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我輩は蚊である。名前はまだない。

 我輩は蚊である。名前はまだない。

 それ以前に、蚊の名前など、誰がつけてくれるのだろうか? 親っぽいのがいた気がしないでもないが、気が付いた時には単独行動をしていた。そう、我輩……、じゃなかった俺はどうやら蚊に転生してしまったらしい。

 おぼろげながら記憶がある。前世の記憶というヤツだ。

 付き合っていた恋人をないがしろにして二次元の女性に熱をあげていた俺は、最後に恋人に刺されて死んだようだ。滅多刺しにされた記憶がある。おお、怖い。

 まあ、今更悔やんだところで、元に戻れるワケがない。こうなれば、蚊としての人生を全うするしかないのだ。蚊なのに人生? まあ、細かい事はいいんだよの精神で生きていこう。




 今の俺は輪廻転生の輪に放り込まれている状態だ。蚊の平均寿命など知らないが、俺は蚊としての生を終えるまでに“徳”を積まなければならないらしい。そうすれば、次の生は高位の存在として送れるはずだ。

 だが、いくら何でもおかしくないだろうか?

 二次元美少女に熱中して恋人をないがしろにした事が罪だとしても、いきなり蚊はないんじゃないだろうか?

 疑問に思っても、まあ、蚊として生まれてしまったのだからどうしようもない。諦めるしかないのだ。




 しかし、アレだな。人間時代にあれほど忌み嫌っていたあの羽音も、今では心地よい。自分が立てている音だからかもしれないが。

 さて、今日はどうするかな。ああ、美少女の血が吸いたいな。血は美少女に限る。幼女はいいや、なんか嫌な思い出がある。例えるならいきなり落とし穴に落とされたかのような思い出が。




 羽音を立てながら旅をする。どこかに羽を休める所はないだろうか?

 時々人の血を吸いながら、俺は旅を続けた。

 誰かの血を吸う度、目の前に“徳プラス10P”みたいな文字が浮かぶ。成程、蚊としての“徳”は“人間の血を吸う事”らしい。

 “徳”の積み方が分からない俺に、もしかしたらあの金髪幼女がサービスとしてつけてくれた特典みたいなヤツかもしれないな。

 飢えに飢えていた時、仕方なく禿げたデブのオッサンの血を吸った時に“徳マイナス10P”と出た時には焦った。畜生、こんな所で徳を失ってたまるかよ……!!

 飢えや渇きに苛まれない限り、この時に血を吸うなら美少女にしようと、固く心に誓ったのだ。ただ、俺好みの美少女はなかなか見つからなかったが。




 旅をしながら、俺はいつしかある建物に入っていた。

 人間時代にテレビで見た記憶があるな。裁判所みたいだ。


「長いですよ。座ってお聞きなさい」


「構いません。立ったままで」


 どうやら裁判長が被告に何かを言おうとしているらしい。被告は……、おっ、黒髪ロング。後ろ姿しか見えていないが、女性だ。血を吸うとしよう。

 俺は羽音を出来るだけ立てないように気を付け、彼女の髪の中へと潜り込んだ。


「判決、被告、岩月いわつき雪菜せつなを無期懲役とする」


 針を突き刺し、血をいただこうとした瞬間だった。裁判長の声が聞こえた。


「主文~」

 

 長々と裁判長が色々言っているようだが、俺はそんな事気にしてなどいなかった。雪菜? 今俺が血を吸っているのは、雪菜なのか?

 何故か血を吸うのがやめられない。気が付けば“徳”がガンガンたまっていく。

 たっぷり二、三十秒ほど血を吸ってしまった。“徳”はどうやら40Pほどたまったようだ。吸い過ぎだろう、いくら何でも。

 でも、雪菜が手を使えない状態でよかった。彼女が手を使える状態だったら、また彼女の手によって死を迎えていたかもしれない。

 血を吸い終わった後、俺は重い体を引きずって、なんとか前方へとまわりこみ、雪菜の顔を見る事に成功した。

 血色はよさそうだ。

 それだけを確認した後、俺はこの場から離れる事にした。

 蚊である俺が、彼女の助けになどなれはしない。何せ、会話だってかわせないのだ。しかし、何故俺は裁判長の言葉が分かったのだろうか? まあ、前世の記憶を持つ蚊など俺一人だろうから、きっと特別製なのだろう。




 しかし、俺はこの建物を出る事は叶わなかった。

 嗚呼、蚊としての悲しい習性よ。それとも、本能か?

 その場には黒い服を着た若い女性がいた。おそらく、新聞社かテレビ局の人間だろう。黒いスーツを着ていた。

 俺は、それに引き寄せられた。

 先程雪菜の血を吸い過ぎたのか、体が重かった。もしかしたら、ほろ酔い気分だったのかもしれない。

 引き寄せられるように黒い衣服に着地した瞬間、恐ろしい音を聞いた。見上げると、何かが俺に向かって恐ろしいスピードで向かって来ていた。

 いつもの俺なら、難なくかわせるスピードであった。

 だが、今の重い体では、襲い来るソレ――人間の手だ――をかわす事は出来なかった。

 人間、死が近付くと、走馬灯のように記憶が巡るらしい。

 俺は死が近付くこの瞬間、蚊としての生を思い返していた。初めて人間の血を吸ったあの日、そして、禿げたデブのオッサンの血を吸ってしまったあの日。思い出が蘇る。幼虫であるボウフラ時代の記憶がないのは、何故かは分からない。まあ、人間時代も二歳や三歳くらいの記憶はないのだ。ボウフラ時代の記憶がないのも当然だろう。

 そして、最後に雪菜の血を吸った。

 ああ、なかなかに有意義な人生、否、蚊としての生であった事よ。

 振り下ろされる人間の手を見ながら、迫りくる“死”の恐怖と体の重さで動けない俺は、そんな事を思ったのだった。

 そして、最後に“プチッ”といった感じの音を聞いて、俺の意識は闇に呑まれた。






 新たなる輪廻転生の輪に入る音が、聞こえた気がした。

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