昼下がりの丘
太陽が頂上を降りてきた頃、気分転換に外を歩いていた。長いこと帰ってこなかったふるさとは、その景観こそ代わり映えのしない思い出のソレであったが、出会う人々は全く様変わりしていた。
当たり前のことではある。僕が王都で過ごしてきた数年の間、この村の時間が止まることはあり得ないからだ。しかしそれでも、友人や近所の人々と顔を合わせる度に、その変化に戸惑ってしまう。
後ろめたい気持ちがあるわけではないが、勝手に疎外感にさいなまれていたのかもしれない。気がつけば村の喧騒から離れて、あの丘へと目指していた。
「ん?」
坂を登りながら、彼女が居ることを予測していなかったわけではない。だから、頂上についたときにその姿をみたことに驚きはしなかったが、わずかな疑問を持ち、それを口にした。
「遠出はそんなに重労働か?」
育ちのいい馬の隣で、肩を動かしながら呼吸をする彼女は、僕の存在に気づいてか、汗を手の甲で拭って涼しい笑顔で応える。
「見張りの目はいつだって厳しいからね、色々な汗をかくのよ?」
「驚いたよ。お姫様が汗をかくことも、それを布で拭わないこともね」
「毎日毎日抜け出したらそうなるものよ」
「とことん迷惑な人だな」
「自覚してるわ。直す気はないけど」
やや傾き始めた太陽が彼女を照らす。晩夏の日差しはそれでも熱く、その陽を笑顔で受け止める彼女は神々しくも思えた。
「ここが好きなのか?」
目が合うことを照れ臭く感じてしまい、思わず適当な話題を振り目線をはずす。
「えぇ、好きよ。大好き」
「大がつくほど好きなのか」
「もちろん。風はきもちいいし、陽射しも近く感じられる。草の青い匂いもあるし、なにより村のすべてが見える。素晴らしい場所だわ」
それに、と一拍置いてから、彼女は再び口を開く
「君にも会えるしね。ヘイネス」
彼女の顔を見ようとは思わなかった。自分の情けない顔を見せるわけにはいかなかったから。
「…それは、光栄なことだ」
苦し紛れの僕の応答に、涼やかな笑い声で彼女は応えた。
「そうは思ってくれてないでしょ?ねぇ、ヘイネス。あなたの話を聞かせてちょうだい。あなたが学んできたこと、王都での話を」
「唐突だな。なんでまた、そんなことを知りたがるんだ?」
「私たちの事を、君は結構知っているじゃない。私だって君のことを知らないと不公平じゃないか」
「お互いのことを知らなくても知り合うことはできるだろう」
「それは屁理屈だよ。ヘイネス」
「そうだな。屁理屈だ。フュリアーネ」
むむむ。と唸る声が聞こえた。僕は未だに、村の景色を見続けている。
「では、こうしよう。取引だ。君のことを話してもらえないなら、私は君の隣近所友人その他大勢に、君のあることないことを吹き込もう」
「それは取引ではなく脅迫だ」
「同じようなものよ。しかし私は約束は必ず守る。たから取引になるんだ」
思わず彼女の方へ振り向いたら、誇らしげに胸を張っていた。誇れることではない。
「僕の方に旨味のない取引だ。条件を変えてくれ」
「ふむ。値切り交渉か。応じよう。ならば私のことをフュリアと呼ぶ。これでどうだろうか?」
「畏れ多すぎるぞ!誰かに聞かれてみろ、捕まるどころじゃない!」
「そうか…しかし、私に提示できる品はこれくらいしかない。君の話ができないのなら、そちらを選んでくれ」
にやりと笑う彼女は、到底気品のある王族の娘とは思えないほどの無邪気さがあった。僕のいた頃から様々な人間と面識を持っていたのだから、彼女が噂を撒けばそれは真実になるだろう。ただでさえ居場所のない現状が、これ以上悪化するのはどうしても避けたいところだ。
しかし、
「交渉決裂だな。取引には応じないよ」
「え?それでいいの?」
「例えここで約束しなくたって、あんたはそんなあくどいことはしないだろうさ」
「それはわからないじゃない。私の悪行は実は──」
「少なくとも、父さんは小狡い人とは付き合わない人だった。僕はあんたの幼い頃を知らないが、父さんの事は信じる。だから、こんな取引はしないよ」
そういい放つと、丘には風だけが音を鳴らした。そして、そうか。と彼女が言った。小さなその呟きは、どんな解釈もできたから、どうとも受けとることはできなかった。
「ヘイネス、君は優しい人だな」
「そんなことはない」
「そんなことはないなんてことはない。粗野で冷たい体裁を取り繕っているが、芯の部分は情に厚く、何かを捨て置くことなんてできないでしょうね。言うなれば、気づいているかどうかはわからないけど、その鈍さをどうにかした方が良いのかもしれない」
「鈍いって…なんの話だ?」
「いや、独り言だ気にしないで。しかし、交渉決裂とは、思いもよらなかったわ。それなら私は私なりに、あなたのことを調べてみるとするかな」
そういうと彼女は、優雅に愛馬のもとへ歩き、帰り支度を始める。
「なんだ、もう帰るのか」
「思い立ったらすぐに行動よ。先延ばしにしててもなんにも始まらないわ。それに──、残ってる時間も少ないしね」
馬に跨がり、別れの挨拶を告げると、彼女は振り返らずに去っていった。蹄の音がなくなると、そこには自然の音だけが残る。
「残された時間、か。。。」
自分は、なんのために、今ここにいるのか、フュリアーネの姿を見ると、そのことを考えてしまう。
いずれ生け贄にされてしまう彼女は、来るべくその日に後悔をしないよう生きているのだろう。では、僕は?
既に後悔だらけで、ほとんどのものを失ってしまった。こんな状態で、何故魔女の真相を暴こうとしているのか。それができたとしても、もう、なにもかも元通りにはならないのに。