのこ出て行くのも逆にリュカや、師シンエイの家族にも迷惑をかける事になるだろう。

 もうしばらく、ここにいるべきだ。

 


 水浴びをして、服を乾かして、周囲に誰もいないのを確認する度、解放感に襲われる。人目を気にしないで済むのはいい気分だ。ゼラは不遜に振る舞ったりするが、やはりその赤髪が人目を引くのを気にしないではなかった。人々の視線が髪に行くのをずっと知っていたのである。あのサーマでさえ、赤い髪に視線を送る欲求に耐えかねていた。

 小さい頃はこの赤い髪が億劫になる事さえあった。だが今は誇りだ。


(母ちゃんとのつながりだ)


 母は素晴らしい女性だったに違いない。うっすらと面影が浮かぶような気はするが、顔など覚えていない。だが、確信に近い思いで言えた。

 自らの出生を肯定するのが、ここまで幸福感につながるものかと驚くばかりである。

 ゼラはもはや、今の状況を幸せだと感じていた。


 春が過ぎ、夏が来て、秋になって冬を越す食料の足りないのに気付き、とうとう麓へ降りるまで、ずっと山に籠っていた。

 麓の街の往来で出会ったのが、行商人のエイチゴだった。彼はでっぷりと太った肌艶の良い男で、にこやかに人好きのする笑顔をいつも浮かべているが、その目は油断なく光っていてゼラの興味を引いた事だった。


「食うものにお困り?なら、お話が。あなた法術師で?」

「なじょして分かる?」


 旅籠屋の2階でもてなしを受けたゼラであった。


「見れば分かる。法術師というのは匂いを発している。あなたは普通の小娘ではない」

「この髪を見てか」


 ゼラは自身の赤い髪を一本つまんで見せた。


「それだけじゃござんせん。実は、あなたが山を下りる時を見てしまった」


 エイチゴはニヤリと笑った。

 ゼラは、法力を使って木から木へ飛び移っての山下りをしていた。


「見ちまったか」


 エイチゴは頷く。


「そりゃ、ただで済むとは思わんことだな」


 ゼラの声色は凄みを利かせて、場を震わした。

 しかし、エイチゴは気圧された様子は無かった。


「新政府は法術師への弾圧を開始する由、噂の法力奪いの魔動機を使うそうで。それでたちまち法術師はただの人になってしまうとか。サパン国古来よりの法術を失うのは惜しい」


 ゼラは頷いた。


「あれか。あれは厄介だ」

「知っていると?」

「ああ、食らった」

「なら、何故、法術が使えるので?」


 エイチゴは身を乗り出した。

 ゼラは額を指差した。


「ここに刻まれた紋様を打ち破った」

「打ち破れると?」

「さあ、おらもあの時どうやったかは分かんねえ」


 ゼラは首を振った。


「だとすると、その時からさらに改良が加わっているだろうね」


 エイチゴはしみじみ言った。


「つまりだ!」


 彼は膝を叩いた。


「法術が失われるのは惜しい。そこで法術師の働き口を作ってやろうとしておるのだ。裏の世界での話だがね」

「まずい話か?」

「ああ、まずい話だ。だが、金になるはずだ。表だってはしない。こっそりと、だが政府の高官や要職の連中も喜ぶはずだ」

「なら、断る」


 立ち上がろうとするゼラを手で制したエイチゴは言葉を続けた。


「法術師が法術を使って、模擬試合を行うのだ。興行にもなる。賭け事に使っても構わぬ。どうだ!?その先達とならぬか?表では生きられぬ法術師が裏で法術師として生きていけるのだ」


 ゼラは鼻で笑った。


「お前の飼い犬になれってか。法術師は興行主の闘鶏になるのか。面白いかもな」

「いや、興行主はあくまで興行主だ。法術師の所属先は自由だぞ」

「自由ねえ」

「トトワ時代の法術師だって、藩やトトワのお抱えだったはずだ。それと変わるまい」


 エイチゴがニヤリとすると、ゼラもニヤリとした。

 ゼラは自分の感情に驚愕していた。それと同時に呆れてもいた。きな臭い事には関わらぬと決めたはずではないか。だが、何故か強く惹かれるのである。

 いつもそうであった。闘いというものに血が沸騰する感覚を覚えるのである。

 隠遁中の穏やかな彼女はどこかへ消え失せていた。

 しかし、ゼラは自制した。


「金に困ったら頼るかもしれねえ。この赤髪だ。新政府に目をつけられてる。始まったばかりで波風立てるのはよくねえ。頃合いを見て呼んでくれ。考えておく」


 エイチゴは残念そうな顔すら見せず、ニコニコと頷いた。


「無理言ってすまないね」

「それと」


 ゼラは立ち上がったがエイチゴへ振り返った。


「政府におらを売るなよ?」

「もちろんだとも」


 2人は微笑み合って別れた。意気投合したとも、牽制し合ったとも、どちらとも取れる様子だった。


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