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忠犬シロ~愛・おぼえていますか?~

 目の前に、美少女の顔があった。十代後半くらいだろうか……? 髪の毛が茶髪という事に関しては、ちょっと嫌だが。だいたい、俺は黒髪ロングの清楚系が好きなのだ。


「シロ、どうしたの? 急に私の顔をジーッと見つめて? いつものようにキスしてくれないの?」


 何を言っているのだ、この女は? 誰でもいいのか、ビッチといわれる人種か?


「わんっ」


 俺は、自分の口から放たれた言葉に愕然とした。「わんっ」だと? どういう事だ?

 自分が理解出来ずに、とりあえず目の前の美少女の顔を覗きこむ事にした。その瞳に映る俺は、犬であった。……犬、だと?


「急にどうしたのかな? いつもは抱きかかえると嬉しそうに尻尾を振ってくるのに、今日は尻尾振らないし……。機嫌が悪いのかな?」


 機嫌が悪い、だと……? おいおい、何を言うんだ? この年になって女の子の顔をペロペロ舐めろと、貴様はそういうのか? そんな事をしたら、犯罪だろうが。条例違反で捕まってしまうだろうが……ッ!!

 ……いや、待てよ……? 犬である俺には、条例など関係がないのか……?

 疑問を浮かべるしかない俺であったが、その俺の疑問を打ち消す言葉があった。


美咲みさき、シロの散歩に行ってきなさい」


「はーい」


 母親――だろうか?――の声に素直に答えて、リードとおそらくフンを入れる袋を持って来る美咲。俺はというと、電光石火の動きで美咲の足元にお座りしていた。散歩に行くのが嬉しくてたまらないのだろうか? 頭では何で散歩なんていかなければならないのだろうか、疑問に思うが体は素直であった。

 まこと、本能とは恐ろしいモノよ。




 美少女に尻を拭かれるのは、屈辱なのだろうか、それとも興奮するのだろうか? 俺には分からぬが、フンの匂いがこびりついたまま散歩は続けたくなかった。


「お、ミサっち、シロの散歩?」


「そだよ」


 どうやら美咲の友達らしい制服姿の女の子が現れた。それにしても、けしからんな。丸見えではないか、スカートの中が。


「うりうり、かすみちゃんだよ、シロ。挨拶はどうした?」


 挨拶? 俺はいつもこの霞と名乗る女にどのような挨拶をしていたのだろう? ここは、アレかな? ギャグ漫画よろしく、スカートの中に頭を突っ込めばいいのだろうか? だが、それを羨ましがる男主人公はこの場に居ない。

 仕方ないので、とりあえず俺の顔を触っている手をぺろりと舐めてあげた。


「相変わらず、可愛いな、シロは。私も柴犬飼いたいなあ……」


「えー、霞、この前はチワワ飼いたいって言ってたじゃん」


「そうなんだけどね、シロ見る度に柴犬でもいいかなって思っちゃうんだぁ」


 のんきな会話が続く。ふむ、先程美咲の瞳に映った姿を思い出しても、やはり俺は柴犬であるらしい。柴犬、か。チワワなどに転生する方がよかったのかは分からぬが、此度は犬として過ごさなければならないらしい。

 今度こそ、寿命をまっとうしたいモノだ。

 問題は、どうやって犬としての自分を受け入れるか、だな。野生の生き物ではなく、人に飼われているのが、難点かもしれぬ。俺は、人に飼われる人生など、真っ平だ。もう、社畜には戻りたくないのだ――!!




 それから、飼い主一家の生活は激変した。

 親父殿は俺と散歩に行くのが今までとても楽しかったらしいが、数日経てば俺を散歩に誘おうとはしなくなった。

 まあ、当然であろう。俺が美咲以外と散歩に行くのを拒否し始めたのだから。それまではどうしていたのだろうか、俺、否、シロは? 

 最初の数日間は無理やり散歩に連れて行かれたが、あまりにもむかついた為、俺は親父殿に襲いかかってしまった。その結果、散歩中であるにも関わらず、親父殿がヅラである事が判明してしまった。そう、俺が親父殿の頭からヅラを叩き落としてしまったからだ。まだ四十代であるにも関わらず、頭頂部が光り輝いている親父殿。今までは町内でもナイスミドルで通っていたらしいが、色々と陰口をたたかれるようになり、仕事以外では外出する事もなくなった。いつニートになってもおかしくはあるまい。

 母上殿は俺が食事を催促する以外構わなくなった為、彼女もまた俺を散歩に連れていく事はなくなった。また、俺のせいで塞ぎこむようになった親父殿とギクシャクするようになってしまい、家庭内でイザコザが増えた。ああ、人間関係とは、些細な事で崩れて行くモノなのだな。

 美咲はそんな二人の仲を修復しようと頑張ったが、無駄だと分かったらしい。俺と散歩に行くのもいつの間にか億劫になったようで、いつの間にか俺は庭に繋がれているだけのケモノと化した。




 俺が記憶を取り戻してから数か月後、夏の事だった。


「シロ、今日は旅行に行こうか」


 少しやつれた美咲に抱えられ、親父殿の運転する車に乗せられた。……心中しようと言うのではあるまいな? 恐怖心に苛まれる。

 しかし、俺に不安感を抱かせない為か、親父殿も母上殿も今日は俺に向けて笑顔を見せてきた。……怖いな。背筋を冷や汗が伝う気がした。……犬は汗かかないんだったっけ? 肉球とか以外から。まあ、今はそんな事はどうでもいいのだ。

 だいぶ、車の中にいた。車の中の時計を見る限り、どうやら三時間は経ったらしい。

 どこかの山の中に、連れて行かれた。

 登山道の入口で、俺のリードが外された。首輪はつけられたままのようだ。


「シロ、私達すぐ戻ってくるから、ここで待っていてね」


 ふむ、山登りでもしてくるのだろうか? ならば俺も――。

 美咲は俺に笑顔を見せたまま、後ずさっていく。やがて車に辿り着いた美咲は、俺が吠える間もなく車に乗り込み、運転席に座っていたままだった親父殿が車を急発進させた。誰も俺の方を見ようとはしていなかった。

 やがて、車は見えなくなった。

 俺はその時になってようやく、ここに置き去りにされたと気付いた。




 俺はようやく致命的なミスを犯した事に気付いた……のかもしれない。犬らしからぬ行動をし過ぎたのだろう。目の前には“徳マイナス500P”の文字が浮かんでいた。

 仕方ない。ならばこれから犬らしい事をしようではないか。

 



 そう決意した俺は、それからというもの、朝から夕方まで登山道の入口に座り続けた。

 イメージは忠犬ハチ公。そう、駅で死んだ主人の帰りを待ち続けるあの犬である。

 夜は山を駆けまわった時に見つけた温泉に入り――猿がまたしても入っていたが、気になどしていられない――、また朝に登山道の入口に戻る生活を続けた。餌は時々登山に来る観光客が恵んでくれたし、本能で食べても大丈夫な山菜を見つけて食べた。うむ、凄いな、本能。

 一日をそうやって過ごしていると、目の前に“徳プラス5P”と浮かぶ。徳がプラスになるにはだいぶかかりそうだ。

 



 気が付けば秋も終わりかけていた。

 その頃には“いつまでも登山道の入口に座り続ける柴犬”としてマスコミにも取り上げられるようになった。最初はたぶんy●u t●beとかで紹介されたのだろうが、犬である今の俺にはどちらでも構わなかった。

 美咲たちが迎えに来てくれるのならそれでいいし、そうでないのなら、こうして俺が話題になる事で心苦しい日々を送ればいいくらいに考えていた。

 やはり俺は心まで犬になる事は出来ないらしい。




 冬になる頃、あまりにも俺を見に来る連中が増え、流石に嫌気がさし、ここから移動する事にした。

 今まで待ち続けた分、“徳”もだいぶたまった筈だ。ゼロにある程度近付いた事だろう。

 そして、俺は旅をする事にした。

 どうやら案外人気者になっていたらしく、色んなところで人に餌をもらえたので、飢えに苦しむ事はなかった。

 そして、旅を続ける事三週間ほど、クリスマスムード一色の町へと辿り着いた。

 恋人同士が手を繋いだり、体を寄せ合いながら町を歩いている。

 ……ケッ、リア充どもが、滅んでしまえ!!

 町全体が浮かれているのか、楽しそうな雰囲気が町を支配していたが、俺の心はかつて雪菜せつなに刺された事だけを思い出し、闇の波動を身に纏わせていた。……俺は、雪菜とどのような恋人時代を過ごしていたのだろう? まったく、思い出せない。思い出すのは、あの刺された瞬間ばかり。

 長い時が、俺から記憶を奪って行くのだろうか? ならば、人間のプライドも奪い去ってくれればこんな風に町を歩かなくてすんだかもしれないのに。




 黄昏ながら町を歩いていた時、耳をつんざくような悲鳴とクラクションの音が聞こえて来た。

 親が目を離した隙に歩いてしまったのか、赤信号の横断歩道を歩いている五歳くらいの子供に近付く自動車。子供は驚いているのか、動こうとはしなかった。動けなかったのかもしれない。

 近くに大人はいたが、誰も動こうとはしなかった。酷いのになると、スマホで音楽を聞いているのか、ゲームをしているのか気付いている感じすらしないのもいた。

 なかなかのスピードで車は突っ込んできた。減速は間に合いそうもない。これでは、子供が死んでしまうッ!!


 ――クソがッ、俺がやるしかねえかよッ!?


 気が付けば俺は横断歩道へ飛び出し、子供の首根っこをつかんで、否、咥えて――厚手の服を着ていたから咥えやすかった――、歩道へと首の一振りで放り投げた。投げたという表現が正しいのかどうかは分からないが。

 子供が歩道へと着地したのを目で確かめた瞬間、俺は衝撃に襲われた。

 車に吹き飛ばされたのだろうか? ガードレールへと腹を叩きつけられ、跳ね返って地面へと落ちた。

 口から血が出て来た。腹は……内臓は飛び出ていないらしいが、かなり痛い。

 死因はどうなるか分からないけど、最後はやっぱり腹をどうにかして死んでしまうのだな、俺は。

 諦観が、体を支配する。やはり、運命からは、逃れられないのか。

 何度も死を経験したからこそ、分かる。

 このダメージでは、俺は生きる事は出来ない。近付いて来る死を、待つ事しか出来ない。

 俺を吹き飛ばした車から、人が何人か降りてきた。俺をどうするのだろう? 道路脇に寄せて何事もなかったかのように立ち去るのだろうか? 歩道からは、泣き喚く子供の声と無事を確認した親の声が聞こえてきた。


「シロ?」


 俺に近付いて来る人間からは聞き慣れた声が聞こえて来た。薄目を開けたが、今の俺では誰かも確認する事は出来ない。


「シロ……、やっぱりシロだよ、お父さん!! 首輪、あの時のままだよ!!」


「バカな、何でシロが、こんな所に……?」


 俺は誰かに抱きかかえられた。誰だろう? もう、匂いも分からない……。


「俺に、人を轢かせない為だけに飛び出して来てくれたのか? 俺は、お前を捨てたって言うのに……!!」


 泣き声が、慟哭の声が聞こえてくる。

 最後の力を振り絞って目を開ける。俺を抱きかかえていたのは、親父殿と美咲だった。

 そうか、俺はこの二人を人殺しにはせずにすんだのだな……。

 恩返しが、出来たのかもしれない……な……。

 目の前に“徳プラス100P”という文字が浮かんだ気がしたが、気にする事すらなく、俺は目を閉じたのだった。




 雪が、町に降り始めだした。

 町の流した涙かもしれなかった。

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