密命
新サパン暦2年3月8日、サパン新国王シミツ・ネルア王は、アカド城にて新政府の幹部達の謁見を受けた。
新政府の歴々は王に対して恭しく接し、王も満悦の表情を浮かべた。そして正式に新政府軍総司令官の役目を王は譲渡されたのであった。これにて、国王と新政府の幹部達との仲は修復されたかに見えたが、空々しさもあったのである。だが、ひとまずは目下の敵はヤイヅ藩という事になった。彼らはサパン国そのものの敵として、ヤイヅ藩やそれらに協力する諸藩を逆賊と呼んだ。
サーマは王に同行して王都アカドへまたやって来たが、城には上がらずカツマのアカド屋敷に留まっている。
「サーマ、久しかな」
「元気かとはお互い様でごわんど」
留学生仲間だったマリナリは口角を吊り上げた。
「おはんも出世したな」
「ああ」
サーマは頷いた。
「にしても、おはんがこんな取り入り方をするとはな」
マリナリの口調に棘があったので、サーマはむっとした。
「わたしはただ、与えられた役目を果たしただけ」
マリナリはニヤニヤしながら横を通り過ぎる。
「さすがに、陛下のおなごには手は出せんの」
「なっ!?」
サーマは振り返った。
マリナリは、苛立ちを押し隠せていないのである。彼はサーマを買っていたのだ。その聡明さと折り目正しさに。だからこそ失望も大きいのであった。
「陛下に同行したのはそういう事じゃろうが!皆噂しとる!」
陛下に妾として取り入り、カツマのアカド屋敷にも平然と顔を出すその面の皮の厚さを彼は信じられなかった。あの、サーマが!
自分が新時代の為に懸命に働いている時に、カツマ本国にあって登城し王に取り入るなど。
「共に新時代の為に働こうと思っておったのに」
マリナリの声は震えていた。
しかし、眼前のサーマは恥じ入るどころか、眉を吊り上げ怒りの表情であった。
「失望するのは勝手じゃ!じゃっどん、わたしは自分に出来る事をやろうとした!それは嘘ではなか!何より、陛下の妾ではなか!」
サーマは語気強く、はっきりとマリナリを見据えて言った。
こういう時、サーマが嘘をついたのをマリナリは見た事が無かった。
「城でわたしに与えられたは、姫様の教育係だった。陛下は姫様にも新時代を生きていく知恵を与えようとなさった。じゃっどん、姫様は聡明で意思の強いお方で……」
サーマの表情は遠いものを見つめる表情になった。
「…正直、わたしも妾にされると覚悟を決めて登城した」
苦笑して腕を組むサーマ。時どき男っぽい仕草をするのである。そして何より。
「陛下はおはんが思って居る程、愚鈍なお方ではなか。むしろ英明なお方だと思う。ただ、誇り高いだけじゃ」
穏やかながらも、意思の強さを感じさせるその目。
マリナリはこれに惹かれたのであった。
「…おはん頑張ったとじゃな。奥に入って教育係など、どれ程の気苦労か。そいどん元気そうで良かった」
マリナリは微笑みを作った。
「おはんも、新政府と一員として有意義な時を過ごしたようじゃなかか」
サーマも微笑みで返した。
「ところで、今回の謁見はどげん見る?陛下もようやく折れたと思うか?それとも、まだ不安か?」
「不安じゃ。またいつ機嫌を損ねられるやら」
マリナリは正直に応えた。
「そうか」
サーマはマリナリを見つめた。
「新政府の関係者の話を聞けて良かった」
「大なり小なり、皆同じ思いじゃ」
サーマは苦笑した。
「そいじゃ、また」
行こうとするサーマにマリナリは声を掛けた。
はっと気づいた事があったのだ。
「おはん、まさか陛下の為においから話を聞き出したとじゃなかか?」
冗談のつもりだったが、半ば懸念と化していた。
サーマは微笑みで返してきた。
「わたしは腹芸を覚えた」
マリナリは愕然として、しばしその場に立ち尽くし返答出来なかった。
まさか、教育係というのは嘘で、王の為に妾として新政府側の人間から話を聞き出した…?まさかそんな馬鹿な。
やはりサーマは変わってしまったのか。昔の彼女ではないというのか。
「冗談じゃあ」
サーマは朗らかに笑った。
マリナリはふうと息をつき、サーマを見つめた。
「脅かさんでくいやんせ」
よくよく考えれば、王の妾がこうして他の男と話せる訳がないのである。
サーマはくすくす笑いながらその場を過ぎ去って行った。
「いや、やはり変わった」
マリナリは首を振りながら歩き始めた。
サーマは自身の部屋に戻る最中だった。
(いや、腹芸を覚えたのは間違いなか)
さっき怒って見せたのも、どこか演技が入っていた。昔なら怒る時は本気で怒っていたのだ。確かに多少の怒りはあったが、それを大袈裟に示そうとした。
正直、マリナリにどう思われようと構わなかったが、彼が新政府側の人間である以上、陛下と自分の名誉を守る必要に駆られたのだ。
まったく。擦れてしまったものだ。
3月10日になって出発する事となった。
サーマも再び同行した。サーマに対する周囲の風聞を耳にし、気を遣ったのかネルア王はサーマに、カナリス留学話を王に話す御伽衆のような役目を与えた。サーマは近所の子供達やミラナ王女にも散々話してきたので、もはや手慣れたものだった。話しぶりは簡潔にして真に迫り、明朗快活であった。
ヤイヅ藩領へと入ったのはそれから数日後の中旬であった。サーマに思いもかけない人物から呼び出しがかかったのはその翌日の夜半。カツマ藩の重鎮にして、新政府の幹部であるタイゴ・マカナルからである。
サーマは首を傾げながらもタイゴのもとを訪れた。
「よく来てくれもした」
タイゴは柔和だが良く響く声で言った。
「タイゴ様のようなお方からお話があるとは、わたくし感激の至りでございもす」
サーマは恭しく頭を下げた。
「呼んだのは他でもなか、おはんはゼラという娘を知っておりもすか?」
タイゴは砕けたつつも誠意さを感じさせる口調で言った。
その名を聞いたサーマの心の臓はどきんと音を鳴らし、全身が総毛立つのを感じた。それは感動によるものだったか。
「し、知っておりもすが、それが何か…?」
思わず身を乗り出すサーマ。
タイゴは淡々としていた。
「おいはその赤髪の娘と法術を交えた。只者ではなか。あの赤い髪と青い目、古きに聞くイリダ・ナーブ王と同じでごわす」
サーマは口をあんぐりとさせた。無意識にであった。
「聞けばおはんは、ゼラとかいう娘とカナリスで親しかったと」
「……、はい」
サーマは頷いた。
「おはんには大事な役目を与えたかとじゃ。名目上は制圧した村や人々の懐柔、その実はゼラという娘の捜索じゃ」
「捜索……でございもすか?」
「左様。もしその娘が絶えたはずのナーブ王の血筋ならば捨て置けもはん」
タイゴの声は低く厳しいものとなった。
サーマは身体の周囲がかあっと熱くなるのを感じた。緊張によるものであろうか。考えながら返答する。
「命とあらば喜んでお引き受けしもす。それで、見つけた暁には?」
「おいが会いもす。見つけ次第知らせたもんせ」
「……。承知仕りもした」
サーマは意図して声の抑揚を抑え、表情を押し隠し深々と頭を下げた。
翌日の夜、サーマは閃光を見た。甲高い轟音と共に閃光が次々と放たれ、夜闇を真昼間の様に変えた。
慄然とする光景だった。思わず縁側に立ち尽くし、閃光が飛んで行った方角にヤイヅ藩の城があるのを思い出した。