法術師とゴーレムの戦い3
ダウツの眼前には、溜まりに溜まった魔動力の結晶が、禍々しくもバチバチと音を立てて球体となっていた。
「ほう、色は黒なのだな……」
ダウツはややふざけた口調で呟いた。それは彼の余裕から来るものでもあったし、目の前の旧時代の遺物たる法術師への嗜虐心から来るものでもあったし、彼の自覚していない恐怖と劣等感の裏返しの魔動への恍惚感から来るものともいえた。
大気や森や、その他数多のものから『吸収』した魔動力は、色々な質の者を混ぜ合った結果であろうか、深淵の如き黒と化している。
「さて、そろそろ引導を渡してやろう、法術師!」
ダウツは発射の魔動陣を発動させた。
きいいいんと音を立てながら魔動力の結晶たる球体が、極大の閃光と化し放たれて、直撃したかにみえた。
しかし直後、ゴーレムに乗っている彼の身体にすら衝撃が走り、彼の口元に刷かれていた笑みを砕かせた。
ダウツの放った極大閃光をゼラが受け止め、逆に彼女自身が放っている閃光によって弾き返そうとしているのである。
(馬鹿な、だが、無駄な足掻きだ)
予想していなかった訳では無い。相手のとれる策はもはやそれしかなかったからだ。
黒の閃光と赤の閃光が空中で衝突し、遠目にも鮮烈な火花を散らした。
当初は、黒の閃光が押されていたが、気を取り直したダウツによって、やがて赤の閃光が少しずつ押し込まれていくのであった。
(このまま仕留める!)
圧倒的な力で以てねじ伏せてやるのだ。万が一それが叶わなくてもこちらは法術封じを発動させれば済むという余裕がある。
ダウツは自らの勝利を確固たるものとしてみていた。
一方、徐々に押され始めたゼラは両手を前に突き出しつつ足を踏ん張らせながらも堪えた。
じりじりと後ろへ滑る足が2本の線を引いた後に岩壁にかかった時、その岩にもヒビを入らせた。
「……ぐっ……」
ゼラは両腕に渾身の法力を込め放ち続けた。
やがて、ゼラの口元には笑みが刷かれ、その瞳には不敵な色が浮かび始めていた。
相手を一点に見据え、足を一歩前に進ませた。
そしてもう一歩。
ゼラの周囲では、極大の閃光のぶつかり合いによって生じた空気の奔騰が、破壊されつつも僅かに残った草木を狂乱させていた。
燃え残った木の葉や草の一片や、土埃が轟々と音を立てる乱気に揉まれている。
しかし、ゼラは尚も一歩足を進めた。
(先生……)
ゼラの胸中には、彼女の師であったシンエイが浮かんでいた。孤児だったゼラを拾い、住むところを与えてくれただけでなく、法術のいろはだけでなく読み書きも授けてくれた恩人だ。
彼は法術奉行であったが故に殺された。新時代の為の犠牲とは今でも思えない。
ゼラはどこかで、彼の仇討ちを望んでいた。一方で、その無益さも確信していたところではあったが。
そして、リュカだ。彼もまたシンエイの弟子で、ゼラの兄弟子といっていい。彼もゼラを妹のように慈しんでくれたのだ。
(リュカさん……先生の娘さんと一緒になるとは思ってもいやせんでしたよ)
そして……。
(サーマ……)
カナリスでの留学で出会って以来、互いに尊敬し合う仲であった。対等な友人として時にはふざけ合ったりしつつも、根底ではお互いへの敬意があった。ゼラは、才媛で開明的でしかも優しく誠実な彼女を、自分には無い物を持った存在として眩しく見ていた。
「……柄でもねえや」
ゼラは声を立てて笑った。
胸中に去来する親しき人々の顔や思い出に、自らの感傷の情を見出したゼラは自嘲的に笑ったのである。
尚も相手を見据え、さらに一歩進める。
もはや、限界を越えても構わない。そう思った。
いや、むしろ自分の限界を試してみたい、と思った。
(どこまでやれるかな)
ゼラはかつて自分が引導を渡した男を思い出していた。ゼラと同族だと名乗ったゾルトである。彼は先祖のナーブ王の再来を生み出すという野望を持っていた。ゼラとの間により濃い血を持つ子を誕生させれば、ナーブ王の再来たると信じていたのである。ゼラにはは滑稽な考えとしか思えなかった。彼の最期は法力を限界を越えて使ったが為に身体を破裂させたというものであった。
(さて、おらはどうなるか)
ゼラの顔には凄絶かつ不敵な笑みが浮かび上がった。
「ははっ、ははっ、死ね、いい加減死ねえ!旧時代の遺物めが!」
ダウツは哄笑した。しかし、どこか空々しいものがあった。
彼は内心苛立ちを抑えきれなくなっていたのである。誰も見ていないのに抑えるも何もないだろうが、それを表面に出すのはダウツの自尊心が許さなかった。
相手の赤い閃光がじりじりとダウツの放った黒い閃光を押し始めていたのである。
焦りや苛立ちを表に出すのはあってはならない。負けに等しいと言い聞かせた。法術師如きにそれは許されぬのだ。
一閃にて軍勢を撃ち払った時にあった余裕はもはや今のダウツには無かったといっていい。
(おのれ、おのれ、おのれ)
魔動の法術の違いの1つとして、魔動は一度放てば補充は難しい。何故なら『吸収』で溜めた力を別の『発射』の魔動術式で放っているのである。法術と違い放ちながらさらに法力を込めるのは容易くない。
少なくとも、今のダウツには難儀な事であった。そもそも相手がここまで耐え、それどころか押し返してくるなど思いもしなかったのだ。
さらに赤い閃光が黒い閃光を押しやりはじめた。
ダウツは口角を引きつらせた。
(いや、馬鹿な。こんな事は有り得ぬ)
さらにさらに黒い閃光が押しやられ、2色の閃光がぶつかり合う音がダウツにもはっきりと聞こえ始めた。
バリバリバリバリとぞっとするような響きがだんだんと大きさを増していく。黒と赤の2色の閃光がぶつかり鮮烈な火花を放ちつつ、よく見ると黒と赤が衝突し渦巻いているのが見て取れる位置まで近づいて行く。
(いや、有り得ぬ。有り得ぬ)
よくて少しの間耐えてみせるであろうとみていた。それも法術師の域を越えたものだとダウツは認識している。彼にとって法術師などは先程軍勢と共に薙ぎ払った者達であり、あれが法術師の限界だと考えていた。だからこそ、このゴーレムを駆り戦場へ繰り出した時は自らを神の如く感じ、全能感に恍惚としたのだ。
それなのに少しの間耐えるどころか、逆に押し返してきている。信じられぬ思いがした。
(時代遅れの、旧時代の、法術師が)
法術封じを使うしかない。
ダウツはその事実に歯軋りした。しかし、歯軋りをしたつもりが、歯はかたかたと音を立てた。
ダウツは震えていたのである。
法術封じを一刻も早く発動させなければならない。しかし、ゴーレムは今閃光を放つのに全身全霊を傾けており、宙に浮く分の魔動力を合わせればほとんど余力が無い。
極大閃光で相手を仕留められると高を括った結果がこれであった。
仮に法術封じを放っても、この距離で効かせるには不充分な魔動力しか余分がない。
だとすれば、一旦閃光を放つ術式を解除しなければならないが……。
(……そんな事は出来る訳がない!)
一度解除してから法術封じを発動させるまでの間に、間違いなく相手の閃光の直撃を受けてしまう。ゴーレムの閃光をここまで押し返す程の威力だ。まともに受ければゴーレムごと彼は消滅してしまうかもしれぬ。
ダウツは慄然とした。
相手が放つ赤き閃光がさらにぐんと太さを増して、どんどんと押し寄せてくる。
「ば…馬鹿なぁ……」
彼の独語には空気が多量に含まれていた。掠れた声にしかならなかった。
(ゴーレムは神の如き力を持つのではなかったのか……?法術師など、旧時代の遺物など、ひと捻りではなかったのか……?)
追い詰められたダウツの心は、そのぶつけどころを彼の協力者へと向け始めた。
(ミンブリンめ!お前に乗せられたせいだ!こんなもの、欠陥品ではないか!こんなものと分かれば僕は乗らなかった!!)
どちらかといえば、ダウツの方こそミンブリンに乗せてもらえるようお願いしていたのだから、八つ当たり以外の何物でもなかったが。
さらに赤い閃光が迫り、ついにダウツの眼前が真っ白になった。
もはやゴーレムの放つ閃光は弾き返され、魔動力が一気に逆流してきた形となってゴーレムは爆発を起こした。さらにそこに遮るものの無くなった赤き閃光が襲い掛かったのである。
(何故だ。何故僕はあれになれない)
ダウツの意識がまさに消える刹那、彼は相手に羨望すら向けていた。
(何故僕は法術を使えなかった?何故僕はあの娘どころか、一端の法術師にすらなれなかった?何故、ゴーレムを駆って尚、あの娘には及ばないのだろうか……?)
絶望に似た羨望であった。
宙に浮かんでいた巨大な最新のミンブリン製ゴーレムは、ダウツの意識が途切れるのと同時に消滅した。
それを遠くで眺めていた人物こそ、ミンブリン伯であった。小高い丘の上で護衛や兵士に囲まれ望遠鏡を手にしていた彼は、思わず望遠鏡を落として愕然となった。
彼の周囲の護衛や兵士達も、その光景に見入っていた。
ミンブリン伯はしばらく突っ立ったまま、口をあんぐりと開けていた。
周囲の者が促してようやく彼は丘から退却するのであった。
彼らはゴーレムを倒した恐るべき法術師から逃れんとしたのである。
しかし、その法術師は政府軍の捜索も空しく、姿かたちも無かった。
ゴーレムと共に消滅したのであろう、という意見もあったが、しばし捜索は続けられた。
森の中で血の跡が発見されたが、これが逃亡中のものかは判然としなかった。
一方、タイゴ・マカナルの弟コンヘイの死の衝撃冷めやらぬカツマ軍北上軍の本隊は政府軍との戦いの果てにトカシ方面からの退却を始めていた。キルマ率いる右翼部隊のオノリ山の奪還もかなわず、要衝を奪い損ねた上に、コンヘイら有力法術師の死も原因の1つではあったであろう。2日後にはタバラ街道を挟んで政府軍と向かい合い、後に「タバラ街道の戦い」という死闘を開始した。
キルマ率いる部隊もその戦いに加わったが、ゼラが戻ってくる事は無かった。