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猫カフェ“クレッセントムーン”へようこそ!!

「クロたんは、可愛いなあ……。ああ、癒されるよ……」


 そんな言葉を聞いた瞬間、俺の意識が浮上した。

 声をした方を見上げると、丸々と太った男がニヤついた笑みで俺の体を撫でていた。鳥肌が立った気がした。


「にゃああああッ!!」


 ぎゃあああ、と叫んだつもりだったが、俺の口からはにゃあにゃあと声が出ただけだった。

 俺は丸々と太った男の手から飛び降り、その場から逃げ出す事にした。だが、そこまで広い空間ではなかったらしく、すぐさま壁へとぶち当たった。

 が、今の俺はなかなかの身体能力を保有しているらしく、壁に備え付けられた棚へと飛び移り、点々と斜め上に向かってつけられている棚板のようなモノへと飛び移った。一番上の板にはこれまた丸々と太った猫がいたが――正確には綺麗な毛並みのおかげで太って見えただけだが――俺はそいつを何とかそこからどかして、空間の中の一番高い場所、それも人間の手の届かない場所に居座る事にした。


「クロたん……、逃げちゃった……」


 丸々と太った男は何だか悲しそうな声を出していたが、俺の同情を引く事はなかった。


「あらあら、逃げてしまいましたね。では、クロちゃん以外の子と遊んであげてください」


 綺麗なスタイルのいい若い女性が、丸々と太った男に声をかけていた。


「ああ、クロたんが一番のお気に入りだったのにな……」


 丸々と太った男はその後、他の猫を抱きかかえ、ソファーへと腰をおろし、猫を撫でて気色悪い笑みを浮かべていた。


「クロちゃん、何で逃げたの? 降りて来なさい」


 少し頬を膨らませながら女性が俺に声をかけてきた。その女性の瞳を覗き込んでようやく理解した。

 俺はどうやら、今度は猫に転生したようだ。




 猫カフェ“クレッセントムーン”。どうやら俺はそこの従業員ならぬそこで飼われている猫らしい。

 実際自分の立場がどのようなモノかは分からぬが、猫を飼えない猫好きが癒されに来る場所で俺は生きているようだ。


「もー、何でクロは男の人の相手は嫌がるのかな? ついこの前まで普通にしていたのに……」


 こうして俺に話しかけてくる店員の胸のあたりにネームプレートがかけられている。「美咲」と書かれていた。“みさき”とふりがながついていた。


「でも、男の人を嫌がるだなんて、何だかシロを思い出しちゃうな。ふふ、仕方ないからクロにはこれから男の人の相手はしないでもらおうか。暴れて男の人をひっかいて怪我させたりヅラ飛ばしちゃったりしたら、マズイ事になっちゃうもんね」


 そうやって、怒りながらも俺に笑いかけてくる美咲。その笑顔には、見覚えがあった。

 そうだ、シロ時代の俺の飼い主――正確には飼い主の娘――だった美咲じゃないか。少し大人びて二十代半ばくらいに見える。

 ヅラ飛ばす……ああ、親父殿の事か。今頃親父殿はフラ●シスコ・ザビエルも真っ青な髪をしているかもしれないな。美咲が二十代半ばくらいなら、親父殿はおそらく五十代だろうし、まだ壮健であろう。母上殿も元気であればいいが。




 美咲はオーナーというか、店長というか、そんな立ち位置にいるらしい。

 アルバイトの店員たちが帰った後、いつも最後まで残り、戸締りをしてから帰っていく。

 時々夜中にも顔を出すので健康面が心配だが、猫たちの健康にも気を使わなければいけないのだから、仕方がないのかもしれない。

 しかし、美咲はいつ見てもほとんど笑顔を絶やさないな。帳簿やパソコンと向かい合っている時を除いて、だが。




 美咲がシロの事を思い出してくれたおかげか、いつの間にか俺は“クレッセントムーン”の中でも女性客専用の猫という扱いになっていた。

 うむ、気楽でいいな。

 店休日以外は、基本的に“クレッセントムーン”にやって来る客と遊ぶ。猫じゃらしなど、たまらないね。

 人間に飼われる事への抵抗感など、シロ時代を過ごした俺にとって、どうという事はなかった。働かずに、不安もなく食べていける、生きていけるというのは、やはり大きい。“クレッセントムーン”が潰れない事を祈るばかりである。




 客がいない時は、よく美咲に遊んでもらう。シロ時代にイイ関係を築けなかった分、飼い主とはいい関係を築きたいモノだ。

 ある日の客がいない時間帯の事、遊び疲れた俺は、美咲の膝枕を堪能していた。ああ、欠伸が出ちゃう。


「クロちゃんって、美咲さんに一番懐いてますよね」


「嬉しいけどね、他のお客さんにも懐いてもらいたいな。里親も募集しているんだけど、男の人がダメなんだよね。困っちゃったなあ……」


 衝撃の事実を知ってしまった!! 里親募集だと? 俺は、もしかして“クレッセントムーン(ここ)”でもいらない子なのか!?


「にゃううう……」


「あら、美咲さんと離れたくない、ですって」


「クロは甘えんぼだなあ……」


 苦笑しながらも、優しく俺の背中を撫でてくれる美咲の手。俺はいつまで、美咲の手で背中を撫でて貰えるのだろうか?




 俺は“クレッセントムーン”の住民たち――猫の事だ――に話を聞いてみる事にした。

 以前俺はどこかで誰かに飼われていたらしい。らしいというのは、“クレッセントムーン(ここ)”に引き取られた頃から既に人懐っこかったからだ。その人懐っこさもあって、生活環境の変化に慣れた後――ここに来てから二週間と経たずに――客の相手もしていたようだ。で、一月ほど経ってから急に男の客の相手は嫌がるようになったとの事だ。

 男に猫撫で声で話しかけられて喜ぶ趣味はないのだ、俺は。

 ただ、美咲の話を聞いた限りでは――と言ってもアルバイトの女の子との話を美咲の膝の上で聞いていただけだが――俺は保健所から引き取られたらしい。引き取り手が現れるのがもう少し遅かったら殺処分になるところだったようだ。

 保健所の職員から美咲が聞き出したところによると、元の飼い主は交通事故に遭い、亡くなった為にガリガリに痩せ細っていたところを保健所に引き取られたとの事らしかった。

 餓死寸前まで追い詰められていたらしいが、記憶にないのが幸いだった。考えるだけでイヤだからな、餓死寸前まで行ったなんて。




 そんなある日のこと。


「里親、決まったよ!!」


 美咲が喜びの声をあげた。どうやらお別れの時が近付いて来ているらしかった。

 暫くはゴタゴタが続いた。獣医に健康状態を診てもらう為に連れていかれたりしたが、俺は時間の許す限り美咲の傍にいた。こうして傍に居続けたら美咲の気が変わったりしないかと、淡い期待を抱きながら。




 淡い期待は撃ち砕かれ、俺は車に乗せられ、里親の待つ所まで美咲の運転で連れて行かれる事になった。

 美咲の運転はそれはもう、安全運転だった。


「美咲さんの車の運転、ゆっくり過ぎて逆に怖いんですよね」


「昔、父さんが子供を轢きかけた事があってね。シロっていう飼っていた犬を轢いちゃった事があるもんだから。スピードだけは出さないようにしているんだ。あの時の事、思い出しちゃうから」


 そんな会話を以前美咲とアルバイト店員がかわしていたのを記憶していたが、本当に安全運転だった。安全運転のしすぎで後ろからクラクションを何度か鳴らされたくらいだ。




 とある交差点に入った時、事件は起こった。

 直進する美咲の車に対し、右折するトラックが突っ込んできたのだ。間一髪でアクセルを踏み込む事に成功したのか、運転席への直撃は免れたが、横っ腹にトラックの一撃をくらった美咲の運転する車は、見事に半回転した。

 トラックの運転手は居眠り運転をしていたのか、それともただ単にブレーキが効かなかったのか、簡単にはトラックは止まらなかった。

 何度も何度もゲージに叩きつけられ、いつの間にかゲージは破壊され、今度は車の屋根やら座席やらに体を叩きつけられた。


「う……、クロ、だいじょう……ぶ……?」


 美咲はどうやら無事らしい――シートベルトやエアバッグのおかげなのかもしれない――が、俺は大丈夫じゃなかった。

 体中を激痛が襲ったが、言葉を発する事は出来なかった。

 血を口から吐き出しても、楽にはなれなかった。

 おい、人がいるぞ、生きてる……、助け出そう、そんな声が色んな場所から聞こえてくるが、誰も俺を助けようとするヤツはいなかった。

 即死出来なかった事がこれ程辛い事だとは、思わなかった。

 救急車の音が聞こえて来た。そして、ドアがこじ開けられ、美咲が運び出されたのが見えた。

 俺はそれを見て、安心して目を閉じる事が出来た。


「にゃあう……」


 何度も何度も経験したからこそ分かる。もうすぐ、死がやって来る。

 美咲という飼い主と出会う(再会する)事が出来、もしかしたら今度こそ幸せに一生を過ごす事が出来るのではないか、そういう淡い期待を抱いたのがいけなかったのかもしれない。


「にゃー……」


 もう、声もほとんど出ない。

 何度転生しても、俺は幸せになどなれないのかもしれない。

 そういえば、猫として俺はどれだけ“徳”を積めたのだろう? 今度の一生では出来るだけ美咲の傍に居たいという願いから行動をしていただけで、“徳”など気にした事もなかったな。


「にゃ…………う…………」


 サヨナラ、美咲。

 幸せな一生は送れなかったけど、君と一緒に過ごした時間は、俺にとってかけがえのないモノで、きっと、素晴らしいモノだったんだ。

 貴女の人生が、これから、すばらしい、ものに、なる、と、い、いな……。


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