別れの後
4月6日、カラマツ城開城の報せはサーマの耳にもすぐに届いた。
「引き続き赤髪の娘の捜索に当たりたいところでございもすが……」
サーマは兵士達に尋ねた。
兵士達は渋い顔をしていた。やる気など起きようもなかったのである。サーマの手前もあり好き勝手にも振る舞えぬし、捜索といっても山に分け入るくらい。しかも捜索にはサーマは兵士を同行してくれず、その代わり赤髪の娘と一時同行していたという若い男女2人を連れて行くばかりである。まあそちらの方が気楽なものであるというのは、兵士達の総意であったが。
サーマが報告をしていないので、ゼラはまだ発見されていない事になっている。
「ないごて、我らはこげん事ばせんといかんとですか?」
兵士の1人が声を上げた。
「どうせもう、この辺りにはおりもはん!」
「捜索の場を広げてみては?」
サーマは苦笑しながら頷いた。
「わたしもそう思いもす。今、お伺いの文を送っており、その返事を待っているところでございもす」
タイゴ・マカナル。新政府の重鎮にして、カツマ藩の中心人物。サーマにゼラの捜索の密命を与えた人物である。彼からの返事はまた届かない。
その返事が届いたのは4月の下旬だった。
「引き続きの捜索を」との内容が書かれており、サーマとしては予想通りであった。
ただ、ねぎらいの言葉もつらつらとあって、タイゴの配慮は窺えた。
いったい、この捜索に意味などあるのだろうか?ヤイヅ藩には続々と新政府の兵が流入し、ヤイヅ藩士達は男女別にとある場所に集められたと聞く。今のところ処分は決定していないが、甘いものではないであろう。ゼラの捜索も、新政府軍に抗した者への対処とするならば、タイゴ様もゼラに甘くはないのではないか?
身震いを覚え、考えても仕方のない事だとかぶりを振った。きっとゼラは捕まる事もないし、新政府軍からは見事逃げ遂せるはずなのだから。
(いかん、これでは面従腹背だ)
思わず苦笑してしまう。誰か見ていなかったかと周囲を見回したが、サーマのいる民家の庭には人影は見当たらない。
だがしかし、勝者という立場はこんなに心地よさと縁遠いものとは思わなかった。武勇談や英雄談の類を、サーマも小さい頃聞かされたものだが、勝利とは輝かしい喜びに満ちているはずであった。だが、苦いものを噛み潰してしまったような晴れない心情がサーマの胸中を覆っている。『敵地』であった占領地で無為に孤独にあるからだろうか?親や友や仲間が喜ぶ様を見たら、自分も喜べるだろうか?
(…はやく、カツマかアカドに帰りたか…)
もっと新時代の為になるような役目を果たしたい、そんな思いが日に日に強まり胸を焦がした。
ヤイヅ藩と共に新政府軍に対抗していた北方の藩も武装解除も進んでいると聞く。これで世の中は安定するだろうか。
いや、未だ不満は燻るであろう。これ程の戦乱はもう無いかもしれないが、散発的な反発は度々起きるのではないか。新政府はこの国を大きく変えようとしている。サーマやゼラ達が留学したカナリス国でも、王政から共和制への過程で多くの血が流れている。それの再現にならぬとは限らないのだ。
気が滅入る予測だが、だからといって新時代の為に働くという夢をサーマは失うつもりはない。タロに恥ずかしくない生き方をするのだ。残された者の務めとして。許嫁として。
サーマは、新政府軍に身を投じ戦死した、許嫁タロの事を思い出していた。留学から帰ってきたら会えると思っていたのに、対面出来たのは遺体だった。しかも、その死をタロの家族に伝えるのはサーマの役目だった。
あまりにも痛く苦しい記憶だ。
捜索は相変わらずトマイとシルカの2人が手伝ってくれた。
だが、3人とも徒労であるのを知っている。ゼラならもう、遠くに行っているのではなかろうか。でなくとも、とても見つけられぬ場所に潜んでいるはずだ。だが、3人はそれを億尾に出す訳にもいかず、黙々と捜索の振りを続けた。
「これは、体のいい厄介払いとしか思えん」
と2人相手に苦笑するサーマに、トマイは皮肉気な笑みを浮かべ、シルカは頷くのであった。
「見つけられるとは最初から思われてなか。ただ、都合のよか役目を与えただけ」
ネルア国王に連れられてきたサーマに、どんな役目を与えるか困った上の人間が、王に憚りつつ、かといって重用するのも忍びなく、結果、時間潰しにしかならぬ様な役目を与えたのだろうと思われた。
「だからこそ、いいんじゃねえか」
トマイはニヤリとした。
「トマイ殿、シルカ殿、本当に協力ありがとうございもす」
サーマは頭を下げた。自分以上に気が滅入っているのが2人であるはすだからだ。
「気にすんな」
「おらは、サーマさんみたいな人がこの役目を与えられて良かったと思うとるだ」
「でも、さすがにあまり一緒にいると、あらぬ疑いを掛けられる恐れもありもす。罪を被るのはわたしだけで充分。3人で共謀してゼラを逃がしたととられては。2人はあくまで訊かれて知ってる事を答えただけ。ゼラの行方は知らない……」
「俺達を甘く見てもらっちゃ困るぜ」
「いざとなったら、逃げることはぞうさもねえ」
「動けなくなったゼラを運びつつ逃げ延びたのは俺達だからな」
「んだ」
トマイとシルカの2人は互いに頷き合いながら、不敵さを湛えた。
――やはり、たまたま行動を共にしたような仲ではなかった。
サーマもニヤリとした。こうした笑みを浮かべるサーマではなかったが。
「おはんらは、気持ちがよか。やはり、ゼラの友じゃあ」
一方、山の頂に立って、木々の開けたところから景色を眺めている者がいた。日に赤い髪が照らされ、煌々と輝いている。ゼラであった。
まだ山には雪が残っていて、少し肌寒い。
「さて、これからどうすっか……」
白い息を吐きながら、ゼラは考えていた。思索、といった程の事ではない。ただ、口にそう出しただけかもしれぬ。風がどちらに向いているか、どちらの方角の景色が美しいか、もしかすると気にしているのはその程度の事だったかもしれない。
祖先や血筋までは分からなかったが、出自と親の事はだいたい知る事が出来た。事実、ゼラは興味のない素振りをして自身を騙しつつも本当は、その心にぽっかりと空いた穴を塞ぎたがっていた。ついにそれを自覚して感慨に浸っているのである。
……人を殺めた。それも何人も。殺気立った感覚はしばらくゼラの中で渦巻き続け、ようやく収まった様子だ。それが収まると今度は虚脱状態が襲ってきて、歩くのも億劫でこうして頂上に佇んでいたのである。
仰向けになり、蒼天をただじっと眺めていると、無心になれた気がした。人の営みなど一切構わず、空は澄んだ青を湛えている。遠くに雲が流れている。無音だった。