奉行所での別れ
辺りが静まり返った頃、2人は夜の闇に溶けて木陰から元奉行所を望んだ。
「いくのか」
リュカが囁く。
「来なくていいですよ。おら1人で行きやす」
ゼラは言った。
「リュカさんはここで見張っておいて下さい。シンエイ様を連れて来るので」
ゼラはすくっと立ち上がり、素早く奉行所の塀の傍に着く。
そろそろと音も立てずしばらく歩いたかと思うと、塀をよじ登っていく。
(どこであんな技を身に着けたのやら)
リュカは訊かない方がいいと思った。
ゼラは塀から跳び上がり、1階の屋根に音もなく着地した。
2階からは明かりが漏れ、シンエイの法力を感じる。が、弱々しい気がした。
窓に忍び寄り、そっと隙間程度に開け、中を覗く。
ゼラは心の臓が止まるような衝撃を受けた。
部屋の中に蹲る1人の男。シンエイ様だ!しかし様子がおかしい。
慌てて窓を開き、部屋に飛び込む。
駆け寄り、抱きかかえる。
シンエイの顔は青白く、腹からはおびただしい量の血が溢れている。
「シ、シンエイ様……」
ゼラは呻きながら言うしかなかった。
「……おお、ゼラか」
掠れる様な声でシンエイは言うのだった。
「なじょしてですか……!?」
シンエイは微笑んだ。
「敵に首を刎ねられるくらいなら、自ら命を絶つ」
ゼラは思わずシンエイの服をぎゅっと掴む。
「お、おらは、シンエイ様を助けたいと思ってここに来た」
「止めてくれ。どうせ逃げられん。むしろ逃げても賊の汚名を着るだけだ」
「今だって……!」
「いいや、これは抗議の死なのだ。今の世で理解されずとも、後の世の人々に分かってもらえればよいのだ……」
シンエイはゼラの頭を撫でて微笑んだ。
「良い女になったな。リュカも無論無事だろうな」
「……無事です」
「こら、泣くな」
また撫でるシンエイ。
腹からは血がドクドクと流れ出していた。
「法術師としての誇りを……」
シンエイはそれ以上言葉を繋げられなかった。
ゼラとリュカの師は死んだ。
リュカはまだその事を知らない。
闇夜の中、ゼラの帰りを待っている。
時折、人が通ったので、物陰に潜んでひたすらやり過ごしたりした。
元奉行所の中では、いったい何が行われているのか、リュカには分からなかった。
ゼラは大丈夫だろうか。いかに強いといえども、法術無しではたかが知れている。彼女は1人の少女に過ぎないのだ。確かにゼラはシンエイ様に拾われる前は親無し子として、親からの愛情も知らず、庇護されもせず、1人で生きてきた。ならばたくさんの修羅場を潜ってきたと言われても納得はいく。その身体の屈強さと土壇場での機転の利き具合はゼラがどういう経験をして今あるのかを雄弁に語っている気がする。
それこそ、あのカツマの少女と比べても顕著だ。あの少女はその様子からも擦れていなさを醸し出していた。法術や魔動の能力は高いと思われたが、まともにやり合えばゼラの敵ではないだろう。育った環境が違い過ぎるのだ。
リュカ自身ですら、ゼラは別世界の人間の様な気さえするのだ。ゼラはリュカやその少女と違って、戦いの場に身を置くのに抵抗がない。
リュカは身震いした。ゼラの人生には、戦いというものが付き纏うのではないか?
ゼラには出来るならば平穏に生きていて欲しい。今の情勢下では難しい事は分かっているが。
上で物音がした事に気づいた1人の兵士が、酒を楽しんでいた仲間達に告げた。
彼らが見たのは、処刑されるはずの『罪人』が自ら命を絶った姿と、それにすがる1人の少女だった。
「何じゃこいは!?」
彼らは困惑して叫んだ。
しかし、まずはとりあえず、横で泣きじゃくるその少女を捕らえる必要がありそうだ。
「よし、捕らえもんそ」
その少女が、彼らの方へ視線を向けた。
……障子を破壊して縁側に飛んでくる兵士。サーベルを抜こうとして、突進され、襖を倒してタコ殴りにされる兵士。
また別の兵士は魔動銃で応戦するも、花瓶を投げつけられ気絶して壁に寄り掛かってずるずると倒れこむ。
元奉行所の中では、ゼラが猛牛の如く暴れ回っていた。
嵐が過ぎ去った奉行所から、その嵐が出でた。
ゼラがリュカの元へ戻ってきた。
「ゼラ、どうした」
ゼラの額の紋様がこれ以上なく爛々と赤く輝いていた。
彼女は息荒く、だが非常に落ち着いていた。
「シンエイ様は!?」
「命を絶たれやした」
リュカは呼吸が苦しくなるのを感じ応えた。
「な、何故だ!?」
「敵の手に落ちるくらいなら、と」
ゼラの表情は苦しげだった。
「誇り高いお人だったからな」
「もう少し待ってくれてりゃ、おらが助けて……」
拳をぐっと握り締め俯くゼラ。その様子は悲痛そのものだった。どれ程無念だろうか。
「もう少しおらが駆けつけていれば……」
ゼラはしゃがみ込んで、顔に拳を押し当て身体を小刻みに揺らし始めた。
「いや、俺のせいだ…。俺がお前の足を引っ張った……。俺の足が遅いせいで。お前1人なら間に合っていた!」
「いいえ、リュカさんは悪くねえ。悪いのは、シンエイ様を理不尽に処刑しようとした連中です。何の咎があってシンエイ様は?兵士ですらそれを知らねえ」
ゼラは激しく首を振った。
「それと、シンエイ様も酷いです! 勝手に死んで!」
「その物言いはないだろう!」
今度はリュカが激する番だった。
ゼラとリュカは鋭く睨み合い、そして2人はふうと息をついて、地面に座り込んだ。
「シンエイ様、何故自害など……」
リュカが呟く。
ゼラの額はまだ光っていた。
その光がゼラの顔を照らし、口元から血が流れているのにリュカは気づいた。
「そういえば、お前その傷は?」
「心配はいらねえです。それと、さっきからずっと挑んでるんだけんじょ、駄目ですね。この紋様はいつか打ち破ってみせる。それとリュカさん」
「な、何だ」
リュカは息を呑んだ。どうしてだかゼラの次の言葉が予想出来たのだ。
「おらは行きやす」
すっとゼラは立ち上がった。
「お、おい。行くって……どこにだ?」
「決めやした。このままじゃ終われねえ」
リュカは口をあんぐり開けた。
「まさか、シンエイ様の仇討ちをするつもりか!?新政権と事を構える気か?トトワ寄りの藩にでも身を寄せるつもりか?」
ゼラは二カッと笑った。どこか寂しげな笑みだった。
「さあ、どうしやしょうか。でも、このまま新時代とやらに与する気はねえです」
すると、元奉行所の建物がにわかに騒がしく、警笛が鳴り響き、不測の事態があった事を告げる。
「まったく何やらかしたんだ?」とリュカ。
ゼラは苦笑した。
「奴らと喧嘩しちまった。リュカさんここは2手に別れやしょう。今度の事はリュカさんには関係ないですし」
「何を言うか。俺もシンエイ様をお助けすべくお前と行動していたろう」
2人の共通の師であるシンエイを助けるいう目的で共に行動していたこの2人は、その目的というのも失われてしまったこの時、何だか妙な確信を以って2人の間で、これ以上一緒にいると互いの為にならないという認識があった。ゼラとリュカでは目指す道が違うような気がしていたのだ。それを言語化出来ぬもどかしさは不思議と感じなかった。
「リュカさん、また、いつか」
「ああ」
ゼラは風のように走り始める。途中で突然振り返り、大きく手を振ってくるのだった。
リュカは苦笑した。
「まったく」
リュカは踵を返して彼もまた、夜の闇に溶け込んでいった。