母と娘
ミラナ王女が監禁状態にあったサーマを連れ出した件は、さっそく白日の下に晒された。部屋の中を確認した侍女が驚き慌てて院の宮に報告したのである。
最初は、サーマが一人で逃走したと思われた。しかし、それもすぐに王女が連れ出した事が判明した。というより、王女自身によって院の宮に明かされたのである。
「母上、わたくしは、わたくしに対する陛下の御心を思えばこそ、母上に背かざるを得ません」
王女はそう言ってのけたのだ。
院の宮から呼び出しを受けた際、さすがに王女も表情を硬くし、サーマを見た。
「お主も一緒に来てくれ」
サーマは頷いた。
「姫様が戦うのでしたら、わたくしも共に戦います」
不安がる侍女や女官らを尻目に2人は院の宮のもとのいる奥の院に向かった。
着くと、張り詰めた空気が支配していた。院の宮の侍女達は緊張状態にあって、明らかに委縮してしまっていた。サーマが会った事もある侍女もいたが、彼女らも同様に怯え、会った時のような居丈高な様子は微塵も無かった。
院の宮はサーマが横にいるのを不快に思ったらしく、サーマをぎっと睨みつけた。
上座に座る院の宮から発するものが、空間を押しつぶすかのようだ。
「そちは、母の愛を分からんのか」
「いいえ、決してその様な事は…」
王女は慌てて頭を振った。
「ならば、何故母の言う事を聞けぬ!?」
院の宮の語調は、矢の如くであった。
「そちを産んだのは誰じゃ?そちを育てたは誰じゃ?この恩知らずめが!!」
王女は険しい表情をして、耐えていた。
少なくとも、王女と母親の関係は、サーマとサーマの母のそれとは全く違い、彼女の想像の外にある関係性だった。
「斯様な者を教育係として、側に置く事はなかろう。母が見識も家柄も人となりも立派な者を選ぶゆえ、この者は父上に突っ返せばよいのじゃ」
「母上……」
王女は困った様に彼女の母を見つめた。
「親不孝はしないでおくれ」
母はそこに悲痛な表情を娘に叩き込むのであった。
いや、見せ付けた様にも見えた。
ミラナ王女は、逡巡している様子であった。決意が揺らぎつつある、そうした心の機敏がサーマにも伝わってくる。
「そちも、どうなのじゃ?自ら引くぐらいの気概は見せて欲しいものよの」
院の宮が意地悪くサーマに向かって言った。
サーマを王女が心配そうに見てきた。
口を開く。
「姫様がわたくしを連れ出して下さった事、はっきり申しますれば、嬉しく思ったのでございます。姫様がわたくしを必要として下さったと」
「サーマ……」
王女はぽつりと呟き、サーマを見つめる。
サーマは続けた。
「院の宮様の命に背き、御自らなさった姫様の決意の程、わたくしは軽んじてはならぬと思います。どうか院の宮様、姫様の思いをお汲み取り下さいませ」
そして恭しく跪く。
もはや、祈るしかない。これは利によっては解決しないのだ。事は政治的思惑ではなく、院の宮という1人の女性の、個人的感情から引き起こされたのだ。
恐らく、サーマが城に呼ばれたのも、ネルア国王の軽い思い付き程度ではなかろうか、サーマは邪推と思いつつも、そう感じていた。
「どうか、母上!わたくしからも!」
王女はぐっと堪えた様子で、母の圧を跳ね返した。
「何故じゃ……」
院の宮は息を吐いて、首を振った。
「何故、母の言う事が聞けぬ」
王女は、居住まいを正した。
「それは、母上のやりようが邪道だからでございます!」
「邪道?」
「そうです。邪道です!」
院の宮は顔を歪め、目をかっと見開いた。
「何が邪道か!」
「邪道です!何度でも申します。サーマに不満が御有りなら、父上に直接申せばよろしいのです。それを、苛め、脅し、追い出そうとするなど……」
「黙れ!」
院の宮は扇子を振り上げ、サーマをびくっとさせた。
扇子の先で王女を差し、振って、去るよう合図をする。
王女とサーマは恭しく退出した。
「よろしかったのですか」
サーマは思わず訊いていた。
「構わぬ。母と娘、1度はああしてやり合わなければならぬ時もあるのじゃ」
王女は微笑んだ。
そして、部屋に戻って、崩れ落ち、大きく息を吐いた。
サーマは黙って頭を下げた。
「なに、サーマが自分から降りるとなれば、父上の不興を買う。さすればお主の実家もまずい立場になろうからな。そんな酷な事はさせられんよ」
王女は疲れた様子で言った。
「何とお礼を申せば……」
サーマは再び頭を下げた。
「礼なら、お主の務めを果たす事で報いてくれ」
王女はサーマの手を優しく両手で包む。
「はい……。ご期待に添えますよう……」
「じゃが、お手柔らかにな?」
王女は微笑んで、サーマの肩を叩いて立ち上がった。
サーマが涙をぽろぽろと流していたのだ。
「お、お恥ずかしい限り…」
サーマは慌てて目を擦りながら、俯く。
我ながら、この泣き癖が気恥ずかしかった。だが、この城に来て初めて、自分が本当に必要とされたのだと、自分がここにいる意味はあるのだと思えたのだ。
「この国が火急の事態に、母上は未だ奥しか見ておられぬ」
ミラナ王女は、重々しい口調であった。
「我が母ながら、恥ずかしい」
「いえ」
サーマは涙を拭いて言った。擁護する必要に駆られたのだ。院の宮自身の名誉の為にも、王女の為にも。
「いえ、見ているからこその焦りと存じます」
「どうしてそう思う?」
王女の訝し気に訊いてきた。
「時代が変わりつつあるという恐怖、不安があればこそ、院の宮様は奥に介入した陛下に対する反感から、ああ為さっているのだと」
そして慌てて頭を下げる。
「出過ぎた事を申しました」
「いや、よい」