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松の木は残った  作者: おしどりカラス
第2章 動乱編
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留学からの帰宅

 10月下旬、サーマはカツマの地を踏んだ。

 海路で経由し、波にひたすら揺られながらの旅であった。

 木箱を背中に背負い、久しぶりの故郷に帰ってきた。

 この頃、4藩連合はトトワ暦を廃止しており、新サパン暦1年10月下旬となる。

 サーマは故郷を歩いてみて思ったのは、時折血気盛んな若者達が走り回って新時代万歳と言っている以外は、特に変わっていないところであった。


「あら、サーマちゃん」

 

 近所のおばさんが声をかけてくれた。小さい頃から可愛がって貰っていた。


「ただいま戻りもした」

 

 サーマの周囲に人が集まり出した。


「久しぶりでごわんど」

「元気しとったか」

「別嬪になって」

 

 彼らは笑顔で迎えてくれた。

 サーマも頭を下げる。

 すると1人が、サーマの背負った木箱を指差した。


「こいは何か?」

「あっ」

 

 彼らは急に察したように、サーマに一礼し、去っていった。

 サーマは苦笑してしまうが、おかしい訳ではなかった。

 そして目的の家まで向かう。

 坂道になっていて、道の左右には松林が広がっている。

 途方もなく長い坂道に思えた。心なしか身体が重く、鉄丸でも足につけられたかのような重さだった。

 視界がぐらぐらと揺らいでいる感すらある。

 あの家に行きたくない。

 切実にそう思った。

 でも、行かねばならないのだ。それが自分の義務であり、自分以外にすべき者などいないのだ。

 その家は、静かで門の前にも中庭にも誰もいなかった。

 サーマは門の前で立ち尽くした。

 次の1歩が出なかった。

 足が動かない。

 動悸と息切れが激しい。坂を昇ったせいではない。


「あ……あのう…」

 

 すぐに口ごもってしまう。

 足が震える。

 家の者に来訪を伝えねばならないのだ。さあ早く!

 サーマは大きく息を吸い込んだ。

 その時であった。

 ドロタ家の中から人が現れた。

 ドロタ・タロの母であった。つまり、サーマの義理の母になったはずの人であった。


「サーマ!」

 

 彼女は叫んだ。

 走りよってきて、抱きしめてくる。

 ふくよかな彼女に思い切り抱きしめられ、圧迫感を覚えるも、彼女の発した言葉にサーマは堰を切ってしまった。


「よく来たね。辛かったろうにね……」

 

 サーマは声を上げて泣いた。タロの母も泣いていた。

 ドロタ家の居間に上げられ、サーマは木箱を差し出した。


「骨壷はこの中でごわんど」

 

 サーマは声が震えてしまう。

 なんて、残酷な事を自分はしているのだろう、とさえ思った。


「そうですか」

 

 タロの母は寂しげに答えた。


「これがですか。立派な最期じゃったと聞き及んでおりもす」

 

 サーマはタロの遺体の様子を思い出していた。


「トトワの者共相手に奮戦し、カツマの誇りを示したと。新時代の為にその身を捧げた。サーマさん」

 

 彼女の口調は優しげだった。


「おはんのような許婚を得てタロは誇りに感じておりもした。使節に選ばれ、異国に行ってあらゆるものを学んでおられると。自分もこん国の為に出来る事ばしたかと。しきりに言うておりもした」

 

 サーマはその優しさに不穏なものを感じた。


「これから先、おはんがどういう人生を歩もうと、タロがどう思い、どう生きたか、それだけは覚えておいて下さい」

「はい……」

 

 サーマは頷いた。息苦しさを覚える。


「よかか?……タロはおはんの為に死んだのじゃ」

 

 タロの母の目はサーマを真っ直ぐ射抜いていた。


「跡取り息子は、おはんの為に死んだのじゃ」

 

 母は掴み掛かってきた。


「ないごて、おはんは留学行ったとか!!おはんが行ったせいで、タロは思い詰めたとじゃ……」

 

 母は泣きじゃくりながらサーマの肩を思い切り揺らす。

 しばらくそうして、タロの母は息を切らしながら、立ち上がってサーマを一瞥した。


「さ、帰ってくりゃたもんせ」

 

 サーマはよろっと立ち上がって黙って一礼してドロタの家を後にした。

 エルトン家の屋敷に辿り着く。

 木の門戸の前に立った。

 すると、井戸から水を汲もうとしていたサーマの母が、それを放り出して駆け出して来た。


「サーマ!よく帰って……」

 

 歩み寄って抱きしめようとしたのか、両腕を上げていたが、娘の様子がおかしいのに気づいたのだろう。心配そうな表情でサーマを見つめてきた。サーマが久々に味わう母の慈愛であった。


「どげんしたとか」

「いえ、先程ドロタ家に寄ってきたところで……」

 

 サーマは微笑んだ。


「何も心配はいりもはん」

「何ば言いよるちょか」

 

 母親はサーマの肩に優しく手を回し、「さ、中に入りたもんせ」と言った。

 サーマは居間に入った。

 4年程ぶりの居間であった。


「何も変わっとらんじゃろ」

 

 母は笑って言った。


「はい。何も変わっておりもはん」

 

 サーマは頷く。


「ドロタ家の事は気にする必要はなか。人の母として気を取り乱しとるだけじゃ」

「そうだと思いもす。訪ねたわたしが悪いのでごわんど」

 

 サーマはどうしても声が沈んでしまう。


「父は今城におる。じき戻ってくるじゃろ」

 

 母の言う通り父は夕方頃戻ってきた。

 父の反応はより一層激しかった。


「よう戻った、無事じゃったのう」

 

 泣きながら痛いくらい強く抱きしめてくる。


「ち、父上……」

 

 サーマも思わず苦笑いしてしまう程だった。


「いやいやすまん」

 

 父はそう言うと、気まずそうに後ずさりをして、居間に腰を据えた。


「父は、おはんの事をずっと気にかけておったとじゃ」

 

 母は言った。


「船が難破でもしたらどげんしようと」

「なんば言いよるか、サウ。おはんじゃって口うるさく言っとったじゃなかか」

 

 父が呆れる様に言った。


「いえいえ、あなた様程じゃなかでごわんど」

 

 母は鼻を鳴らして厨房に入っていった。

 サーマは慌てて立ち上がる。


「わたしも手伝いもす」

「よか」

 

 母は微笑んだ。


「おはんは疲れたじゃろ」

「いえ、何かしていた方が気が紛れもす」

 

 サーマも微笑んだ。そして居間から厨房の土間に降りた。


 久方振りの家族団欒をサーマは噛み締めた。

 味噌汁の味が染みた。身体に染み渡っていく。

 飯がホクホクだ。


「それにしても、美しうなったのう」

 

 父がしみじみ言った。


「わたしに似たのですよ」

 

 母がおどけている。

 サーマはカナリスでの事を語った。

 何を学んだか、誰と会ったか。

 父と母は興味深そうに訊いていた。


「その、ゼラという娘は今何しとるんじゃろうな」

「無事であればよいがの」

「いえ、間違いなく無事と思いもす」

 

 サーマは微笑んだ。


「ゼラなら、どんな苦境であっても打ち破ってみせるでしょう」

 

 彼女が言い切るので両親は苦笑いしつつも、今度はこれからの政情の話に移っていくのだった。


「いくら、他藩が文句を言おうとも、ネルア陛下に刃向かえば逆賊じゃ。それを分からんでもなかろう」

「確かに、その通りです。ですが、ネルア陛下がどうなさるかです。立憲専制君主としてあるか、それとも守旧的な専制君主として振舞おうとするか。おそらく他藩もそこのところを懸念しておるのでしょう」

「おはんは、難しい事ば言う」

 

 父は呟いて味噌汁を啜る。


「おなごは、そがん難しか事ばかり言うとったら……」

 

 母が言い、しまったとばかりに言葉を切る。


「サウ」

 

 父が小声だった。


「許婚があがん事になったばかりじゃろうが……」

「構いません。気にせんで下さい」

 

 サーマはそう言って出来るだけ明るく微笑むしかなかった。


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