カツマの光景
船が湾内に入り、海上でまず彼らの目に入ってきたのは、煙を噴き上げる美しい山だった。まるで海上に浮かんでいる島だと思ったが、それは正しかったようだ。
「あれはムコウ島」
「ほう」
「よく灰を降らせる」
サーマはにこりとした。
「あれば見ると帰って来た感じがするじゃろ?」
サーマの父がサーマに話し掛ける。笑顔で頷くサーマを尻目に、海原とムコウ島の雄大な景色を眺めた。
この光景を、サーマは見て育ったのだ。
港に降りて、カツマの街を行く。
ゼラがまず感じたのは、その異様な物々しさだった。
剣を腰に携えた若者や兵士体の者達が行き交い、殺気立ってすらいる。
横のサーマを見れば、顔を強張らせ、ゼラの視線に気づいたのか、目配せしてくる。
サーマの両親2人は平然と歩いているあたり、カツマの者には慣れっこの光景なのだろう。サーマは違うようだが。
エルトン家の邸宅は、アカドのサーマの屋敷よりこじんまりとしていて、そんな家が何軒も並んでいる一画にあった。
「どうぞゼラさん」
早速部屋をあてがわれ、
「好きに使ってよかど」
サウが微笑み、ゼラも微笑み返す。
「ありがとうごぜいやす」
部屋の畳は日に焼け、柱は傷だらけではあるが、手入れは行き届いていて、居心地は悪くはなさそうだ。
「さっそく、タイゴさんに挨拶してくっど」
父が揚々と飛び出していくのを、サーマが神妙な表情で眺めていたので、
「なじょした、ぬし」
と尋ねると、サーマは苦笑して、
「わたしの知らぬ間に、父上はタイゴ殿と親しくなった」
と言った。
「悪くねえじゃねえか」
「……おはん、街の様子見たろ?あの殺伐具合は想像以上じゃった。タイゴ殿は政争に敗れて下野し、カツマに戻って来た。タイゴ殿はカツマでの信望は厚い。父上と母上の言う通り、ここならゼラも官憲の目を気にせずに済むとは思うた。思うたが、ゼラにはあまり深入りして欲しうはなか」
サーマの表情は真剣そのものだった。
「わかったよ、気にかけておく」
ゼラはそう応えておいたが、保証は出来ないとも思った。
サーマやその両親の提案は、政府の手があまり届かぬカツマへ逃れるものであったが、政府の手が届かないのは別の勢力が存在するからである。政府が手を出せぬ程の強大なそれからの手が、ゼラに届かぬとどうして言えるであろう。
カツマに着いた瞬間から、ゼラはある程度覚悟している。
その夜、サーマの父ムネルが夕餉を囲みながら、
「タイゴさんも、ゼラにぜひ会うてみたいと仰せじゃった」
と喜ばし気に語った。
「そうですか」
「ゼラさん、ようございもしたな」
母サウが頷いた。
「これで、ゼラさんもカツマの人間じゃあ」
「そのタイゴさんってのは、簡単に会えるもんなんですか?」
ゼラが尋ねると、
「ああ、タイゴさんは懐の大きか人じゃあ」
ムネルが感じ入った様子で頷く。
「なら、おらもいつか会いたいですね」
とニヤリとするゼラが、ちらと横目で見ると、サーマは神妙な表情を浮かべていた。
「ああ、それと」
ムネルが思い出したようにサーマに向き直った。
「サーマ、ソキさんとこのコノリさんは明後日会う事になっとるぞ」
サーマがぽかんとしていたので、
「サーマさん、あなたのお相手ですよ」
と母のサウが呆れた様子で言った。
サーマが婚約者と初めて顔を合わせるその日、ゼラはその日、外に出ていた。一瞬だけサーマのお相手の顔を見たが、芋臭いが誠実そうな青年だと思った。トトワ王朝時代、参勤で上ってきていた地方の藩士があんな感じであった気がする。今日は顔を合わせるだけで、結納すらまだだという。
(このまま、カツマに身を落ち着けるつもりなのだろうか)
サーマらしくもない。と思いはするものの、人の人生の決断に口をあまり出すものではない、とも思った。
路地を歩いていると、すれ違う人々がゼラに視線をやってくる。やはり赤髪の余所者は目立つのだろう。
通りの前方から、腰に剣を差し武装した若者達が歩いてきた。
ゼラが横によけると、
「おい貴様!」
その中の1人が居丈高に言った。
まるで、王都アカドの官憲のようだ。
どうやら、傍若無人に振る舞える立場と言うのは皆同じようになるらしい。
「なんでございやしょう」
ゼラは周囲を見回した。
この道には、ゼラと彼ら以外人影は見当たらない。
ならば、構わぬだろう。
若者達はきついカツマ訛りで、サーマの訛りは大したものではなかった事実をゼラに知らせた。
「おはん見ない顔じゃ!」
「もしや余所者か!」
「カツマの者じゃなかな!?」
「政府の手の者か!」
ゼラが小首を傾げて、
「何そんな殺気立ってる」
と尋ねるや否や、
「捕ゆっど!」
ゼラの腕を掴み、引っ張ろうとした刹那、彼らは吹っ飛んでいた。
地面に突っ伏す彼らを尻目に、ゼラは平然と通り過ぎて行った。
山に駆け上って街を一望すると、相変わらずムコウ島が眼前に飛び込んでくる。あれを見ないで済むのは逆に難しいかもしれない、ゼラは思った。だが、嫌いな光景ではない。雄大で美しい景色だ。一転、下に目を向けてみると、街の中心に一際大きな屋敷が有り、目を凝らすと大勢の人間が屯している様子だった。
(成程、あそこが本拠地か)
サーマにその夜尋ねると、
あれは学校だと教えてくれた。
今日の首尾はどうだった?と聞くのは何故か抵抗感があって、その代わりに尋ねたのがそれであった。
「タイゴ殿が中心となって建てた学校じゃ。例の物々しい者達はその学校の生徒達らしい」
サーマは苦笑を浮かべた。
「政府のヨウロ化政策に反発しとる。話に聞いていた以上じゃ。タイゴ殿が抑えきれれば良かが……」
少しの申し訳なさと恐れを瞳に映し、
「ゼラ……おはんをここに連れてきたのは正解だったとじゃろうか……」
と言うのであった。
「正解も何も、おらが選んだ道だ。後悔は自分でする」
サーマの肩をとんと叩いて、ゼラはニヤリと笑った。