即位
サパン国。
トトワ王朝のもと、いくつもの藩で構成されている。藩は王家に忠誠を誓い、秩序が保たれてきた。無論その秩序の中でも、ありとあらゆる暗闘の歴史があるのだが。
しかし、その秩序体制は終わりを告げるのであった。
後世、雄藩と呼ばれる4藩はそれぞれ、立場も新国家樹立への熱意も異なっていた。特にカツマ藩とチャルク藩の熱意とトトワへの対抗心は、消極的に様子見を保っていた2藩を巻き込み、ついに打倒トトワ王朝へと動き出すのである。
トトワ暦269年2月22日、カナリス国パラスへ使節団が出航した後の事であるが、4藩連合がついに決起し、トトワ王朝軍とトイバの戦いでそれを打ち破ったのが、27日である。
4月30日、トトワ国王トトワ・サルプは居城のアカド城を出でて、王都アカドの郊外にあるニス城にて、カツマ藩主シミツ・ネルアに禅譲の意思を示し、それを確約した。そのまま、ニス城に留まり、アカド城にはトトワと対立していた雄藩カツマの軍勢が向かった。その報に慌てて4藩連合のうちの残り3藩であるチャルク、タサ・ヘイゼンの4藩からなる連合軍も兵を進めている。
それは、当のトトワ陣営にとっても、4藩連合陣営にとっても、寝耳に水の出来事であった。結果としてカツマにアカド城は占領され、国王サルプもニス城にてカツマの庇護下に入ったものの、一触即発の情勢は変わらなかった。
ネルアの即位に反発したのは、3藩は当然であったが、カツマ藩の実力者であった、セアクボ・タカトーが諌めて言うには、
「3藩の反発を招くは得策にあらず。新政権はひとまず合議制がよろしき事」だった。
ネルア公は顔をしかめただけで、彼の言葉は聞き入れなかったが、セアクボの意見は4藩連合の多くの者が想定していた『未来』の形であったのだ。
戴冠式は5月2日に、ニス城にて執り行われた。
参列者もカツマ藩が多く、チャルク、タサ、ヘイゼンの3藩からも一応代表者の出席者があった。急ごしらえであったが、それなりに体裁は整っていたと参列者の1人チャルク藩のケイデ・テイヤシは語っている。サパン国において禅譲など、トトワ王朝が誕生する遥か以前に数える程度しか行われておらず、手探りの中の戴冠式であった。
セアクボが固辞したのは、サルプから譲位される体を取らないという事であった。なので、最終的にネルアが最初から王冠を被って謁見の間に現れるというパフォーマンスが行われた。
トトワ王家やトトワ一族やその家臣達は、恭順する者のみ、身の安全が保障される事になった。それを身を以て最初に示したのが国王自身なのであった。
だが、やはり恭順に納得のいかぬ王朝家臣団やその身内師弟などが反発し、徒党を組み始めた。何せ270年なのである。その年月の重みは戦いと流血を欲していた。
さらにはネルアの即位により燻る4藩連合間の諍い……。
カツマ使節団が帰国したのは、そんな情勢下であった。
使節団の船は、当時から海外に開かれていた港街ヤカフミに到着。それから使節団の者達は、久方振りにサパン国の地面を踏みしめた。
「エルトン・サーマです」
サーマは手形を入港管理の役人に見せ、ひとまずは藩が手配した宿屋に入った。
街を少々歩く際、すれ違う人々が向ける視線が、厳しいのを感じたが、とりあえず宿で落ち着きたい。ひたすら船で揺られ、嵐と直射日光に苦しんだ日々が終わったのだ。
宿は手狭ではあったが、何より畳!
サーマは人が見ていない事をいい事に寝転がった。
肌触りが冷たく、心地良い。
カナリスとは違って、襖で隔てられた部屋なので、鍵もかけられず誰か入っていきそうな気配がしたので、ひょいと起き上がって、荷物から本を取り出し、卓に座って読む。
歴史の本であった。かつて古代ヨウロにおいては民主制が機能し、民衆1人1人が政治を語り合い、選挙権を持っていた。だが、それを駆逐したのは非民主的な世界だった。長きに渡った封建時代を経て、今再び民主主義が行われている。
サーマは嘆いてしまう。彼女が読んでいるのは当時の史観で書かれた内容なので、後世の歴史観と多少異なるのだが、『文明』が『野蛮』に打ち破られる場面は悲しく感じた。
何故、そんな事が起きてしまうのだろう?
(高度な文明、高度な政治が行われていた時代から、何故、逆行したのだろう?)
サーマはそう思った。
カツマら雄藩が造らんとする新時代、新国家、それらはトトワ王朝、トトワ時代と比べて、劣ったものであってはならない。そうでなくては……血を流す意味は…。
彼女の思いをさらに強くする出来事はすぐに起こった。
トトワ王家の恭順、4藩連合による支配に納得のいかぬ、王朝家臣や師弟の者達が徒党を組み、「義衛隊」と名乗り、アカドの街をあたかも自警団の如く活動し始めた。義衛隊は4藩連合軍の兵士達と度々諍いを起こし、乱闘騒ぎが頻発した。さらに時が経つと、その勢力は勢いを増した。事態を重く見た4藩連合は義衛隊の討伐を決意した。
「10月2日、4藩連合軍は義衛隊の本拠地に総攻撃を仕掛けるものなり」
と簡単なお触れが出たのは9月の下旬の事であった。そして、兼ねてより指定した日に、4藩連合軍と義衛隊の戦いが、義衛隊本拠地の丘の上で行われた。
お触れを出した事で、恐れをなしたり、付き合いで参加していただけだったり、した連中が逃亡し、義衛隊の兵力は著しく減退していた。
そのうえ4藩連合は、最新鋭の魔動砲を備え、それによる猛攻撃を加えたのである。
義衛隊も法術で対抗するものの、為す術なく退却を余儀なくされた。
退却の後は、散らばっていった。トトワ家とつながりの深い藩へと逃亡していったのである。
戦いは多くの血を流し決着した。特に魔動砲の威力の凄まじさは語るべきものがあった。
サーマはこの戦いに実際参加した訳でもなく、実際見た訳でもなかった。だが、人々による噂と、かすかに遠くから聞こえてきた魔動砲の砲撃音に、心底震えた。
大勢の死体、丘は赤く染まり、悲鳴と呻きとに満ちた……。その光景が浮かんでくるかの様だった。
「やったな!」
サーマが縁側に出て外を眺めていると、マリナリが揚々とサーマに近づいてきた。
「4藩連合の大勝利じゃ!義衛隊の連中は蜘蛛の子を散らすようじゃったと聞く!新時代は我々のもんじゃ!カツマの!ネルア陛下の!」
彼のあまりの嬉しそうな顔に、サーマはいまいち乗れなかった。
「なんじゃ、嬉しくなかとか!?」
「勝敗は見えとった。それなのに、あえて喜ぶ意味が分からない」
サーマは自分の口調が刺々しいのに気づいた。
マリナリは首を傾げた。彼はサーマと同年の、カナリスへの留学生仲間であった。
「予測出来るのと、実際どうなるかとは大違いじゃ。政治的にも象徴的なこつじゃ。これでアカドの連中も我々を認めざるを得んじゃろ。おはん、カツマは天下を取ったとじゃ」
マリナリはニコニコしながら歩き去っていった。
サーマは、何故か喜べない自分を感じていた。
これは、カツマの人間としては失格かもしれない、そう思った。
まだ、戦いは終わらないだろう。
4藩連合も危うい気がする。マリナリもそれは承知で、カツマの全面勝利を信じて疑わないのだろう。
ネルア陛下の即位に関して、連合の中で不満が燻っているとの声も聞いた。
既に、アカドの民草においても周知の噂であった。
カツマ藩のセアクボとチャルク藩のケイデの談義はその夜行われた。
ケイデは、ネルア公の即位を厳しく批判し、セアクボも頷くばかりであったという。
サーマがその話を聞いたのは数日後であったが、情勢を見守る事しか出来なかった。
そんな中、サーマを訪ねる者があった。
サーマは、その者が医者である事、そして沈痛は表情をしているのに、非常に不安を覚えた。
「とにかく、トウガン寺に来てください」
トウガン寺。
先の義衛隊との戦いで、後詰として使われた場所で、負傷兵が収容されていると聞いていた。
「手が足りませんか?」
サーマは少しだけだが、法術や魔動を用いた治療の心得があった。
医者は首を振った。
「とりあえず来て下さい」