第二の人と図書館の恋
「あなたが帰ってからも、関連する書物がないか、調べていたんです」
ユーリアンは本の壁の隙間を器用に歩み、奥へ奥へと進んでいく。わずかでも蔵書のタイトルに目を奪われれば、彼女を見失うであろうほど並べられた本の棚は、高さは五メートルはあろうか、天井にぶつからんばかりに屹立している。
本に囲まれているせいか、図書館はシンと静まっており、その静寂が耳慣れない俺は、変な不気味さを覚えていた。
「アイルツァーネという村にある魔女の話。それは正式な記録としては古すぎる歴史ゆえ、余り残っていません。憶測ですが、そういった魔女、魔物に類いする怪奇な現象を記述することは禁忌とされてきたのでしょう」
目的の場所へ歩きながら彼女が説明していたが、なにかに気づいて、急に歩を止めた。彼女の背は余り高くないので、何気なく頭越しに前方を伺えば、その先には本を読み耽っている人間がいた。
綺麗なブロンドの髪を後ろで束ね、紺碧の瞳が小さく動く。精悍な顔立ちは女性と見紛うほどにあどけなさと凛々しさを持っているが、スラリと長いその体躯は、女性にしてはスレンダー過ぎる。
白を基調としたスーツは自分でもわかるほど上質なもので、俺とは、いや、ユーリアンとも、別の世界に住んでいる人間だと、確信した。
「ツヴァイ様、いらしていたのですか?」
ユーリアンの緊張は音にも出ていた、顔見知りにしては、随分と他人行儀だが…。
彼女の呼び掛けで我に還ったかのように瞬きをすると、俺らがいたことを初めて認識したのか、やや驚いた口調でツヴァイという男は口を開く。
「ユーリ、珍しいところで会うね。あ、いつものことだが、そう改まらなくてもいいよ」
優雅、という言葉がよく似合う、落ち着いた物腰でツヴァイは笑う。その浮世離れした独特のオーラに、学がない自分でも感ずるところはあった。
「もしかして、そうとう身分の高い貴族さん?」
初対面の人間には聞けないので、ユーリアンに小さく聞いた。しかし、図書館には思った以上に響いてしまったため、ツヴァイの耳にも届いてしまった。
「お偉いさんではあるけど、肩書きだけだよ」
たははと柔和な笑顔を向けられると、こちらの邪気すら消し飛んでしまいそうな雰囲気が広がる。
「そう、ですか。俺…いや、私はアイルツァーネという場所で商人紛いのことしています。アルナスです」
「アルナス、別に改まらなくて良いよ。僕はツヴァイと呼んでもらっている。君にもそう呼んでもらえると嬉しいな」
「じゃあ、ツヴァイさん?」
「…君はヘイネスを呼ぶときになんと呼ぶ?」
「…えっ?えっと、そのまま、名前で…」
「では、僕にも敬称はいらないな。僕とヘイネスも名前で呼び会う仲なのだし」
この人は多分、変わり者だ。とアルナスは感じ取った。ユーリアンが彼に手を焼く理由も、本来の身分差からは考えられない対応を、相手から求められているから、だろうと結論付けた。
「おっと、邪魔をして申し訳ない。本を探していた…んだよね?」
ツヴァイは勝手に話を戻し、道を空ける。しかし、ユーリアンは戸惑っていた。そのまま道を通ってしまえば、彼の言った「邪魔」という言葉を肯定してしまうからだ。そこまで気を使うとなると、王都の政治の中枢を担う四貴族の子息か、または…
「ユーリ、君の境遇も、そして僕に対する遠慮も全て理解した上で、お願いしたい。僕らはまだまだ子供だ。家柄だの血筋だのに縛られるのは僕らの親だけで良い。もっと友達として接してくれないかな?」
限りなく優しい声色でツヴァイは諭す。表情に乏しいユーリは、それでも明らかに狼狽をし、体をこわばらせている。
「わ、わたしには、難しいこと、です」
精一杯、ひねり出した答えは、そんな曖昧なものだった。拒否でも肯定でもない。難しい。しかしそれは彼女の本音であった。
「すぐに、とは言わないよ。ゆっくり、ゆっくりと慣れていこう。僕は君と談笑できる日を、楽しみにしているよ」
嘘偽りない笑顔を残して、ツヴァイは優雅に去っていった。あとに残るのは図書館の静寂だけ。まるで彼との会話が白昼夢だったかのような錯覚をアルナスは覚えた。
「ア、アルナス、さん。あなたに見せたい本は、ここにあります」
しばらくの沈黙の後、ユーリアンはその緊張が解けることなく、話をすすめる。アルナスに振り返ったその顔が、真っ赤になっているのを見て、彼は全てのことに合点がいった。思わずニヤついた顔を、ユーリアンにひっぱたかれたことは言うまでもない。




