プロローグ
プロローグですが、同作者の作品のネタバレのようなシーンがあります。ご注意ください。
「はっ……はっ……」
黒髪の女性は走っていた。
「誰かっ、助けてっ」
けれど、今いる場所に助けが来ないことも知っていた。
「ーーっつ!」
次の瞬間、彼女は息を飲んだ。
「逃げられると思ったか」
「ですが、誰しも最初は逃げたしたくもなります。まあ、さすがにおいそれと逃がすつもりもありませんが」
前後を塞がれ、女性は舌打ちした。
これでは帰ろうにも帰れないではないか。
「我らにその身を捧げよ」
「我らにその身を捧げよ!」
一種の宗教的な恐怖を感じさせるような雰囲気に(教会だから間違ってはいないのだが)、女性は思わず退いた。
(どうするどうするどうする)
単なる調査に来ただけなのに、どうしてこうなったのか。
けれど、女性が抱いたその疑問に答えられる人物は、今この場にはいなかった。
☆★☆
時空管理局・とある部屋。
「マズいねぇ」
「マズいな」
彼女の様子を見ていた二人は言う。
さすがに、これ以上はマズいと思い、彼女に行かせたのだが、まさかこのような暴挙に出てくるとは予想外といえば予想外だ。
「あいつら、僕らの愛し子に何するつもりなんだろうねぇ」
しかも、手を出した彼女は、自分たちだけではなく、時空管理局のお偉いさんたちにも信頼されている。
「愛し子は言い過ぎだ」
可愛がっているのは否定しないが、愛し子は聞く人が聞けば、勘違いしかねない。
だが、それでも空間神の神子となった彼女を生贄にされては、大問題である。
ーーいや、だからこそ、選んだのか。時空神を喚び出すために。
「えー……でも、彼女たちは僕たちが護らないといけないんだよー?」
神子を人質にされて、あっさりと出て行くつもりは毛頭無いが、とはいえこれ以上、あの者たちの犠牲者を増やすわけには行かない。
「その言い方はやめろ。しかし、やっぱり送らないといけないのか」
どうすれば、この負の連鎖は止まるのだろうか。
彼女なら少しばかり遅らせられるとでも思っていたのだが、あの世界の神たちは本当に何をやっているのだろうか。
「また、戦いとは無縁の者たちを……」
「うん、そのことなんだけどさ」
自分たちの問題に、無関係な者は巻き込みたくないため、顔を顰める相棒に、こっち見てと言って、水晶を向ける。
「わざわざ召喚しなくても、うってつけの子がいるよ」
そこに映っているのは、やや急ぎ足で歩いている女性。
「ああ、彼女か。だが……」
「うん、彼女にとっては、思い出したくもないことなんだろうけど……」
二人は悲しそうな顔をする。
彼女と初めて会ったとき、彼女は精神的にも肉体的にもぼろぼろだった。
思わず助けたのは、自分たちが見ていられなかったからだ。
今では平気そうな彼女だが、それは表面だけで、今でも心の奥底では、どこか不安で仕方ないのだろう。
それでも、彼女の仲間たちや後輩ーー空間神の神子である彼女を見ているときは、心から慈しんだりしているようなので、彼らと接しているときはあまり心配はしていないのだが。
それでも、彼らが異世界人すらも利用し、生贄としたことには変わりない。
「っ、駄目元で彼女に頼んでみる?」
「そうして、トラウマより後輩を選択したらどうすんだよ。闇堕ちエンドなんて、笑えねぇよ」
二人が思い浮かべるのは、最悪の結果。
だが、どちらにしろ決めるのは彼女なのだから、自分たちは口出しできない。
「さて、どうすんだろうね。彼女は」
おそらく、そんなに時間はない。
二人は本当に、見守るしかないのだ。
足音を響かせながら、薙沙芹奈はやや急ぎ足で廊下を進んでいく。
「……っ、」
一瞬苦悶に歪められた表情も、すぐに元の表情に戻る。
「芹奈」
呼び止められて、芹奈の足が止まる。
声の主を一瞥し、芹奈は告げる。
「あいつら、性懲りもなく、ついに調査していた結理ちゃんにまで手を出したみたい」
「みたいだな。結城の奴がイライラしていた」
自分たちの後輩の近況を話す。
何だかんだで連絡だけはする双子の妹が、連絡も無しに戻ってこないので、心配なのだろう。
「行くつもりか」
「このまま、後輩が見殺しにされるのを、黙って見てろと?」
ふざけんな、と芹奈は返す。
「そうじゃない。俺はお前のことを言ってるんだ」
何せ、あの世界は芹奈にとって、トラウマ以外の何物でもない。
そして、それを一番よく知るのは、芹奈自身でもある。
「それでも、私以上にあの世界に詳しい人はいないから」
目の前にいる彼を除いては。
「だったら、俺も行く。一人よりはマシだろ」
「……ごめん」
退く気がなさそうな彼ーー芦原要に謝罪すれば、芹奈は彼とともに時空神のいる部屋に向かった。
あの世界との因縁に終わりを迎えるためにーー