自白と乱の趨勢
サーマとソトツの相対は学校の裏手で行われ、周囲には誰もいなかった。
ソトツがじりじりと距離を詰めてくる。
「ゴーレムはどげんした?」
サーマは身構えつつもからかい気味に言った。
「……連れてくるまでもなか」
ソトツが鼻を鳴らした。
「手向かえば、ゴーレムをここからでも動かしてやってもよかど?爆破してやったり、そこらへんの人を襲うよう仕向ける事も出来る」
ソトツは陰惨な笑みを浮かべた。
「そいは嘘じゃ」
サーマは首を振った。
「ゴーレムは周囲の目があるから動かせんじゃっただけじゃろ。そいに、遠隔操作出来るといっても、限度がある」
ソトツが眉間に皺を寄せ、唇を軽く噛み締めたのを、サーマは見逃さなかった。
「そいに、わたしを襲うように魔動陣に仕組む事もおはんには出来んとじゃろう?」
サーマの言葉にソトツは明らかに驚いていた。そんな事など思いもしなかった、といった様子だった。
半分は魔動陣を読み取ってゴーレムの性能を把握したうえであったが、残り半分は鎌をかけたといっていい。
「もうよか!ここで引導を渡す!」
ぎぎっと歯ぎしりをしたソトツが、両腕に纏わせた法力の渦から呻りを上げさせながら一気に駆け寄ってきた。
しかし次の瞬間、ソトツの腹部に向かって、突如地面から生えた土の柱が襲い掛かった。寸前のところで腕で防ぎ、さっと後ろに飛び退さるソトツ。
ソトツは口角を吊り上げた。
「恐ろしか小娘じゃ!」
彼はさらに腕を振り被ろうとしたが……。腕を纏う法力の渦がすっかり消え失せているのに気付くのであった。
「……法術封じ……!」
一気に顔を険しくし、さらに飛び退さったソトツが、懐から取り出したのは幾片かの紙であった。
法術が封じられたならば魔動で対抗する。彼の判断は迅速かつ正しかったといえる。
懐から取り出された魔動陣の書かれた紙がかざされようとしたまさにその瞬間であった、彼の腹部にしたたかに直撃したのは、土が盛り上がり柱と化したものであった。
ソトツは嗚咽しながら蹲り、手に持っていた紙を離した。その紙はサーマが発生させた突風によって飛んでいく。
地面に手をついて口から透明な液体を吐き嗚咽するソトツに対して、サーマは冷淡な様子を見せ言った。
「土を盛り上げただけじゃっで、そこまで硬くはしとらんから心配せんでよか」
そこに、騒ぎを聞きつけた私塾学校の生徒達らが集まり、サーマによってソトツが爆破事件の実行犯だと告げられると、慌てて彼をお縄にした。
「殺してはなりもはん。彼には生きて証言してもらわねば」
サーマの言も空しく、ソトツは学校内に急遽作られた牢に繋がれる事になったものの、戦争の混乱の最中、カツマ兵による報復に遭い斬殺されてしまっている。
しかし、彼は生きていた間はしっかりと自白を重ねていた。
自分はカナリス国の実業家ミンブリン伯に雇われていた事、物陰からゴーレムの魔動陣に仕込まれていた爆破の魔動を発動させた事などを語った。
「ミンブリン伯から大金を貰う約束をしてカツマに侵入した」
と悪びれも無く語ったという。彼は生まれこそカツマであったが、トトワ王朝を打倒する戦の際に家族を失い、当てもなく王都アカドに流れて長らく暮らしていた。その時にミンブリン伯と出会い、もともと使えていた法術と合わせて魔動の技術も習得したのだという。
「カツマには思い入れなど何一つない」
ソトツはむしろ唾棄するかの如く語った。それには苛烈な尋問を行っていたカツマ側も困惑する程だったという。
それと、ハチバ・ガンについて無関係だともソトツは言い切った。
「あの男はタイゴに心酔しているから、カツマを害する事などせん」
さもあらん、とも思ったが、サーマは尚も疑いを捨てなかった。尋問には参加せず、生徒から又聞きであったが、ソトツはハチバを庇っているような気がしたのである。
志も無く只の目当てだとすれば、もはや死以外は免れえない状況において自棄的もしくは悪意を以て、道連れに出来る者がいれば道連れにしたっておかしくはない。むしろ、カツマに恨みを抱かんとする者ならば尚更、カツマ軍幹部への汚名は望むところであろう。
それとも本当に何かしらの志があって、1人背負う事に誇りを見出しているのであろうか?
サーマは理解に苦しんだ。
カツマを戦禍の当事者にし、新時代へと生まれ変わったばかりのこの国に乱を招き、大勢の人間を死なす事に、何の志があるというのだろう。
1度サーマは許可を得てソトツと話をした事がある。
木格子の牢を挟んで、ソトツは笑みを浮かべながら言った。髪も髭もぼさぼさで、目つきは尋常ならざるものがあった。
「おはんのような、恵まれた暮らしで愛情をたくさん受けた者には分からんじゃろう」
そうソトツは吐き捨てた。
「ハチバ殿は本当に関係ないのでございもすか?」
サーマがそう口にした途端、
「もう答える気になれん。帰れ!」
ソトツが木格子を震わせるかと思うような大声を放ち、それからはそっぽを向いて2度とサーマの方を見ようとしなかった。
やむなくサーマは見張りの番の者にもう済んだと話し掛ける他無かったのであった。
少なくともソトツは、カツマに対して複雑な感情を抱いている事は分かった。ただ、ハチバとの関係については断固否定し続けた。
結果、カツマ軍幹部ハチバ・ガンの名誉は守られたのである。
そんな矢先、ハチバの戦死が年明けの新サパン暦8年1月中旬頃にカツマにも届いたのである。
ただ、サーマとしてはもう1つの報に衝撃を受けてしまい、それどころではなくなってしまっていた。
前年の11月12日における、赤髪の友人と政府軍の最新式巨大ゴーレムとの戦いの顛末を知らされたのである。
神話の如き壮絶な死闘の結果、ゴーレムもゴーレムに乗っていた者も消滅し、赤髪の若い娘は行方がとんと知れないという。
カツマ軍に戻った形跡もなく、もしかすると政府軍に捕らえられ殺されてしまったか。という。
(馬鹿な)
サーマは、あの友人が殺されるなど有り得ないと信じていた。確かに最新式ゴーレムはサーマが知る限られた情報からでもその強大さ強力さがはっきりと分かる。
しかしあのゼラが、あのゼラが、死ぬはずがないのである。
近くに血だまりがあり、出血量から考えて遠くまでは行けないだろう事、1人でいるのなら間違いなく衰弱するであろう事、何より近くにはカツマ軍にしろ政府軍にしろ、軍勢が屯しており、その目を逃れるのは容易くない事、等々の理由を以て、死んだかもしれぬ。というのが風聞だった。
サーマは気を紛らわせる目的も多分にあって、ソトツの証言の裏付けを取るのに集中した。爆破事件のゴーレムの破片を掘り出してかき集め、1つ1つを組み合わせていった。
「気が遠くなりもすな」
と周囲が冗談交じりに漏らす程、サーマはその作業に熱中し、組み合わせていって形になった魔動陣の解読を開始した。
程なく、爆発しなかったゴーレムとの差異を発見した。武器庫に収められているゴーレムには無かった、爆発を誘導する部分が魔動陣の中にあったのである。
(やはり……)
サーマはそれを記録に纏めていった。
やがて、戦争の推移も伝わってきて、タバラ街道での政府軍とカツマ軍の一月に渡る死闘を政府軍が制した事や、コママト城包囲軍が敗走しコママト城は政府軍に奪還された事、さらに各地での敗走もそれとなく聞こえてきた。
私塾学校の生徒は、不安を押し隠すように気勢を上げ、
「政府軍来るなら来んか!」
「カツマ隼人の意地ば見せちゃる!」
「いやいや、タイゴどんには何か秘策があっとじゃ」
「逆襲の機を今かと待っとるという」
「こちらには地の利がある。引き込んで殲滅するお考えに違いなか」
彼らは学校内に集まって、誰かがそう口にすると、皆がおおと声を上げて賛同するという光景を繰り広げ続けた。
サーマも参加したが、途中でいたたまれず退席した。
しかし、その直後1月21日未明の事である。
コママト城奪還により時期到来と見た政府軍が海路を用いて南方から回り込んでカツマに軍を送り込んできたのであった。
ゴーレムや魔動兵器のある武器庫は艦砲射撃によって徹底的に破壊され、湾からは最新装備に身を包んだ政府軍が乗り込んできた。
その際サーマは、私塾学校にいた。
砲撃音を聞くと外に飛び出して、事態の急変に愕然とするのであった。
「エルトン殿!」
アラが青ざめさせながら駆け寄ってきた。
「アラ殿、覚悟を決めもんそ」
サーマは自嘲的な笑みを浮かべた。
瞬く間にカツマは占領された。
驚くべき事に大した抵抗は無かったのである。
もちろん、私塾学校の生徒の激派の中には迎え討たんとする者がいたが、多くは容易く捕らえられてしまった。
サーマのいる私塾学校は当然真っ先に占領された。
「賊共、大人しうすれば、寛大なご処置があるぞ!」
指揮官が居丈高にそう言い放ち、兵士らが乱入してきて騒乱になった。だが数や装備に勝る政府軍によって、生徒らは次々と捕らえられていく。
政府軍はアラにも掴みかかり、乱暴に押さえつけていた。
サーマの目の前にも兵士らが現れた。彼らは賊の仲間に身なりも悪くない女子がいるのに困惑気味で、
「あなたも賊の一味ですか?」
と訊いてきた。
サーマははっきりと頷いて応えた。
「はい」
もはや何らの抵抗も、サーマはしなかった。
サーマらは虜囚となりとある寺院に連れられて行った。
他の虜囚達は沈鬱と屈辱と絶望の表情を浮かべ、中には涙する者さえいるのだった。
(ゼラ、もし先に逝っていたとしたら、わたしを温かく迎えたもんせ)
サーマも死を覚悟していた。サーマは賊であり、国家の重罪人である。
部屋の隅でじっとして、他の虜囚達と同様にただ黙っていた。
カツマ本土を政府軍に掌握された事により、カツマ本軍は一層厳しい状況に立たされることになった。
後詰が失われたのである。
しかしながらカツマ軍は、度重なる敗戦にもむしろタイゴ・マカナルという求心力のある指導者のもと高い士気を尚も誇っていた。
ただ、戦況は士気の高さを尻目に悪化する一方であり、カツマ軍はじりじりと後退を続け、開戦から半年以上過ぎた5月7日にはついにカツマ北部に政府軍の侵入を許したのであった。