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くるみ視点

大好きなおばあちゃんが死んだ。

最後は私に笑顔を見せるように言われたからぐちゃぐちゃの顔で笑って見せた。

おばあちゃん…


声も枯れて涙も枯れた。

あれで良かったのかな?


私が生まれてすぐにお父さんが死んだ。

そのためお母さんは一日中働いて私を育ててくれた。お母さんが働いてる間は一緒に暮らすおばあちゃんと過ごしていた。お母さんがいなくても寂しくなかった。おばあちゃんがいたから。

おばあちゃんはよく笑う人だった。怒った時はもちろん鬼のように怖かったけどね。でも時々お母さんと何か言い争ってた。あれはなんだったんだろう。


中学になって老人施設のボランティアに行く機会があった。友達がひとりで行くのは心細いからと言って誘ってくれた。

内容はお祭りの手伝いだった。だけどそこに住んでる利用者さんの顔は私が話しかけると笑顔になったけどどこか生きる気力を失っている人がほとんどだった。でも家族と一緒に回ってる利用者さんはとても楽しそうだった。それがきっかけで介護について興味が出てきた。

だからそこの施設に定期的にボランティアに高校まで行っていた。


高校になって進路が分かれる時、お母さんに自分と同じ看護師になっていといわれた。看護学校に入れる成績を取っていたから余計だろう。でも私は絶対なりたくなかった。お母さんは私に不自由させたくないからあんなに働いていたのはわかる。無いものねだりかもしれないけど、私はお母さんからも愛情が欲しかった。いつも働いていて帰ってきたと思ったら着替えを取りに来るかすぐに寝てしまうような人。旅行にだって一度もつれてってくれなかった。だから私はそういう風にはなりたくなかった。


そして私は介護の専門学校に行った。

学校では最初の方は法律のこととか覚えるのが大変だったけど校内での実習は友達と少しふざけたりして楽しかった。あとは高齢者に多い病気とか医療知識を少し習った。

初めて施設に実習に行った時、私は今までふざけて実習をしてたことを後悔した。ボランティアで経験があるからって調子に乗ってたのが大間違いだった。ボランティアでは何かあってはいけないからイベントの手伝いやレクリエーションの参加、あとは会話をしてただけだったのがようやく分かった。実習では他人の排泄物の状態を確認したり、移乗の介護では身体的に辛かった。なんで私がこんなことを?って思ったけどそれが実態ということしか答えにならなかった。

一番多かった仕事が排泄の確認だったために精神的に辛い時もあった。でも少し手が空いた時に利用者さんと会話したのはやはり楽しかった。おばあちゃんよりも年上の人たちが多い中、それぞれの考え方や価値観を聞けてとても勉強にもなった。ただ利用者さん同士の会話を見ていたらやはり人間なんだなと思う1面もあった。利用者さん同士の好き嫌いだった。利用者さんと話していて他の利用者さんの愚痴を聞かされるのは複雑な気持ちになって苦笑いしかできなかった。

実習生の身である私は施設の職員さんと楽しく話せるのはお昼の時ぐらいで成績にも関わるため常に周りの視線が気になった。職員さんはとても優しくやりたいことをやらせてくれる人が多く、お昼も積極的に話しかけてくれたりしていい人ばかりだったがレポートのコメントはいつも厳しかった。でも不思議とそこに愛情を感じてもっとがんばれと背中を押されてる気がした。レポートは量が多くて翌日も実習なのに日付が変わっても終わらなくてヒーヒー言いながら書いててお茶を飲むためにキッチンに行ったらおにぎりが置いてあっておばあちゃんなんだろうなって。その優しさが身にしみて頑張れた。


そんな辛くもとても自分のためになる学校生活が終わって介護福祉士の資格を取った私はデイサービスに就職した。デイサービスは介護度が比較的軽い方が多く、とても明るい雰囲気で楽しかった。

そんな職場に慣れ始めて数年がした。

おばあちゃんが職場の利用者さんと同じ症状が少しずつ出てきた。それは学校で習った認知症の症状だった。記憶を忘れるというより抜けるという感じだ。例えるなら夕飯のメニューを忘れることじゃなくて夕飯食べたことそのものを忘れるという感じ。前者はただの物忘れ。おばあちゃんはよく物忘れをすると言っていたけど自覚がないだけ。ふとした瞬間についさっき何やってたか聞いてきた時は認知症の検査に連れていった。長谷川式簡易認知症スケールを最初におこなったため質問内容は100から7を引いていくやつがあった。これはは私でも少し難しかった。

結果は要支援1だった。私も仕事があったから週に数回デイサービスに通ってもらった。出来る限り施設に入れたくなかったから。

でも月日が経つにつれて認知症が進行していって私が仕事から疲れて帰ったら自分の部屋と勘違いして私の部屋にいることが多くなっていった。そんな時はいつもリビングでお茶を入れてからおばあちゃんの部屋に連れて行ってた。でもさすがに多すぎて心が疲れてきてしまった頃、おばあちゃんが車椅子生活になった。デイサービスの仕事で帰ってきた私にとっては車椅子介助はさすがにつらくて腰痛が慢性化してきた。

だから私は最後の手段に出た。グループホームに入ってもらった。でも大好きなおばあちゃんの顔は定期的に見たかったから週に1回は最低でも顔をだしていた。お母さんはこのころから仕事に少し余裕が出てきたのか私とはすれ違いであったけど顔を出してるようだった。

グループホームに入ったら認知症の進行が少し早くなった。

たまたまお母さんと時間がかぶって一緒におばあちゃんのところに行った時だった。

ーおばあちゃんはお母さんが分からなくなっていたー

まさかここまで進行してるとは思わなかった。だって私のことは普通に覚えてるから…

お母さんはいつもの事のようにまるで初対面のように話しかけていた。お母さんはおばあちゃんがデイサービスに通ってた頃から物盗られ妄想の被害にあっていたらしかった。私はそんなこと何も知らなかった…

グループホームで働く職員さんにお母さんとおばあちゃんはいつもこんな感じなのかと聞くとまだましになったほうらしかった。一時期叩かれたり引っ張られたりされていたらしい。今は穏やかだから末期なんだろう。


そしてしばらくしてからおばあちゃんが死んだ。おばあちゃんの最後を看取れてよかった。死に顔は綺麗な笑顔だった。よく笑った人生なのを表している深い笑いじわ。


ーーーおばあちゃん、幸せだった?ーーー

ここでは専門用語を解説します。

レクリエーション(施設で行う意味)・・・例え高齢であっても、障害があって体が思うように動かなくても、認知症があっても日常生活に楽しみを持ちたいと思うのは人類共通の欲求。

移乗(介護)・・・ベッドと車いす、車いすと便器の間を移るなどの乗り移りの動作のこと。

排泄の確認・・・利用者の健康状態を知る上での大事なこと。便秘や脱水の目安になる。

デイサービス・・・送迎バスによってデイサービスセンターに通い、さまざまなレクリエーションのほか、食事や入浴といった生活援助サービス

認知症・・・いろいろな原因で脳の細胞が死んでしまったり、働きが悪くなったりしたためにさまざまな障害が起こり、生活するうえで支障が出ている状態のこと。

長谷川式簡易認知症スケール・・・9項目の設問で構成された簡易知能評価スケール。

要支援1・・・掃除など身の回りの世話の一部に手助けが必要な状態。

グループホーム・・・生活に困難を抱えた人達が、専門スタッフ等の援助を受けながら、小人数、一般の住宅で生活する社会的介護の形態。

物盗られ妄想・・・大事な物を取られたと訴える症状。そして、盗った人として身近な人が疑われる。女性が多い。

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