覚醒
小屋の見張りを任された兵士2人は、仲間達が小屋に向かって歩いてくるのを見た。
彼らはサーベルや棍棒、銃剣を持ち、小屋の前に殺気立った様子で立った。見張り達はそれを黙認し、ニヤついていた。
兵士らの1人が小屋の戸を開けようとしたその瞬間、彼の身体はぐらついて地面に突っ伏した。
「おのれ!」
兵士達はサーベルを抜き放ち、サーベルの刀身は月光に煌めいて美しさすらあったが……。その持ち主は醜悪そのものの表情を浮かべ、獲物の思わぬ反抗に苛立ちを隠し切れない。
小屋の中から、月光に照らされて1人の少女が姿を現した。鮮烈な赤い髪と不敵な表情が彼らの怒気の元であった。
「おいでなすったか。これは逃げる口実が出来たというわけだ」
ゼラは笑った。
「もし、軍団長殿に命を助けられたとなれば、逃げてしまえば恩を仇で返す事になっちまう」
ゼラの口調は明らかに皮肉気であった。それは兵士達の感情をさらに逆撫でした。
「黙れ!誰の指示でもない!」
「我ら自らの意思でお前を斬りにきた!」
兵士達は怒気強く叫んだ。
「これまでの恨み、晴らさぬ訳にはいかぬ!」
また1人の兵士がサーベルを振り被ると、さっとかわされゼラの伸ばした足につまずき、転び倒れ込んだ。
即座に後ろ手に締め上げられ、サーベルは彼方に蹴り飛ばされる。
「おっと動くな」
他の兵士をけん制しつつ、締め上げる力を強くしていくゼラ。
「か、構うな!」
躊躇しつつもゼラに襲い掛かろうとした瞬間、締め上げられた兵士の腕はへし折られ、絶叫が彼の口から放たれた。
ゼラが飛び退いてサーベルを掴み取り立ち上がる。
くるくると回しながら、動きの止まった兵士達を睨み付けた。
「おのれえええ!」
「貴様だけは許せん!」
兵士達は我に返って怒号をゼラにぶつけた。
3人が一斉に襲い掛かってきたが、かわされ打ちのめされ、瞬く間に3人分減っただけであった。
ゼラは兵士達に睨みを利かせながら、背後の小屋も気遣った。中にはシルカとトマイの2人が潜んでいる。
この兵士達をどうにかしない限り、彼ら3人はここから逃げ出す事も不可能なのだ。
敵の人数はまだ10人。なんとか倒せない数でもないが。
また2人向かって来た。
1人は難なく倒したが、1人は図体の大きい奴で、ゼラの振りかぶった鞘を掴まれ、揉み合う内に、1番恐れていたことが起きてしまった。
松明が小屋に投げ込まれたのだ。
「や、やめろおお」
ゼラは押し倒されながらも懸命に足掻く。
両腕を抑え込まれながらも、噛みついて、相手が怯んだすきに起き上がり、激高して尚も掴みかかろうとする兵を蹴り飛ばす。
気づくと、もう一本松明が投げ込まれてしまっていた。さらにその上火矢までも彼らは用意していて、松明の火が火矢に移されゆらゆらと輝いている。
ゼラは小屋に向かって走ろうとした。その瞬間火矢は小屋の茅葺に突き刺さる。
「シルカ!トマイ!」
ゼラは絶叫した。
「ゼラ!」
中から返事があった。トマイの声であった。
「2人共無事だ!」
「心配いらねえ!」
シルカの声も力強かった。
「早くそこから出ろ!」
ゼラの叫びは敵からは冷笑的に迎えられた。
銃剣の銃口がゼラに向けられたのを、ゼラは気づかなかった。いつもの彼女のなら咄嗟に対処していたに違いなかった。
銃声が夜闇に響いた。
次の瞬間、ゼラは地面に膝つき、倒れぬよう必死でこらえた。
兵士達は下卑た笑いを発し、勝利を確信しきって、獲物をどう甚振るか思案する余裕すら出来ていた。
「すぐには殺しはせんよ。官軍に刃向かう逆賊にふさわしい死に方を与えねばな」
「何が官軍だ。偉ぶりやがって」
ゼラは掠れた声で笑った。
「大勢でしか来られない弱虫の癖に」
「黙れ!」
兵士がゼラを蹴り飛ばす。
さらに思い切り踏みつけ、ゼラはうめき声を上げた。
「仲良く死なせてやる」
兵士達は銃口をゼラと小屋の双方に向けた。小屋の戸口にはシルカとトマイが出てきていた。
「ゼラ!ゼラ!」
2人は叫んでいる。
「やめろ……やめろ……」
ゼラは足掻いた。
だが、兵士にぎりぎりと頭を踏みつけられ、さらには撃たれた腹に足を入れられる。
「……っ」
シルカの叫び声が聞こえる。あまりの激痛に気が遠くなりつつあるのを自覚する。
(まずいな……)
自分はもはや無力であった。歯痒くてならなかった。気絶してはならぬと懸命になるが、薄れゆく意識への敗北を悟りつつあった。
(ちくしょう……。悔しいなあ……)
テノンに首を絞められ失神した際も死を覚悟したが、今回はシルカとトマイを守れぬままという無念さである。
銃の先がシルカとトマイに向けられ、2人は慄きつつも自分達よりもゼラを心配し叫び続けていた。そんな2人を……。
必死に腕を伸ばす。感覚はもう無い。
「……っ」
声も出ない。血が流れているようだが、何も感じない。
だが、涙が溢れ出るのは分かった。視界が緩む。
これではサーマを笑えない。そう思った。自分も泣き虫ではないか。
(笑っちまうような)
悔しい。悔しい。もし法術を使えたなら、こうはならなかったはずだ。
(力を……。力を……。おらの中の法力よ…。どうか、頼む……!頼む……!2人を助けてえんだ!少しだけでもいい!そんな紋様打ち破って、出てきてくれ!!)
口が利けたなら、絶叫になっていたに違いない。
兵士の1人の腕が振り上げられた。次の瞬間には振り下ろされ、弾丸が2人に向かって放たれるであろう。
ゼラは全身が総毛立つのを感じた。いや、違う。もはや身体の感覚はないはずであった。ゼラが感じたのは、血の沸騰するような……烈々としたものであった。刹那とも呼ぶべき一瞬に全身を駆け巡り、それは……爆発した。
ゼラの目は闇の中で、壮烈な空色に輝いた。次には髪までも赤光を発していた。額の紋様の抵抗の最後の余光までも赤く輝いていたが、それは瞬く間に溶け去っていった。髪はうねうねと生き物のように舞っている。
「ひぃっ」
ゼラを踏みつけていた兵士が足をどかし、後ずさりしようとして態勢を崩し尻もちをつく。
ゼラはぐっと立ち上がった。
兵士達も、シルカ、トマイも、愕然としてその光景に見入った。
「ひ、怯むな!」
兵士の1人が震える手で銃口を向けた瞬間であった。
その銃剣が突然激しく熱を帯びた。
兵士は慌てふためいて銃剣を地面に叩きつける。すると、バキバキと音を立てて銃剣は鉄塊と化した。
「ひいぃぃ!」
兵士達は悲鳴に似た声を上げ、赤髪を逆立てた少女を見た。
「ナーブ王…ナーブ王だ!」
伝説の赤髪の王の名を口走りさらに慄く兵士達。
「何言っとる」
ゼラの声は淡々としていた。
「どうでもいいか…」
欄々と青光りする目をぎろりと兵士らに向ける。
「おらは怒っとるんだ。それに、力を取り戻せたようで高揚もしとる。手加減出来んかもしれん」
低く響く声だった。
「死んでも恨むなよ」
そこに駆けつける者があった。
「何をしておる!」
煌々と燃える小屋と騒ぎに気付き、軍団長イトゴトが数人兵士を連れてやって来たのである。村人達も 外に出て、火事に愕然としている。
「何事だ!」
「何事も何も……」
ゼラは不敵に笑った。
「早く火事を消すんだ。おら達はそれを見届けていいってんなら見届けるが……」
「何を言っておる……」
イトゴトは状況とゼラの只ならぬ様子に、顔を険しくしている。
「お前がやったのか…」
「違うと言ったら信じるか?」
イトゴトは黙って答えない。
「だろうな」
ゼラは手をイトゴトに向かってかざした。