志士との出会い
サパン国トトワ王朝よりカナリス国に派遣された使節団は、王朝の崩壊という事実が間違いない事を、本国に近づくにつれて実感するようになった。
9月下旬、彼らは本国を間近に足踏みしている。
サパンの隣国であるケン国の西洋人居留地に船をつけ、大使館や、貿易商などから得た情報によれば、トトワ王朝は禅譲により消滅した事。シミツ・ネルアが即位した事。王都アカドが4藩連合により占領されている事。これらは間違いないのであった。
彼らは居留地の一角にある侘しい廃教会に滞在していた。
「どうします?」
そう言ったのは、シバサワという若者であった。ゼラより幾分年上ではある。
「このまま本国へ戻っては、捕まってしまいます」
「カルプ様をどうお守りするかが我等の使命だ」タムは唸った。
トトワ使節団の代表は、かつてトトワ王朝の王太子の実弟という立場にあった、トトワ・カルプだ。しかし今やその少年は何者であるのだろうか?
カルプはゼラより年少の14歳であった。しかしながら最年少の彼は、弱音を吐く事なく、堂々としていた。
「構わぬ。我はもはや命に執着せぬ。皆がしたいようにせよ」
「しかしカルプ様!」
タムが声を荒げた。
「もはや、どこぞで亡命政府を打ち立てた方がよろしいのでは?」
シバサワが言った。
「亡命政府だと!?」
リュカが口を開く。
「どこがそんな泡沫政府を保護してくれるというのか」
「貴様、カルプ様に対する不敬ではないか!?」
タムがリュカに詰め寄る。
そんな様子を見ていたゼラは外気に触れる為に教会の中庭に出た。
草木が生い茂り、鬱蒼としている。なんと陰気な場所なのだろう。
彼女の主君は確かに芯がしっかりいているが、やはりどこか不安気なのであった。それを皆で感じとりながら、それ以上に大人達が不安なので、彼らの主君を気遣おうとしない。
「おらも同じか」
ゼラは苦笑した。
中ではしばらく紛糾していたので、ゼラは外をブラブラしていた。
星が綺麗だ。
サパンも、カナリスも、ここも、夜空は美しい。
人間の営みに関わらず、夜空は変わらないのか。
路地に出てみる。
街灯に照らされてはいるものの、カナリスのパラス程明るくはなく、ヨウロ風のレンガ造りの建物が暗く照らされていた。
ふと、目の前にヨウロ人の男女が歩いていた。
ゼラは周囲を見回した
建物の影や路地の奥まったところに人影がいくつも見えた。
その影が音も立てず動き出し、ヨウロ人の男女の背後に回った。
「おい!」
ゼラは叫んだ。
するとその影達はぴたりと動きを止め、ヨウロ人男女も何事かと後ろを振り返る。彼らは自分に襲いかかろうとしていた存在に気づき、明らかに狼狽している。女は怯えて男にすがり付き、男は何か叫んでいる。
カナリス語か?いや、それとも違う言葉のようだ。
ゼラは代わりに自分が影達から囲まれているのに気づいた。
その影の中から1人前に歩み出る者があった。
若い青年だった。端正な顔立ちだが、鋭さと激しさを感じさせた。
何かを話してきた。ここの言葉なのだろう。
やがて通じていない事を悟ると、青年は今度はゼラを驚かせた。
「ナゼ、邪魔ヲスル?」
「ぬし、サパン語を話せるのか?」
ゼラは驚きのあまり声を上げた。どうやら『国際人』でないのは自分だけかもしれぬ、と冗談交じりにそう思った。
青年は構わず続けた。
「オマエモ、サパン人ナラ分カル筈ダ。西洋人ハ、東洋ヲ食イモノニスル気ダ。ダカラコソ、西洋人ニ対抗シナケレバナラヌ」
「だからといって、こんなやり方じゃ駄目だ」
ゼラは言った。
「アクマデ邪魔ヲスル気ナラ、致シ方ナイ」
青年の身体から、法力のようなものが溢れるのを感じる。いや、法力とはまた違うのか?
「オマエモ、只者デハナイヨウダナ」
青年はニヤリと笑い、周りの者を下がらせた。
「ぬしこそ」
ゼラも口角を上げる。
青年が手をかざすと、ゼラが飛び上がる。彼女が数瞬間前までいた空間が爆発する。
ゼラは再び青年の手が向けられたのを悟ると、彼女もまた、手をかざす。
空気が弾け飛んだ。
ゼラは地面に着地すると、青年の上段蹴りを腕で受け止め、間髪入れずの拳や蹴りを防ぐ。
ゼラの拳は宙を切り、青年は後ろに飛び下がる。
次の瞬間、空間が真白く変貌した。
先程までの夜闇が、まったくの白い空間へと変わった。そこには白しかなかった。闇も月も星も、周囲の建物も何も無い。自分以外は全て白しかない空間に……。
(まずい!)
ゼラの目は赤みがかった茶だったのが、透き通った空色に光りだす。
白の空間は瞬時に掃われ、元の夜闇が戻ってきた。
青年は驚きの表情である。
「ホウ、アレヲ防グトハ。ソレニシテモ、ソノ眼は何ダ?」
先程のを食らっていたら、戦闘不能どころか、下手すれば死んでいたであろう事が容易に想像がつき、ゼラは久々に冷や汗をかいた。
「聞イタ事ガアル。サパン国ノ、赤キ髪ノ蒼キ眼ノ者ノ話」
ゼラは愕然とした。
「ぬし、何か知っているのか?」
彼女は、この眼の事をよく分かっていない。そも、自分がどこで誰のもと生まれたのかすら知らぬ。物心ついた頃には既に、暗く汚い路地裏にいた。
この眼になると、反応や瞬発力が上がり、思うように動けた。さらに法力や魔動のエネルギーも感知の精度が増すのが分かった。さらに、こうして相手の術を打ち破る力もある事も。だがその分打ち破った相手の法力や魔動のエネルギーに比例して消耗が激しい。さっきの術には相当の力を使ったらしく、かなりの疲労感がぐっと襲ってきている。
あんなものを連発されてはたまらない。
「知ラヌノカ。ソノ昔、サパンニハ、赤キ髪ノ蒼キ眼ノ者ガイタ。ソノ者ハ兵ヲ率イ、マタハ自身デ戦ウ事デ悪ヲ打チ破リ、英雄トナッタノダ。ソノ逸話ト同ジダ」
ゼラは全く知らなかった。改めて、自分自身の浅学さを恨めしく思う。
青年は笑い出した。
「ソノ眼ヲ持ツ、オマエト戦ッテモ、旨ミハナカロウ。ココデ退散サセテ頂ク。オマエトテ、コレ以上騒ギニハシタクナカロウ。追ッテ来ナイデクレ」
彼らは歩き出した。
ゼラは内心焦った。この青年は何か知っているかもしれない。
「おい、待て!」
ゼラは声を掛ける。
彼らはくるりと振り返る。
「この眼の事、どれくらい知ってる?それに、ぬし達の事情も聞きたくなった!」
青年は困った表情を浮かべる。
「オマエダケナラ、イイダロウ。誰ニモ言ワヌナ?」
「当たり前だ。どうせおら達はこの国にはもう用はないんだ」
ゼラはニヤリと笑った。
ゼラが案内されたのは、居留地の一角の、とある富豪の屋敷だった。
そこには、大勢の人間が屯していた。
「コレガ、同士達ダ。イワバ志士ノ集マリダ」
ゼラは男達に囲まれ睨まれた。
彼女は物怖じもせず、そこに腰を下ろす。
「無礼ヲ許シテクレ」
「構わねえ。こっちが押し掛けたんだ」
しばしそこで語り合った。
青年の名は、リュウケンといった。ケン国がヨウロ諸国に弱腰で、次々と居留地という形で、領土を奪われているのが許せぬといった。
「新タナ、ケン民族ノ国ヲ興シ、ヨウロニ対抗スル。サパンガ今ソウシテイルヨウニ!」
リュウケンの口調は熱を帯びていた。
「いや、まだサパンもどうなるか分からねえ。本当にこれで良いとは言えねえんだ。もしかすっと、サパンで今起きている流れは間違っているかもしれねえ」
ゼラは彼女なりに配慮しながら言葉を選んだ。本当ならサパンの今の情勢など吐き捨ててやりたいところだった。
「トコロデ、オマエノ眼ニツイテダガ……」
リュウケンは言いにくそうだった。
「アマリ知ラヌノダ。サパン人ニ聞イタ事ガアッタダケダ。サパン国ノ人間ノ方ガ詳シイノデハナイカ?」
「そうか」
ゼラは失望を禁じえなかった。
「タダ知ッツテイルノハ、ソノ眼ヲモツ者ハ恐ルベキ強サヲ誇ッタト」
「確かにおらは強え」
ゼラはおどけた。
リュウケンが目を丸くする。
「サパン人ハ、謙遜ガ得意ト訊イタガ」
「おらは国際人なんでね」
2人で笑い合った。
それから、しばし語り合った。
立場こそ違えども、国が激動を迎え、何かせねばという若者同士の共感がそこにはあった。
「すまねえ、長居した」
ゼラは苦笑する。
「何ヲ言ウ。ゼラ、ワタシモ、オマエト出会エテ良カッタ」
リュウケンは微笑んだ。
「ゼラノ行ク末ニ。サパン国ノ未来ニ幸アレ」
「ぬしらこそ、ああいうやり方はよして、もっと別の方法を見つけるんだ。立ち向かうべきはもっと巨悪だ。あんなか弱い庶民襲って志士なんて気取っちゃ駄目だ」
リュウケンは頷いた。
「そうすれば、人はついて来る。そうなればケン民族の将来は明るい。おらは信じとる!」
2人で肩を抱き合い、バンバンと叩き合った。
こうして、ゼラはリュウケンと別れた。
リュウケンという人物が、これからどういう人生を送り、どういう人物になるかは、今は誰にも分からない。
夜は明けてしまっていた。
どこか、清清しい気分で空を見上げる。次に彼女は焦りの表情を浮かべる。
「まずい」
ゼラは走って、教会に戻り、庭先でリュカに会った。
「何だ、ご機嫌じゃないか」
「いえ、別に」
ゼラは答えた。
あんな大事な話し合いの最中勝手に抜け出したとあっては、怒られるかもしれないと思ったが。
「ああ、やはり帰国する事に決まったよ。いつかはまだ分からん。時期を見て出発する。トトワ本家が保護を受けているのだから、そこからカルプ様があぶれるのはむしろ危ない、という事だ」
「そうだすか。大丈夫ですかねえ?」
ゼラは怪訝な声で言った。
「さてね」
リュカは顔をしかめた。
「相手さんの器量次第さ」
敵に運命を委ねる事になるとは。2人の顔はそう語っていた。