城からの使者
カノヤ・タヤキはサパン国王シミツ・ネルアと共に彼の根拠地であるカツマに帰還した。
ネルア新王の王都脱出は、無論、緘口令が布かれ、厳しく情報統制がされていた。内外で不安定要素を抱える新政府にとっても寝耳に水の激震であったのである。
タヤキは新サパン暦1年の11月中旬になって、ネルアから呼び出しを受けた。
拝謁すると、ネルアは言った。
「世間では、余が守旧的な頑迷君主呼ばわりされているそうだが」
「それは、申し上げるのは憚れますが、セアクボ様らの流説では?」
彼らは、カツマ出身でありながら、王都アカドでの生活が長く、訛りは然程なかった。それによっても、同じカツマ出身でありながら、セアクボら地元育ちの新政府幹部と距離ができていた、のかもしれない。
「断じて、左様な事はない。奴らが余を要らぬというなら、ここカツマに篭ってしまうまでだ!」
ネルアは拳を突き上げた。
「きっと、泣き付いてきましょうな。陛下無しでは新政府はまとまるはずもなし」
「ま、それはそれとして。この風聞は癪に障る」
ネルアはニヤリとした。
「余が決して守旧的でないと、証明せねばな」
この謁見で、ネルアとタヤキの間で決定したものがあった。
カツマは王の帰還に沸き立った。天下人となったかつてのカツマ藩主は、歓呼を以て迎えられた。
サーマはその様子を、自分の青空教室の生徒となった子供達と眺めた。
「ネルア様じゃ」
サクという男の子が叫んだ。彼は腕白小僧で、少々太い体型をしている。
「天下人なのにどうして?」
ライという女の子は首を傾げている。
「凱旋じゃ」
サクは、こんな事も分からないのか、といった風情で言う。
「何で?王都を空けててよかと?」
「よかさ。今や王様じゃ、誰もがネルア様の威光に恐れを為すとじゃ」
横で聞いていた髭面の初老の男が言う。
「本当は?」
子供達がサーマを一斉にじっと見た。
「さあ……何でじゃろうな」
サーマは苦笑いするしかなかった。
本当に、凱旋だろうか?
ここにいるとほとんど情報が入って来ない。もどかしさを感じる。
12月に入って、しばらく経った日だった。
サーマが庭を掃いていると、訪問者があった。
始めは、父への尋ね人だと思ったが。
「お主が、サーマか?」
「はい、わたくしです」
サーマはその者を訝しんで眺めた。
年の程は20半ばといったところか、鋭利さと温和さの調和が見事な雰囲気を持つ青年だった。
青年は名をカノヤ・タヤキと名乗り、そして切り出した。
「喜べ、陛下がおはんを召し出したいとの事じゃ」
タヤキは微笑んだ。
「えっ……」
サーマは言葉を失った。
目の前の景色が、ガラガラと崩れる感覚。
「名誉な事じゃ」
尚も青年は話を続ける。
「父上と母上はおるか」
「……母上なら……」
「邪魔をする」
青年はどすどすと庭を横切り、
「サーマ殿の母上はおられますか」
と叫ぶ。
サーマの母が慌てて姿を現すと、青年はサーマに言った事と同じ事を言った。
次は母の方が言葉を失う番だった。
「サウ、おはんは何ば言うとっとじゃ!」
サーマの父は激高した。
「何をとは何をですか」
母は茶碗を置いて、応戦する。
「許婚を亡くしたばっかじゃというに!」
「だからこそですよ。誉ですよ。この機を逃したら……」
父は唸った。
「た、確かに、陛下に逆らう訳もいくまいし…確かに名誉なこつじゃ……」
「そうですよ。あなたこそ何ばぐちぐちと…。それでもカツマの男ですか」
母は鼻を鳴らし、父は顔をしかめた。
「しかし、1人娘じゃぞ……」
「ち、父上、母上、わたしの事は気にせんで下さい」
サーマは言った。最近はサパン服を着るようになった。どうもこっちが実家に置いては動きやすいし、角も立たないのだ。
「サーマ、よいか」
父は真剣な表情でサーマの方を向いた。この、エルトン・ムネルという男は、娘に勉学と法術を教えたりと、サーマの才能を高く評価して大切に育ててきた。サーマは父から誠実さと母から頑固さを引き継いだようであった。
「例え、どんなに離れておっても、父と母がおはんの幸せを祈っておるぞ」
「父上……」
サーマは思わず涙を零した。生来の泣き虫が復活したかのようであった。
しかし、泣いているのはサーマだけでなかった。
父は袖で顔を覆ってしまった。
母が溜息をつく。
「情けなか。母が代わりに言いもす。いくら寂しくとも、おはんは負けてはいかん。カツマのおなごとして、誇りを以て、陛下の為に尽くすとじゃ」
「はい」
それから夜遅くまで、親子水入らずで談笑を続けた。
最後に、父と母に抱きしめられ、サーマは泣きじゃくった。その時は母ですらも目に涙を湛えていた。
「父上、母上、今まで育ててくださり、ありがとうございもした」
「頑張るのじゃぞ」
「エルトン家のおなごの意地を見せるとじゃ」
「はい」
サーマは万感の思いで頷き応えた。
自室に戻った。
畳に座り込む。
黙って膝を抱える。
(喪が明けてすぐなんて……)
確かに、誉れである事は間違いない。
しかし、これがトトワ王朝の時分ならともかく、新時代に至ろうとする時に、こんな事になるなんて。
サーマは身体の震えを自覚した。
(ゼラなら、何と言ってくれるかな……?)
祝ってくれるだろうか。それとも吐き捨てるだろうか。それとも……。
(ヨウロに留学した経験を活かして、新時代を……)
子供達にカナリスで学んだ事をもう少し教えてやりたかった。
ネルア王には正妻がおり、つまりは側室か。
床に入り、横になる……。
翌朝。サーマが登城する当日であった。
「よく眠れましたか」
寝室から出てきたサーマに母が言った。
「はい」
サーマは微笑む。
母は寂しげに微笑み返した。
嘘だと気づかれただろうか。サーマは少し不安だった。
昨日と打って変わって、父は黙っていた。
迎えは先日訪れた青年だった。
「ああ、服は西洋の服がふさわしいかと」
エルトン家の人々は首を傾げて青年の言う通りにした。サーマは西洋服を着て、青年の用意した籠の前に立った。
見送りの父と母に振り返り、頭を下げる。
「では、行きもんそ」
青年の言葉に籠に乗り込む。
籠は地面から離れ、揺れだした。
カツマ城下は物々しい雰囲気だった。サーマが籠の隙間から覗くと、カツマ兵が忙しなく行き交っていた。
城につくと、下ろされる。
既に堀の橋を越え、正門を潜ってしまっていた。
……ついに来てしまった。
「まずは、陛下に謁見しもす。そして次は奥方様と姫君に」
タヤキは言った。
サーマは足が震えた。
側室になるのだから、奥方に挨拶をするのは当然だ。
しかし、1つ首を傾げるのは、側室が来るのなら、それなりの出迎えはあっても然るべきだ。それが、役人が数人目の前に立っているだけで、しかもどこか見定めようとする視線すら感じる。
彼らに案内され、サーマは謁見の間に向かった。