赤の紋様
トトワ使節団一行の船が、サパン国アウラの沖にあったのは、10月1日の事である。
彼らにとって久しぶりの故郷が目の前にあるが、喜ばしい気分になれなかった。
一行の船に、大砲つきの軍艦が近づいてきたのは、暗くなってからであった。
「我々は、トトワ・カルプ様に率いられし、カナリスへの使節団である。話はついているはず」
タムが語気強く軍艦の長に言った。
軍艦の長は、髭を蓄えた小男で、一行を値踏みするような目線を発した。
「よかろう。神妙に致せば、礼を以って尽くそう」
「かたじけない」
一行は少人数に分けられて、小船で浜まで運ばれ、そこから歩かされた。
「安心を、既に話はつけてあります」
シバサワの口調はどこか不安そうに言った。
「どこから話をつけたんですか」
ゼラは小声で訊いた。
「タム殿がカナリス経由で新政権へ伝えたのですよ」
周囲を兵士で取り囲まれ、歩かされた。街の往来を何の配慮もなく歩かされた。
「これでは、我々は賊だと言わんばかりではないか」
リュカは毒づいた。
「カルプ様の事が心配だ」
彼らはカルプやタムとは別の組で歩かされている。
「カルプ様はやっぱり特別扱いでしょう。馬車にでも乗ってるんじゃねえですか?おら達みたいな木っ端みたいな目には…」
ゼラはおどけて言った。
「そうだといいが……」
しばらく歩かされると、門が見えた。
そこには兵士が立っていた。
松明に照らされ、彼らはさらに分けられる。
「あなたはこちらへ」
1人に対して複数の兵がつけられ、別々の部屋に案内される。
「1人部屋か、大層なもてなしで」
ゼラが言う。
「黙っていろ」
兵士が静かに怒鳴った。
連れられた部屋は殺風景な部屋だった。
「ここでしばらくじっとしていろ」
兵士はぴしゃりと襖を閉めるのだった。
ゼラは床を見る。木板がはめ込んであって、正方形の部屋だ。
首を傾げる。
何か妙な感覚があった。
次の瞬間であった。
木板から幾何学的な円陣が眩い光となって溢れ出、部屋中を満たした。
ゼラはとっさに青い目を光らせ、抵抗を試みた。
ゼラは法力を解放し、青い目から円陣に叩き付けた。
この目ならば、相手の術式や法術や魔動の系統に関わらず、打ち破れるはずだ。
そのはずだった。
円陣は確かに光を失い、ゼラも相手の術が解かれたのを察するのであった。
ゼラは床に崩れ落ちる。
凄まじい虚脱感が一気に襲い来る。
歯を食いしばり、立ち上がろうとする。
他の皆も危ない、これは罠だ。
ゼラは壁に手をつき、何とか立ち上がった。
襖を開け、廊下に出る。
兵士が立っていた。
羽交い絞めにされ、ゼラは暴れた。
「放せ!放せ!」
兵士達を振り切り、倒れこみながらも、尚も前に進む。
這ってでも行くしかない。
すると、とある部屋の襖が開けられ、兵士が誰かを運び出していた。
見知った顔だった。
彼は真っ白な顔で目を瞑り、ぐったりとしていた。
「リュ、リュカさん!!」
ゼラは愕然とした。
「リュカさん!リュカさん!」
「早くこいつを黙らせろ」
兵士の声が聞こえたかと思うと、ゼラの意識は闇に沈んだ。
気づくと、木の格子が目の前にあった。
ゼラは地面に寝かされ、後ろ手に縛られていた。
おぼろげな意識のまま、じっとしているとだんだんとはっきり見えてきた。外の廊下は蝋燭で照らされており、真正面にも牢屋があるのであった。
「リュカさん!?」
「ああ、ゼラか」
リュカの声だった。
ゼラは安心のあまり、一気に力が抜けてしまう。
「よかったです、無事で」
「お前こそ、無事で良かった」
とリュカ。
「いったいあれは何だったんですかねえ」
「俺にも分からん。ただ、あの円陣は得たいが知れない。何か恐るべき効果がある術式なのだろう」
「……」
ゼラは掌に法力を集中させて、手を縛る鎖を断ち切ろうとした。
だが、まったく鎖は無事であった。いや、法力が身体を流れた感覚すら無い。
「……」
「どうした?」
「嫌な予感がするげんじょ、まさかここまでするとは」
「いったい何だってんだ」
誰かが階段を降りて来る音がした。
「しっ」
2人は黙りこくって、その足音の主を迎えた。
「どげんじゃ?法術が使えんというは?」
その男は神経質だが居丈高な口調で言った。
顔はどこか小市民的な感じを受けさせる。
「おはんらは、法術を二度と使えん」
「カルプ様はどうなさっておいでだ!?貴様ら何かしたのか!?」
リュカが叫んだ。
「馬鹿め、元王太子弟に無礼を働く我等と思うか?」
男は一笑に付した。
「だが、おはんらの様な法術師は別じゃ。こん国の近代化にはトトワ側の法術師など邪魔なだけじゃ!」
ゼラは息を飲んだ。
「シンエイ様は!?」
彼女だけでなく、リュカの法術の師でもある者の名を上げるゼラ。
「シンエイか。法術方の奉行ともあれば、当然……」
ゼラとリュカはしいんと黙った。
男はニヤニヤ笑っている。
「ま、お上が決める事じゃ」
「ぬし、名は?」
ゼラが静かに言った。
「わしか、ガネリ・ガクという。4藩連合最大勢力のカツマ藩の者じゃ。今はこうして連合軍の参謀に過ぎんがな」
ガネリは大笑いした。
栄光の勝者の人生への途上にある勝ち誇った笑い声であった。
「そうか、ガネリか。覚えたぞ」
ゼラの声は低く沈んでいた。
「けっ、おはんはなかなかの美形のようじゃ。わしの妾にして欲しければ、わしの名を覚えておっていつか尋ねて来ればよか」
「そうか、おらが会いたいといえば、居場所教えてくれんのか」
「そうじゃ」
「教えてくれるんだな?なら、良かった。ぬしのこれからの行い次第だぞ?覚悟しておく事だ」
ゼラの目は闇の中、鋭くガネリを捉えていた。
「何を言うか」
ガネリは圧倒的優位のはずなのに、何故か冷や汗をかいてしまった。相手はもはや法術も使えぬ小娘で、牢屋の中に縛られている無力な存在であるはずだ。なのに何故?
「ふん、強がりおって」
ガネリは地下の監獄から出て行った。
「どうするゼラ?」
とリュカ。
「もはや俺達に打つ手はない。座してお沙汰を待つのみ。シンエイ様もご無事なら良いが」
ゼラが唸った。
「おい、額が」
リュカがゼラを指差す。
「額が何ですか」
「赤く光っている」
ゼラは額を擦ってみる。
「よく分からねえ」
「奴等、何かお前の額に刻み付けんだ。きっとそれで法術が使えない……」
「じゃあ、どうしてリュカさんのは光ってないんだすか?」
「それは分からん」
ゼラの額が突如光を失った。
そして次の瞬間、また紋様を浮かべ光出す。
「目、青くなってますか?」
リュカが首を振る。
「それもやっぱり駄目になってますか」
ゼラは溜息をつく。
さらに、点いたり消えたりを繰り返す赤い紋様。
しばらくして、ゼラは合点がいったように「ああ、成程」と言った。
「何が成程だ」
「リュカさん法力を出そうとしてみて下さい」
リュカが力む声を出した。
「…やっぱり駄目だ。いったい何を考え付いた」
「かすかに光ってましたよ」
ゼラの言葉にリュカは慌てて額を触る。
「法力出そうとすると、赤く光る。つまり、この術式が抵抗しとるんでしょう」
「抵抗……」
「ま、そう易々と終わる気はねえ。さっさとここを抜け出して、シンエイ様を助けにいきましょう」
ゼラはニカっと笑った。
「ああ」
リュカは不安気ながらも頷いた。
ガネリは屋敷内を歩いた。
男の法術師が捕らえられた部屋は、兵士が見張っていた。
やはり、なかなかの代物だ、魔動というものは。相手の意識を一定時間失わせるだけだが、使い用によっては、色々出来そうだ。さらに体内の法力の流れを止める術式…、魔動くこそが世界を統べるのは間違いなかろう。
次に女の法術師が捕らわれた部屋に向かう。
ガネリは嫌な予感がした。
何かが起きていた。
廊下に兵士が立って行く手を塞ぐ。
「あ危のうございます」
ガネリは兵士を腕で押しのける。
部屋の前にはさらに数人の兵士が立っていた。
構わず部屋を覗く。ガネリは絶句した。
部屋は床がすっぽり抜けていた。しかも円陣の部分のみがすっぽり仄暗い闇を浮かべていた。壁が歪み、今にも崩れ落ちそうである。床下の魔動機はバラバラになり、床下の地面に転がっていた。