カツマへの使者
サパン国新政府は、新国王ネルアのカツマ帰還に対して危機感は当然抱いていた。北に反新政府の機運と、トトワ政権の残党が残っている以上、南のカツマまで敵に回してしまったら……。
カツマに新政府の使者が訪れたのは新サパン暦1年12月20日の事である。
タイゴ・マカナルはカツマきっての実力者で、新政府の重鎮セアクボ・タカトーと盟友であった。
タイゴはネルア王に謁見を求めた。
「陛下が、ここにおわすはよろしうございもはん。サパン国の為にもカツマの為にもなりもはん」
ネルア王は不機嫌そうにタイゴを睨み付けた。
「我、啓蒙君主たらん。故にやむをえずこうしておるのだ」
タイゴは首を振った。この男は王に対しても全く怯む様子はなかった。セアクボは威風堂々とした風格があるのに対して、タイゴはどこか人を和ませる雰囲気があったが、こと豪胆さに関してはタイゴの方が上という風聞があった。
「この国には強い指導者が必要なのだ。1つに纏め上げ、ヨウロ諸国に負けぬ国作りをせねばならんというに、バラバラに纏まらぬようでは……」
「お言葉ではございもすが、陛下がそれを乱しておいでです」
「何を仰せですか!?」
タヤキが声を荒げる。
「不敬ですぞ!」
タイゴはタヤキをじっと見た。タヤキは思わず怯んで目を逸らす。
「わしがどう乱しているというのだ?この国の王がわしである以上、わしに従わぬ者の方が乱しているのではないか?」
ネルア王の口調は激しかった。
「陛下はトトワ・サルプから禅譲を受け、王となりもした。トトワはもうこれ以上こん国を治め切れんと思うたのでごわす。そいならその後を継いで王となるからには、こん国を治める器量と才覚が問われもす。責任は並大抵の事ではなか。恐れながら陛下にはそいがあるとは思えもはん」
タイゴは恭しく跪きながらもその目は爛々とネルアを見ているのであった。
ネルアは眉を潜めタイゴを眺めた。
「よう言うたな」
低く響く声だった。横のタヤキが震え上がる程の。主君の怒りを買う程恐ろしい事はないのだ。
「北に反政府の勢力がまだあるこの時期、その上このカツマの地を反政府の根拠地となさってはなりもはん。異国に攻められる隙を生みもす。今争っていてはならんとでごわす。陛下、トトワをカナリスが支援しておったとをお忘れですか?我々もエガレスの支援を得ていたのと同じように。ただでさえ、動乱を起こせばその2国にサパン国が引き裂かれる恐れがあるのに、さらにカツマに別の勢力が出来たとあっては、ヨウロ諸国はその餌を見逃すはずはなか」
タイゴの口調は真に迫り、諭すようでもあった。
そこが、ネルア王の癪に障る所でもあったが、彼の理屈の正しさは認めざるを得なかった。だが。
「だとしても、新政府の方針が正しいとどうしていえるのだ?わしの方こそ正しいかもしれんぞ。わしは自身の意見の為に新政府の元を離れたのだ」
「ですから、おいは陛下に意見しに来ただけでごわんど」
そう言って頭を下げるタイゴ。
「陛下がどうなさるかは陛下の自由でごわす。こん国の為に何をすべきか。陛下がお考え遊ばすべきとおいは思いもす」
ネルアは激高した。
「ここまで言っておいて、結局はそれか!?お前はわしの何なのだ?下がれ!早よう!下がれ!」
扇子を横に振り、語気強く王は言い放った。
タイゴは恭しく退出していった。
タヤキはほっと息をついた。
「いやあ、タイゴ様も無礼に程がありますな……」
「馬鹿者が」
ネルアが呟いたのにタヤキはぎょっとして王の方を見た。
「奴め、わしを試しおった……!わしの器量を計りおるつもりなのだ……」
畳に拳をぶつけ、さらに王は歯軋りした。
「よくも言いよったな、タイゴめ……」
サーマはそわそわしていた。
タイゴといえば新政府の重鎮中の重鎮。彼がネルア王に謁見を求めたという事は、つまりは新政府が事態の修復を図ろうとしているのだ。
タイゴでなければ、彼でなければ、そんな役目は務まらないだろう。小物では当然無理だし、カツマ藩以外の人間にも無理だ。ならばセアクボかタイゴだが、セアクボに対する王の心証を思えば、ふさわしい人物は1人しかいない。
サーマの方といえば、ミラナ王女に留学の時の話ばかりしていた。話す事はそう尽きないが、そろそろ作法や勉学も始めたい。だが、王女も女官達もやる気が無いようだ。というのも、散々カナリスでの話をさせられて、いざ授業をしようとしても下がるよう言われるのだ。食って掛かる訳にもいかず、大人しく引き下がるしかない。
「母上が許さんのだ」
王女は笑ってそう言った。
余計何も言えなくなってしまう。
ミラナ王女の母はトトワ家につながりのある名家の出身で、まだ拝謁はさせてもらえない。
自分は何の為にここにいるのか。
溜息が出る。
ゼラは何をしているだろうか。ちゃんと無事にサパンまで帰れただろうか。それから、どうしただろうか。
新政府に捕まってしまっただろうか。普通に考えれば充分にあり得る事だ。どこか反政府の領地に帰り着けばいいが、そうもいくまい。あの使節団にはカルプ王子がいた。彼を祭り上げて反政府の旗印にしたというならともかく、そうでなければ大人しく新政府に従う方が王子の為にもなろう。
具体的な情報が入ってこない事がこれ程までにもどかしく苛立たしいとは思わなかった。
そんな中、女官がサーマの部屋に入ってきたのだ。
「サーマ様、院の宮様からでございます」
院の宮といえば、ミラナ王女の母親にして、ネルア王の正室である。
「はっ、有難き幸せに存知奉ります」
サーマは恭しく木箱を受け取った。
「明日から、これを着て出仕するようにと」
女官は淡々と言ったが、口角がかすかに上がったのを見た。
サーマは気にせず、開けるように促され木箱を開けた。
絶句した。
木箱の中に入っていたのは、ぼろきれのような服だった。いや、ぼろきれそのものだった。泥や埃に塗れあちこちが破れてしまっている。
「あ、あ…あの、これを着て……?」
サーマは、彼女の生まれ育った環境と常識の外にある悪意に、愕然とするしかなかった。
「左様でございます」
「まさか、着ぬと申すのではございますまいな?院の宮様からの心遣いを」
「であれば、そんな不忠者に王女の指南役は務まりましょうや?」
女官達は嘲笑交じりに囁きあった。
サーマは愕然が、湧き上がる別の感情に取って代わるのを感じた。
女官達が恭しく下がっていくと、サーマはスカートの生地をぐっと握り締めた。
心の臓が激しく鳴り、息も荒いのを自覚した。
(こんな小さかこつば、していて何になる……!?)
はっきり言って失望したのだ。
大きく息を吸って、気分を落ち着かせる。
戦おう。戦うしかないのだ。
「ゼラ、わたしはやるど…!」
立ち上がって、両拳をぐっと握りしめた。