王の言葉
アカド城下のミラナ王女の屋敷に、サーマの手紙が届いたのはその数日後の事であった。
「サーマめ、わらわを使う気じゃ」
ミラナ王女が笑みを浮かべながら、手紙を侍女に見せびらかした。
「まあ」
侍女のエルリが口元に手をやり、その内容の激烈さに驚いた。エルリはサーマと同い年で同郷である。かつてサーマが奥で王女の教育係をしていた時親しくなっていた。
「聞いてやらんこともない。父上に手紙を書くことくらいは出来る」
王女はサーマへの約束が反故になりかけている事への罪滅ぼしのつもりでもあった。
ミラナ王女はヨウロの書物を数多くサーマに翻訳させ、自ら楽しんでいたが、やがて衆目にも触れるべきだと考えた。ヨウロの物語や技術や学問を、人々に学ばせる良い教本だと思ったのである。
しかし、今のところ世に出ているとは言い難く、せいぜいが王女の知り合いに広めた程度であった。家臣のツテで出版社に頼んでみたが、首を縦に振らない。
王女の道楽だととられたのである。
軽んじられている。王女は思った。
事実、そうであった。王女は生まれながらに王女だった訳ではなく、数年前父が禅譲を受けにわかに王女へとなっただけである。かつての諸侯仲間の子女達からも、表面上は敬われつつも、内心小ばかにされていると感じた。
何が王女だ。かつては我々と同格だったではないか。
との声が聞こえる気がした。
だからこそ、サーマはミラナ王女にとって、数少ない友人なのであった。
「父上も、政府に文句の1つや2つ仰せになりたい頃だろう」
とニヤニヤ笑いながら、サーマからの手紙をひらひらさせる王女であった。
父も同じだという確信があったのである。国王であっても、軽んじられている。そう感じているに違いない。即位後、一度政府と距離を置いた時期があったのは、その不満からであった。今はそれを我慢しているだけで、内心燻っていると、娘である王女はみた。
事実そうであったかは王の心の内を見る他はないが、サパン国王ネルアより、お言葉があったのは、その10日後であった。
政府高官との謁見の場で、報告を受けている際に、ぽつりと呟くように言った。
「その、ゴーレムという代物はヨウロでの暴走の例が多いと聞くが、如何に」
高官達はぎょっとした。
せっかく推し進めていたゴーレム導入に冷や水を浴びせる出来事であった。
「カナリス国の者は推し進めるが、エガレス国の者は反対しているというが」
それは確かに事実だと、高官が認めると、
「ヨウロに追いつかんとして導入するのは正しかろうが、ヨウロ諸国でゴーレムの使用は誤りであったとする風潮となったらどうする?ヨウロで使われぬのに、我が国では使うというのか?」
高官は戸惑い、ゴーレムへの忌避がヨウロであるのは事実であるが、未だにゴーレムの使用はヨウロ諸国で為されている事もあり、導入せぬ理由より導入する理由の方が強いのだと言い立てた。
ネルア王は頷き、
「検討するように」
と最後に一言そう言って、席を立ったという。
それに激怒したのは、兵部省もそうであったが、魔動省もそうであった。
「エガレスめそこまでするとは!」
魔動省の長エアイが机に拳を叩きつけた。
「何故だ」
「どうして」
と狼狽する部下達が、驚いたようにエアイを見た。
彼は矜持を傷つけられたように思った。エガレス人が勝手に、これはサパン国にはふさわしくない、と断言している。そう捉えた。
何を学ぼうが何を吸収しようが、サパン国やサパン人の自由だ。ヨウロ諸国に追いつかんと国を強くするのに、そのヨウロの国から差し出口を挟められるのは癪でたまらない。
しかし、外国人に陛下へのツテは無いはずであった。
「陛下に誰が吹き込んだのか!」
と声を荒げ、次の瞬間1人の者の名が彼の頭の中に浮かんだ。
エルトン・サーマ。エアイは何とか口にするのは抑え込んだ。部下達への影響を考えたのである。その代わりに、もう1度したたかに机に拳を叩きつけ思いっきり歯軋りをするのであった。
その部下の中で激烈な怒りを湛えたまま、協力者にその夜急遽会ったのはダウツ・エルマイである。
普段は悠々と紳士然とした態度を崩さないミンブリンも怒りを露わにしていた。
さらに彼らにはもう一つ、腹に据えかねる事があった。
ミンブリンが特別に無償で警察に譲ったゴーレムが5体も破壊されたのである。
犯人は見当がついている。そんな芸当が出来るのは彼らには1人しか思いつかなかった。ゼラを捕えさせる。その為に譲ったそれらが、無惨な土塊へと帰ってしまっていた。
その口惜しさたるや、叫び出し走り回りたい程であった。
さらに此度の、国王の変心。
それも、誰の企みか想像が付くというものであった。
「おのれ小娘共が」
ミンブリンは呪詛を込めて吐き捨てた。
「どれ程私の邪魔をすれば気が済む」
「腹立たしいのは自分も同じです」
ダウツも頷いた。
「旧時代の遺物にこのまま勝ち誇らせるのは口惜しい限りです」
ミンブリンが笑みを浮かべ、
「このまま勝ち誇る事など有り得まいよ」
と言った。
「そうだろう?」
「ええ」
ダウツも口角を吊り上げた。
「いずれ、伯のゴーレムを政府は求めるに違いないのです」
「使い時はもうすぐ来るかね?」
「お待ちを。おあつらえ向きな舞台が整うのも、そんな先の事ではありますまい」
「その時には、あの小娘共に死んだ方がましと思う程の絶望を味合わせてやろう」
「同感です」
ミンブリンとダウツの相貌には陰惨な笑みが刷かれていた。
「ミンブリン伯、その時にはぜひあれを自分めに……」
「……よかろう。自らの手で法術師を蹴散らし引導を渡すのも面白かろう。楽しむといい」
ミンブリンのくぐもった笑い声が、客間に響いた。
7月の上旬、ゼラとサーマらはカツマに辿り着いた。道中大した騒動も事件も無く、無事到着した訳ではあるが、このカツマの地で彼らに何が待っているのか、この時2人はまだ知り得なかった。