先の前、前の前
ヒルダとの約束を取り付け、早速へイネスに伝えようと彼の家を訪ねてみると、見知らぬ少女がキッチンで作業をしていて、彼は不在だった。
「あら…?」
少女もまた、彼が帰ってきたと思ったのだろう。私の姿を見ると、疑問符が出てきそうなほど肩透かしを食らった顔をしていた。
「…どうも。初めまして、ですの?わたくし、リーネ・ロンベルグと申しますの。へイネスさんの王都のお友達、でよろしいですの?」
やや疑いの目を向けられつつも、狼藉に来た暴漢ではないことは伝わったのか、相手から名乗ってくれた。まぁ、この村には来訪者が少ないから仕方ない。
「そうか、ロンベルグの娘さんだったか…」
「父とは、面識がございますの?」
「あ、すまない。私はフュリアーネという。以後よろしく」
手を差しのべて握手を求めるも、彼女は停止したまま動かない。しばらくの間、この空間には無の時間が立ち込めたが、やがて鍋の中身が沸騰し溢れだそうとしたところで時計が動き出す。
「失礼しましたの。この村の王族の方と同じ名前でしたもので…」
リーネは慌てて鍋をかき混ぜ、急いで火力を調整し直す。
ロンベルグはここ二代で商人として大成した家だ。今では王宮を除いてはもっとも豪奢な家を持ち、この村で商いをしている。現当主が過保護なこともあり、息子達はあまり外に出ないと聞いた。それに長男のアルナスは反発して、長女リーネが今は父の教えを受けているという噂は耳にしているが…、幼馴染みの家に料理を作るくらいには自由ではあるようだ。
「何を言っている。私は正真正銘、王族のフュリアーネだ。フュリアと呼んでくれ。よろしく」
「ヴぇ…」
リーネから変な声が出た。こういった反応は珍しくはない。へイネスが特殊すぎたのだ。
「身構えないでくれ、私はただの放蕩者だ。ただ、私が遊び回っていると言うことが広まると、自由が効かなくなるから、この事は秘密にしておいてくれないか?」
その言葉に、リーネは首を縦に振る。促すようにはなってしまうが、こうして私は今までお忍びの体面を取り繕っていた。
「そうだ、へイネスがどこにいったか分かるかしら?探しているのよ」
「ヘ、ヘイネスさん、ですの?ヘイネスさんでしたら、少し散歩をするという書き置きがありましたの。多分、日暮れまでには帰ってくると思いますですの」
しどろもどろになりながらもリーネは答える。もしかしたら、彼女の人生における最大の緊張なのかもしれない。
「そう、か。では、ここで待たせてもらうかな。リーネはこの後は用事があるのか?」
「うぇっ!?あいや、あの、父のところへ行かなければ行けませんの…ですが―」
「いや、私の事は気にしなくていい。君は君の予定をこなすべきだ。縁があればまた会えるだろう。その時は話し相手になってくれないかな?」
「お、お、お、畏れ多くも!よろしくお願いしますの!」
顔を真っ赤にして、ものすごい勢いで礼をする。もう少しフランクに接してくれた方が嬉しいが、私の様な置物にここまでしてくれることは、感謝の限りである。
「で、ではですの。わたくし、料理もできましたので帰りますの。へイネスさんへの書き置きなどもここにございますので、へイネスさんが帰ってきたら見せてあげてください」
未だ緊張の解けないリーネは、かくかくとした動きで私に説明をする。どうやら、スープ以外は仕込みをしてあるので、焼いたりするだけのようだ。
「ありがたい。ところでリーネ」
「は、はひっ!」
「この料理、私がやってみたいのだが、どうすれば良いかな?」
「…へ?」
その後、竈の火力の上げかたから焼き加減の確認までに、そうとうの労力をリーネに使わせてしまった。
むぅ、簡単にできると思ったが、興味だけでは上手くいかないものなのだな。料理というものは。




