戦争の後
新サパン暦の10年が明けてすぐ、サーマとコノリは夫婦となった。
エルトン家と関わりのある人々が大勢集まり祝った。
親類縁者や、サーマが個人的に付き合いのあった、私塾学校の元生徒や元カツマ軍の人々も駆けつけた。彼らはサーマと同様に戦には参加していなかった為軽い処分で済んでいたのである。
しかし、サーマが最も祝って欲しい友人はその場にはいなかった。
ゼラはやはりこのエルトンの家には帰ってこなかったし、知り合いや周囲の人々もあの赤髪の娘を見たという者はとうとう現れなかった。
新サパン暦10年3月、サーマとコノリがカツマを発った。下旬頃にはトカシの地のとある森に辿り着いていた。
否、もはやそこは森とは呼べない所であった。やせ細った荒野があるのみであった。
「ここがかつては森じゃったとは……」
コノリが見回し茫然とした様子で言った。
「信じられもはんな」
サーマは頷いた。
しかし、サーマは途方に暮れていた。ここがゼラとゴーレムが死闘を繰り広げた土地であるのは間違いない。
だが、戦いの痕跡はあまりに甚大であり、ゼラ当人の痕跡は残されていないのではないか。と思えた。それに、時間が経ってしまった。
エルトン家の立場もある。政府の目もあった。結果、2年以上も経ってしまった。
無二の友人に対し何たる薄情振りであろう。
サーマは胸を締め付けられる思いであった。ただ、信じていたのも事実である。いつか、ひょっこり、あの朗らかな笑顔を浮かべ、何でもない風に帰ってくるのではないか。玄関先で物音がする度、気が気でなかった。飛び出して行ったら全くの別人だった事もある。
サーマは歩き回った。
どこかに、どこかに、ゼラの痕跡があるはずだった。
それを見つければ、ゼラの居所の手がかりが得られるような気がしたのだ。
そして見つけた。地面にかすかに残っている。風雨によって薄れてはいるが、幅の広い巨大な線が一直線に伸びていた。それが、魔動か法力による極大の閃光によるものだと気づくのにそう大して時間は掛からなかった。
サーマは思わず走り出していた。
「サーマ」
コノリが慌てて追い掛けてくる。
「どげんしもした」
その線跡はある岩壁の辺りで止まっていた。
「サーマ」
コノリが追いついて、彼もまたサーマと同じところを見た。
岩陰にはっきりと、人の足跡が刻み込まれて、その跡から縦横無尽に大小のひびが伸びていた。
「こいは一体……」
コノリが口をあんぐりとして言った。
「ゼラに違いなか」
サーマは手を伸ばし、その足跡を撫でた。
ここにゼラはいたのだ。
ここで、ミンブリンの最強のゴーレムと1人死闘を繰り広げたのだ。誰の助けも借りずに。
サーマは腕で涙を拭った。
周囲を見回す。他に何か痕跡は残っていないのか。
近くを探し回る。
だが、何も見つからない。
そろそろコノリに声を掛けようとしたところだった。
「サーマ」
彼が大岩の側で何かを拾い上げていた。
走り寄るサーマに、婚約者はそれを見せた。
布の破片であった。指で摘まめる程度の小さな破片であり、服か何かと思われたが、これが果たしてゼラのものかは判然としなかった。だが、サーマはそれを大事にハンケチーフに包み込んだ。
それからしばらくして、
「そろそろ帰りもんそ」
コノリの声色は優しかった。
夕陽も傾いてきた。街に戻る時間だ。
サーマは頷いた。
それからも周囲の村々に訊いて回ったりした。赤髪の娘を見なかったか、来なかったか、匿わなかったか?
しかし、芳しい答えは得られず、さすがに長い期間家を空けるのも忍びなく、やがて2人は故郷カツマへの帰途に着くのであった。
カツマは未だ、復興の途上にある。その力に少しでもなるべきであった。
「サーマ、必ず生きとるに決まっとる」
コノリは尚もサーマを気遣い続けた。
「あいがとさげもす」
サーマは頭を下げ、手を握り励ます婚約者の手を握り返した。
「もう悔いはありもはん」
「サーマ……」
コノリは神妙な表情を浮かべた。サーマは晴れ晴れとした表情を浮かべるつもりが、そう出来ていなかったのだろうか?
「……カツマに帰りもんそ」
サーマは微笑んで言った。
「おう」
コノリは頷いた。
カツマに戻る寸前の街で信じがたい報せを訊いた。翌日にも山を越えカツマに入ろうと決め、宿へ入ろうとした矢先であった。往来の真ん中で新聞の束を持った少年が叫んでいた。
「セアクボ卿暗殺さる!セアクボ卿暗殺さる!」
セアクボ・タカトー。政府の重鎮中の重鎮であり、西南方面戦争でのカツマ軍総大将タイゴ・マカナルとは友人であった。お互いを補い合って新時代を切り開いたのだと、殊にカツマ人は誇りしていた2人であった。
その両方が非業の死を遂げたのである。
サーマもコノリも愕然とし、新聞を買い求めた。賊は政府の政に不満を持つ者達だった。斬奸状には先の西南方面戦争の責を問う内容もあったという。
新サパン暦10年5月14日、セアクボは王宮へ向かう為に朝方馬車で出発し、その途上において賊の襲撃を受けたという。セアクボは法術の使い手であったが、法術封じを自らにかけており、抵抗も出来ぬ内に斬殺されたという。
「セアクボ卿……」
セアクボはサーマと同じく、勝者側の法術師でありながら法術封じを自らに施した数少ない人間の1人であったのだ。サーマは彼と会った日の事を思い出していた。彼の推挙によって魔動省に入れたのは今にしてみれば有難い事であったと思う。そう、あの時はゼラと2人で会ったのだ……。
「セアクボが死んだか、タイゴどんを死に追いやった咎を受けたとじゃ」
記事を読んだコノリがそう吐き捨てた。その当然の様な口調は伴侶との思想的乖離をサーマに自覚させた。ただ、それは思想的なものではなく、心情的なものであったかもしれない。その分より一層の断絶の様なものが2人の間に横たわっているといえた。しかし、サーマは何も言わずに黙っていた。
ただ、カツマ本土においてもそれは変わらなかった。
カツマの人々は殆ど皆一様にセアクボの死を天罰として捉えていた。サーマの両親においても例外では無く、父も母もセアクボを罵りに近い言葉で吐き捨てた。
かつて誇りとしていた分、裏切られた想いが強いのであろう。
サーマはセアクボがこの国に果たしてきた功績を評価したかったし、痛みを伴う改革を断行してきた結果、故郷においても嫌われ者になってしまったのも理解出来た。
エルトン家はカツマ藩が廃止されてからは禄を失い、生活はほぼ自給自足となっていた。しかし、此度の乱で田畑も荒らされてしまい、まずは集落の皆と協力して畑等の整備し直す作業に追われた。今やそれも終え、乱以前の生活を取り戻しつつある。だからこそサーマとコノリの2人が遠いトカシの地まで行く事が出来た。
しかしその旅も、何も得られないままの帰還となったのであった。
サーマは気を取り直して、田畑の手伝いや家事もこなす日々を続けた。
10月に入った頃にはミラナ王女から手紙が届いた。
曰く、久々に語り合いたいとの事だった。
王女は昨年正式に婚姻の儀を済ましており、屋敷も以前の場所から幾街も離れたところに移っていた。サーマは立場上お祝いを述べるのを憚り、先日ようやく手紙にてささやかながら果たす事が出来た。
サーマは嬉しく感じたが断わりを入れた。
「カツマは復興の最中にあり、父と母を置いて行くのも忍びない上に連れて一時でもカツマを出るのも憚る」
としたためた。理由はもちろん第一がそれであるが、王女と自分が合うのは時期尚早だと思えた。一度は賊となってしまった自分とサパン国の王女が会うのはまだ早い。しかも、ミラナ王女はカツマの元姫君であったのが、父ネルアが禅譲を受けた事によって王女となったのである。非常に難しい立場にあるといえた。政府内において、カツマ藩閥ならともかく、それ以外の、例えばカツマ藩閥に次ぐ勢力を誇るチャルク藩閥はどう見るか。かつてネルア王が禅譲された時、チャルク藩が大いに反発したというのもある。
此度の乱でカツマの人材もかなり損なわれた。先日のセアクボ卿暗殺でさらにカツマ藩閥の影響力は失われた。政府内のカツマ出身者のこれ以上の立場の悪化は避けたい。
(藩閥政治を支持する訳ではなかが……)
サーマはどちらかといえば、藩閥政治打倒を主張する民権運動に共感を寄せていた。
ただ、彼女はカツマの水と空気で育ってしまっていた。
本当はミラナ王女と久々に会って語らいたかったのであるが、とりあえず王女とは文通を交わして、互いに近況を語ったりして旧来の友情の慰めとするのであった。
新サパン暦11年には請われる形で学校に教師として務めだした。
サーマは諸々の鬱憤を晴らすが如く大いに働いた。学校の教師という立場を得たサーマはまず、学校教育の大切さを村々に訴えて回り、就学率の向上を目指した。さらに、村々や乱後に困窮していた私塾学校生徒らに呼びかけ、村という枠組みを越えた農業組合の結成を働きかけた。サーマも直接村々を回り、呼びかけを続けた。結局はサーマの周囲の数村と私塾学校元生徒らが説得に成功したさらに数地区程度に留まったが、これは後に就任したカウノという知事が、農業会をカツマ全土で組織化する礎の1つともなった。
さらに、特産品の奨励も方々で行っている様である。しかし、これはサーマの功績が大たるとは言えないようだ。ささやかな影響に留まった様である。
新サパン暦13年1月26日には王都アカドのミラナ王女に挨拶に出向いた。
王女の再三の要求にサーマが屈服したとは聞こえが悪いが、これまでの働きにサーマ自身も小休止を入れたい頃合いであったのも確かである。
「我儘を言ってすまんの」
「いえ」
サーマは首を振った。
「殿下のお頼みをこれ以上聞かないのは非礼でありましょうから」
サーマは微笑んだ。王女相手にはカツマ訛りを隠すサーマである。もとカツマの姫であるミラナだが、生まれも育ちもほとんどアカドであった。カツマ訛りは国許育ちの証である。
ただ、これはもしかすると、王女のサーマへの心遣いかもしれなかった。王女の屋敷に呼ばれ、話し相手になる。これの意味するところは大きい。サーマも、王女の善意をこれ以上無下にする訳にはいかなかった。
「そうじゃぞ。よくぞ踏みとどまってくれた」
王女も笑った。
それから2人は、文通では語りつくせぬ近況を言葉で語りつくした。
王女にはもう子がおり、男子と女子の1人ずつが、傍に控える侍女にあやされていた。
サーマはその愛らしさに微笑む。
「それから……まだ、何の手がかりも無いのか?」
王女は聞き辛そうに訊いてきた。
「ええ……」
サーマは頷いた。
それは、新サパン暦13年9月の事であった。
サーマがふとしたきっかけで、赤髪の親友ゼラとの思い出話を教え子達に話していた時の事であった。
この年に新しく入学したオウノという少女が、父から聞いた話だと前置きを置いて、サーマに向かって言った。
「うちに出入りする行商さんが、言っとったよ。故郷にも赤い髪の女の人おるって。もとはその村ん者じゃなくて、余所者じゃって。赤い髪の人って見た事なかけれど、いっもんだなあ」
サーマは衝撃の余り、しばし思考停止した。その後は何とか取り繕って授業を終えたが、教え子らの見ていないところで、顔を覆った。
(ゼラ……ゼラ!本当におはんなのか!?)