舞踏の練習
カナリス国政府から、舞踏会への案内がトトワとカツマの両方に届いたのは、5月28日であった。まだ、事件の後に燻る火種がありありとしていた時期であった為、両陣営共面食らったのだった。これは、カナリス政府が、サパン人同士で激発するのを抑えんが為だったといわれている。実力行使は阻止したい、舞踏会に気を逸らせれば、面子での戦いに終始するだろう。との思惑が大統領にあったのかは定かではない。
と、推理したのはカツマ使節団代表イワラであった。
「おはんが主役じゃ」
彼にそう言われ、「はい」と答えるのはサーマであった。
気負った様子だった彼女は、廊下に出ると足取りが重くなるのだった。
サーマはこれまで、手ほどきは多少なりとも受けてきて、舞踏会に出たってそれなりにこなせると自負していた。だが、こんな時期にやらなくても。
(とすると、トトワからも……)
候補は、可哀想に彼女しかおるまい。
ゼラのドレス姿を思い浮かべてみる。
(……似合うかも)
ゼラはいつもサパン服ばかり着ている。印象はだいぶ変わるだろう。でも、着こなして見せるだろう彼女なら、と思う。
一方のトトワ陣営では、ゼラが憮然とした様子でドレスを着させられていた。
まだ1人では出来ず、お手伝いが部屋を去ると、リュカが入ってきた。
「なんだ、馬子にも衣装とはこの事だな」
「何言うだすか。これはどう見ても、淑女でしょう」
ゼラは腕を組んだ。
にかにかと笑う。
目の前に姿見がある。
「どうだ、お前も自信がついたか」
「おらはもともと自信家です」
ゼラは鼻を鳴らした。
彼女には時々覇気のようなものを感じる。意志の強そうな顔立ちと目、堂々とした振る舞い。彼女がもし、孤児でなく、女でなく、良き所の子息であったなら。とリュカは思わずにいられない。
それに、あの法術の才能。
「これは仮の衣装だから、これで練習をして本番ではもっと豪勢なものを着て貰う」
「へえ」
「先生は昼頃来るからな」
舞踏の練習は丁寧でかつ穏やかであった。講師が気を遣っているのか、それとも元々そういう講師であったか、もしくはゼラの筋が良く思われたか、定かではなかった。
リュカがにやにや笑う。
ゼラはまだ舞踏の衣装を身にまとい、リュカの部屋で紅茶を煽っていた。
「これで、お前も西洋風貴婦人に1歩近づいたな」
紅茶を一気に飲み干しゼラは応える。
「貴婦人はこんな飲み方しねえでしょう。それに田舎訛りがでてる」
「何だ自覚あるなら直したまえ。礼儀作法は後から覚えりゃいい。だが、言葉遣いは一朝一夕でどうにかなるものではない」
「カナリス語をしゃべれと!?」
「ああ、そうだとも!」
「じゅてーむ…まどもあぜる…」
「どこで覚えた」
それから、2人で笑い合った。
年近い男女2人だが、恋人ではない。それに声だけ聞けば、少年らが学友同士語り合っている様にしか思えないであろう。
「そうか、楽しみじゃ」
サーマは言った。
2人は夕暮れの赤に照らされて、街の中心部から外に出た住宅街を歩いていた。
「よせ、どうせぬしの引き立て役に終わっちまう。そんじょそこら練習したからといって……」
「上手い下手の話ではごわはん」
サーマは首を振った。
「やるかやらんかだ。サパンの女の誇りにかけて」
「…ぬしの言うことは分からん」
ゼラは唇を尖らせる。
「それに、わたしは本気で、おはんは舞踏会の主役になれると思う。正直、おはんは華がある」
「そっだごと言って……」
「わたしは本気で言うとる」
そうこうしている内に2人は着いた。
目的の家は、パラスの中流階級の邸宅だった。それは、2人が誘拐犯から救い出した少女の住む家だったのだ。
彼らのもとに両親から手紙が届き、お礼をしたいという事だった。
2人を迎えたのは、両親と少女、そして豪勢な食事だった。
サーマを介しての、サパン人とカナリス人の談笑は、穏やかなものだった。
ゼラとサーマは自分達が留学生である事や、サパン国の風土などを語った。
「サパンは島国で、山が多いですね。わたしの生まれ育ったカツマは海が近くて潮風を防ぐ為に松を植えてます。昔から質素倹約な気風で……」
「おらは、よく分からねえ。どこで生まれたのか、誰の子供なのか。だげんじょ、育った場所は王家の縁深い藩で、拾ってくれたのもトトワの法術方っつうところのお奉行だった。だからこそ隣のサーマとは意見が合わねえ事がある」
「そもそも立場が違いますから」
とサーマが補足する。
「へえ、松をですか」
「立場が違うのに、仲が宜しいのですねえ」
カナリス人一家は興味深げに聞き込んでいた。
それは、恩人に対する礼儀と興味もあったろうが、異国趣味がカナリス人の間で広まっていたのも無関係ではあるまい。
しばし食事と談笑を楽しんで、ふと少女が言った。
「いつか帰っちゃうの?」
ゼラとサーマは顔を見合わせた。
「ええ、そうよ。わたし達にもやるべき事がある。だから帰らないといけない時が来る」
サーマが答えた。
少女は寂しげに俯いた。
それから、ゼラとサーマはよく遊びにいった。まだ幼い少女の遊び相手をしながら、舞踏会の練習をやった。
「ぬし、いいのか?これはトトワとカツマの面子の戦いだ。だのにおらを指導して。敵に塩を送るのと同じだ」
「何言うか。敵も味方もなか。サパンのおなごはこんなに素晴らしく踊れるのだと、カナリス人に示すっとじゃ」
サーマは両手を腰にやり、意気揚々であった。
ゼラは苦笑し、頷いた。
「じゃ、まだ付き合ってくれ」
「おはん、例のカナリス人の家に足しげく通っているそうだな」
ある日、イワラが言ってきた。
「はい、親しくさせて頂いておりもす」
サーマは隠す気など無かった。
イワラは顎をさすりながら、サーマをじっと見つめた。
「トトワの例の娘と一緒に言っているそうだな」
「ええ、彼女こそ真に命の恩人ですから。エマにとっても、わたしにとっても」
「まあ、それはよか」
「で、お話とは、この件でしょうか」
イワラは苦笑した。
「何かお詫びをせんばいかんと思うておったところじゃ。が、我らにもそこまで余裕がある訳ではなか。金子を少々。それと、おはんらが親しくしてくれさえすれば済むかもしれん。何か欲しいと言うておったか?」
サーマは考え込んだ。そう言われると何かあっただろうか。
彼らとサパン国の事で何を話しただろうか。
「そう言えば、松を海岸に植えている話をしたら、食いついてきました」
「松か。カナリスにも生えとると聞くが、珍しいかの」
イワラも考え込んだ。
そして思いついたように、席を立った。
「ならば、こいを持って行けばよか。こいは見た事なかろ」
彼が手にしているのは、松の盆栽であった。彼がカツマから持ってきていたものである。
「し、しかし、これはイワラ様にとって大事なものでは……」
サーマは戸惑って言う。
イワラはニヤリとした。
「よかよか、いずれもっとよかもんを手に入れる」
「ありがとうございます」
サーマは深く一礼して、彼の好意を受け取った。