ミンブリンのゴーレム
カナリス国の実業家ミンブリン伯が、当代最高の魔動技術者と大工廠を用い開発させた最新式のゴーレムは、遠い極東のサパン国の内乱にて初めて実戦投入されたのであった。
そのミンブリン伯は、とある丘陵の頂上から望遠鏡を覗き込み感嘆の声を上げた。
「神話の世界の存在が、現世に降臨したかのようだ……」
ミンブリンの周囲には、ゴーレムが数体と彼のお付きの護衛達、さらには政府軍から派遣された兵士らが、彼を守る為に取り囲んでいる。
彼の視線の先には、先程まで大勢の兵がひしめいていた戦場があった。しかし今や、巨大な火と煙に覆われてしまっている。
一瞬であった。まさに一瞬で軍勢は消滅したのだ。
(火を付けさせるだけの価値はあった)
ミンブリンは口角を吊り上げた。
(爆発四散したゴーレムを時代遅れの賊共が調べられる訳もないし、そんな能力を持つ者もおるまい)
あとは、潜ませていた手の者が逃げ戻ってきたところで始末するも良し、戦争の混乱に乗じて始末するも良し、もはや証拠などないのだ。
例のゴーレムに仕掛けておいたアレは、時代の闇に消え失せるのだ。
ミンブリンの望遠鏡は宙を巡った。
黒く縁どられた丸い視界は、やがてある光景を発見した。
木の上に誰かが居る。
そしてその頭上高くにあるのはミンブリンのゴーレムだ――ダウツに貸してやったが、悪くない働きをするものだ――彼が相対しているのは誰だ……。
(赤髪の小娘!)
ミンブリンは途端に歯軋りをした。
あの、思い出すのも不快な娘ではないか。
カナリスにおいて、あの娘に受けた恥辱は今も彼を苛み続けている。無様な姿で縛られ庭に放置されたあの夜は未だに夢に見るのだ。
「殺せ……」
ミンブリンは怨嗟を吐き出すように呟いた。
「ダウツ!!奴の誇りを打ち砕き、尊厳を踏みにじり、地獄の責め苦を与え、八つ裂きにして殺せ!!」
その叫びが、2人に届いたかどうかは定かではない。
ゴーレムに乗ったダウツがゆっくりと降り、ゼラと相対した。
ゼラの赤髪は激しくうねり、煌々と光り、肌の色が赤黒く染まっていく。
一瞬気圧されたような表情を浮かべたダウツは、すぐに陰惨な笑みを浮かべた。
「ほう……やはり只者ではなかったか。だが、所詮は法術師。旧時代の遺物に過ぎん。引導を渡してやるから感謝する事だ」
ゼラが凄みのある笑い方をして、クククと声まで立てた。
「もう少しぬしは礼儀正しくなかったか?そんなものの力を借りたせいで、気まで大きくなったとみえる」
ゼラのそれは明らかに挑発であって、ダウツは眉をピクリと動かして、
「お前こそ、自身の置かれた状況が分かっていないようだ。到底勝てない相手が目の前に居るのだぞ」
傲然と言い放った。
「悪いな、目の前の相手があまりにも滑稽な格好をしてるんで、つい笑ってしまうんだ。許してくれよ」
ゼラは笑みを浮かべつつも、油断の無い視線をダウツに向けていた。
人間何人分もある背丈の巨大なゴーレムに身を包んだダウツは顔だけを出してゼラを見ていた。
滑稽といったが、それ以上に不気味さを覚えるゼラであった。何より、ゴーレムから感じる魔動力の凄まじさと膨大さに圧倒すらされた。
しかし、じりじりと皮膚にひり付く感覚はゼラを萎縮させるどころか、高揚を伴って全人を駆け巡っている。
(ああ、悪い癖だ)
相手は間違いなく強い。恐らく、かつて戦った誰よりも、力そのものは上だ。戦闘経験があまり豊富そうでないのが一つ救いではあるのだが。
(いや、あってたまるか)
ゼラは眼前の相手を心中で唾棄した。
ダウツは、仄暗い瞳でゼラを見つめ、口角を緩めている。
試しにゼラは幻術をかけようとしてみたが……。
「そんなヤワな術は僕には通じぬよ」
ダウツが小ばかにした声色で応えてきて、ゴーレムの指先をゼラの方に向ける。
(幻術を無効化する何か魔動が仕掛けられているのか?それとも、法術そのものを……)
光の線状が幾重にも放たれ、ゼラは飛びかわす。木々が切断され、地面がえぐられていく。
ゼラは枝や幹を足場に飛び回り、地面に降り立った。
そこにもすかさず、閃光が襲い来る。走り回り、飛びまわり、岩陰に隠れるも、瞬く間に岩は切断されてしまう。
軍勢を襲ったそれとは威力はだいぶ劣るが、それでも当たればただでは済まないという確信があった。
ゼラの身体は指先に至るまで鋭くなり、赤黒い肌と、煌々と輝く髪、そして蒼天の如く光る瞳が、身体の内側からの法力の奔流の只事ではない事を示していた。
さらに襲い来る閃光に対して、ゼラは縦横に森を駆け巡った。
「逃げるばかりではないか!」
ダウツは遥か上空で哄笑した。
彼の下の森は、閃光が走ったところから火がおこり、赤々と燃え広がっていく。
まさに、思うままであった。このゴーレムは恐るべき事に、使用には魔動の知識は最低限で済む。ただ、最低限の仕組みを理解し、時と場合に応じて魔動陣を発動していけばいいのだ。
外側に無数に点在する『起動』と『魔動力の吸収』の陣、内側にある『動作』と『魔動放出』の陣、大雑把に言えばそれらさえ把握し、適宜発動させればいい。
ゴーレムを動かし、魔動を発動させる。
何と容易く、何と自在であるのか。
(何と素晴らしいものであろうか)
改めて全身を駆け巡る恍惚と全能感に震えさえ覚えていると、ゼラが雷鳴のような速度で宙へ上がったかと思うと、さらに猛速と化しダウツへと攻め上がってきた。
「……!」
最新式ゴーレムに身を包み、圧倒的な力を得たと自負していたにも関わらず、ダウツは心底から恐怖を覚えた。ただ、彼はすぐには自覚せず、膨大な魔動を放出してゼラを吹き飛ばし地面に叩きつけておいてから哄笑した。
「それを足掻きというのだ……!法術など……!」
言葉を続けようとした刹那、唯一露出していたダウツの顔面すれすれに閃光が飛んできて、そのまま貫き風穴を開けていった。
ダウツは口をあんぐりとし、自然再生していく穴と、遥か下で指先をこちらに向けたままでいるゼラを交互に見た。
「……おのれ!」
やっと出た言葉がそれであった。
ダウツは顔面を歪ませた。
「こうなれば、お前が戦っている相手の真の力を恐ろしさを味わい死んでいけ!」
彼は『吸収』を始めた……。
「当たったか」
指先を突きつけ、ゼラは不敵に笑った。
しかも貫けたようだ。
相手が油断していたからかもしれないが、とりあえずは敵の肝を冷やすのに成功し溜飲が下げるゼラであった。
しかし、だんだんと火の手も強まり、熱気も激しくなってきた。
「あちいな……」
このままでは火に飲まれかねない。
いったん森を離れる必要がありそうだった。その為にも、もう一度くらい敵を脅かしておいた方が良いかと考えていたところ、
「……な…っ」
今度はゼラが口をあんぐりする番だった。
上空で静止しているゴーレムに向かって、膨大な魔動の力が集まっていくのを目の当たりにしたのであった。自然界に流れる魔動の力が、物凄い勢いで吸い込まれていく。
燃え残っている森や草が、急激に枯れ始め、土も痩せた色と化し、空気も空の色も淀んでいく。
「何だこりゃあ……」
(そうか、サーマが言っていた)
魔動は自然界に流れる力を使う技術だ。普段は微細過ぎて意識すらしないが、大地や空中に流れ、木々や植物だけでなく、動物にも恩恵を授けている。
魔動によって爆発的に集められ、発動の動力源となって、ゼラも知覚出来る程度であったが、今回のは桁が違う。
失われていく様を、直に見た。
自然界を巡廻し支えているそれらが一気に失われればどうなるか。
(学のねえおらには分からねえが……)
ぞっとする事だとは分かる。
ゴーレムの真正面に徐々に円形の恐るべき魔動力の集積体が出来つつあるところへ、ゼラは走り出した。