夕闇
「見ない顔ね。村の者ではないのかしら」
純白の少女は思案を巡らせる。こんな辺境の地に若者が来る理由なんて見当たらない。しかし、自分の知らない人間が村にいるはずはない。という矛盾に首をかしげているようだ。
「随分記憶力に自信があるんだな」
「ええ、それなりには」
肩をすくめながら僕の隣にくる。彼女もまた、僕と同じように町を見にきたのだろう。まっすぐに見つめるその姿は、肩を並べることすらおこがましいほどに高貴な雰囲気を出していた。
「下がらなくて結構よ。あなたが先客だもの」
心中を見透かされたのか、そんな言葉を投げ掛けられる。目線だけこちらに向けて、彼女はまた、小さく笑った。
バカにされているような、優しくさとされているような、気恥ずかしさと見栄とが入り交じって、視線をはずしてしまう。
「この村は、好きかしら?」
「…どうとも言えないね。村の人間は穏やかで、良い人間ばかりたが、未だに過去に固執するおろかさがあるのも事実だ」
「過去に固執、というのは?」
既に答えはわかっているようだが、彼女は質問をした。
「魔女の慣習だよ。魔女の存在すら曖昧なのに、何百年も人一人の命を犠牲にしてきたなんて、時代錯誤もいいところさ。もし、魔女がいたとしても、王都への貢ぎ物を増やして退治を願えば良い」
「アイルツァーネは国境の村、軍の派遣は要らぬ緊張を招くわよ?」
「知ったことか。王軍が千や二千居なくなろうが、僕らの生活には影響はない。それによってこの村が魔女の呪縛から解放されれば、犠牲以上の発展と、少なくとも女性の命は救えるんだ」
「この村の成長は自国も他国もよく思わないでしょう。無用な争いの種を蒔かないためにも、今の状況に甘んじることも、平和的な解決ではないかしら?」
「それだよ。結局アンタたちは、なにかに理由をつけて行動を起こさないだけだ。そうやって数百年のあいだ、王族の犠牲を強いてきた。そして、今度はアンタに役目が回ってきた」
彼女はわずかに眉を潜めたが、すぐにそれを隠した。
「…バレてた?」
「いくら粗野な服を着ていたって、立ち振舞いに家柄は出る。ましてや王族以外は庶民になり下がった村だ。選択肢はない。それに、次女のリアーネは既に顔が知れている。となれば、残るは生け贄として保護されて外にも出られない長女、フュリアーネ以外あり得ないということになる」
おぉ、とわざとらしく驚嘆して、彼女――フュリアーネは手を叩く。先ほどまでの仰々しい態度を崩し、年相応の笑みを見せた。
「そういう君はどこの人間かな?村人の名前と顔を覚えている自負がある私としては、深い興味があるのだけど…」
「北の方に住んでいる、グラーク家の者だ。それでわかるだろ?」
「なるほど、五年前に王都へ留学したへイネスね。見違えるほど痩せたわね!きっと、学問以外のことに手をつけないとこうなるのね!」
「余計なお世話だ」
僕のことなどお構いなしに、ケラケラと笑う。その自由奔放な姿が少し癪に触った。
「第一、お守りも着けずにこんな時間にこんな場所まで…、何かあったらどうする」
「野犬や狼には手持ちの肉を投げれば良いじゃない。野盗ならば私の馬にはついてこれないわ。それに…」
なにかを言いかけて、彼女は黙った。詮索することも無駄だろう。
日が落ちて、空が闇に染まりつつあった。村にも火が灯り、風が冷えている。隣に立っている王女に、聞きたいことは山ほどあったが、こうも暗くなってきては、お互い帰るのに苦労しそうだ。
「今日はもう帰りましょう」
先に切り出したのは彼女だった。どうやら同じことを考えていたらしい。
「そうだな」
合図もなく、お互いがお互いの馬へ乗る、彼女の馬は僕の二回りも大きく、育ちのよさもうかがえた。
「どうやら、肩を並べて走ることもできなそうだな」
「そのようね。さようなら、また、会いましょう」
彼女の砕けた笑顔に目を背けて、走り出す。方向は同じだが、すぐに彼女は遠くへと消えていった。
僕が村に帰った頃には、既に灯りがないと動くのも難しいほど暗くなってからだった。街の灯りを目印に帰宅すれば、なぜか独り暮らしの我が家にも、灯りがついていた。日中に灯を消し忘れるようなことはない、ただ、我が家にあがりこんで、灯をつけるような人間には心当たりがあった。
「よぉ、随分遅いお帰りじゃないか」
「こんなところで油を売っていて良いのか?」
「大丈夫、今日やることは遠出の前に終わらせてるからね」
アリッサは緋色の髪をかき上げて、足を組んで座っていた。
「大変そうだな、そっちも」
鍛冶屋の娘。それだけなら看板娘なり、どこかに嫁ぐことで普通の生活ができたかもしれないが、なんの悪戯か、彼女の両親がそれ以上子宝に恵まれることはなかった。彼女の父は弟子をとって家業を継がせようと考えたが、そのことにアリッサが猛反発し、それなら自分が父の家業を継ぐと言ってきかなかった。
元々、元気活発な性格をしていたものの、鍛冶の修行に根をあげるだろうと父は考え、それを許したが、アリッサはその日から六年間、働き続けているようだ。今では腰を痛めた父に代わり、大半の仕事をこなしていると彼女から聞いた。
「そんなことないって。こんな田舎じゃ依頼だって大したことないからね。私はアンタのことの方が心配だよ…」
「…別に、僕は大丈夫さ」
「本当に?」
「…ああ」
「私は驚いたよ。6年ぶりに会った幼馴染みが、時折凍りつくような目で誰かをみていることに…」
「誰だって変わるもんさ」
「おばさんとおじさんのあれは、事故だったんだよ…誰も止められなかった…」
「アリッサ、すまないが出てってくれないか」
「でも…!」
食い下がろうとするアリッサを思わず睨む。小さな悲鳴をあげて、怯えながら、しばらく言葉を探すも、頭が追い付かずに、やがてなにかを諦めるように出口へと向かう。
「ごめんな。…でも、辛くなったら、いつでも力になるからさ。私には、頼ってくれよ」
去り際に、そう言って、力なく彼女は帰っていった。そして、静寂が訪れる。しかし、今はその方が心地好い。
「母さん、父さん…マリア…」
一人では広すぎる家。その1つの部屋に入り、そのまま眠りにつく。部屋に向かう途中、台所にアリッサが作ったと思われる夕食があったが、食べる気になれなかった。