プロローグ
この村には魔女がいるらしい。らしいと言うのは、誰も見たことがないからだ。それでも大人たちはいると言い張る。いったい何を根拠に?その根の在処を探れば、先祖の先祖、遠い先祖の言い伝えに行き着く。
[古来より、このアイルツァーネには魔女がすんでいた。我らは国を失いこの地に根を下ろしたが、許可なくやってきた我らに魔女は激昂した。流浪の旅に疲れはてた我らは、この地を捨てるのではなく、魔女との交渉を選ぶ。そして、彼女の要求を一つのむことで、定住を許された。
]
それは、第一王女の血族を定期的に提供すること。
それが魔女のだしたたった一つの要求。
初めは強く反対するものも多かったが、長旅の疲れと、それを察した第一王女の請願によって、条件をのむことで帰結した。
第一王女アイルツァーネは、長女フィリアツィーネにこう言い遺した。
「フィリア、貴女も、やがてこちらへ来ることでしょう。気高くありなさい。貴女の命で、我らの守るべき民が救われるのですから」
そして、次女のミュリアーネにはこう言い聞かせた。
「ミュリア、貴女は子を生みなさい。そして長女には我らの役目を、次の子には貴女の役目を課しなさい」
国が滅びて尚、第一王女という肩書きが有名無実と化しても尚、アイルツァーネは王女であり続けた。その気高き精神に感謝の意を込めて、村の名をアイルツァーネとした。今ではもう、地図にも載っていない国の話だ。それから数百年過ぎ、アイルツァーネは小規模な村の形で、現存している。魔女との契約を断ち切らぬままに…
「なにやってんだ、へイネス」
小高い丘、村を一望できる場所に立ち、僕は村の中心の、端から見れば場違いのような豪奢な建物を見ていた。夕焼けが村を紅く照らし、肌寒い風が木々を揺らす。王宮の一部を切り取ったかのようなソレは、雄々しくあるようにも、また、寂しさをはらんでいるようにも見えた。
「別に、故郷を眺めていてはいけないか?」
僕の言葉に、アリッサはため息をつく。
「アンタ、そういう、あれだ、あのー、変な言い回し?やめた方がいいよ。そりゃー誰だって寄り付かなくなる」
適当な言葉が見つからず、テキトーな言葉で注意を促す。アリッサはいつもこうだ。家庭の事情だから仕方ないが。
「肝に命じておくよ」
「うっわ、まったく反省してない」
「僕はもう少しここにいるから、アリッサ、君は帰っても大丈夫だよ」
「なにいってんだい。アンタみたいなモヤシが狼を退治できるわけないだろう?」
「その時は手持ちの肉を投げれば良いじゃないか」
「アンタの食いぶちがなくなる」
「二日三日麦と粟でも死にはしないよ」
再び、アリッサはため息をつく。何をいっても無駄だと判断してくれたようだ。踵を返して休ませていた馬の方へ向かう。長い緋色の髮がふわりと揺れる。以前、都から送った油を使ってくれているようだ。
「じゃあ、アタシは先に帰るけど、本当に何かあったらすぐに逃げるんだよ?いい?」
「はいはい」
「まったく、子供の頃の可愛いへイネスお坊ちゃんは、どこにいったんだかねぇ…」
そう言うと、痩せた馬を軽く走らせて彼女は村へと帰っていった。蹄の音が消えると、そこには自然の音だけになる。眼前の景色では、各々で炊事の煙が立ち上ぼり初め、不思議と、自分が自然のなかに溶け込んでいくような感覚に襲われる。手足は神経をなくし、脳は自我を忘れ、呼吸さえもどこかへ置いてきてしまったような――
「あら、先客がいるなんて、珍しいこともあるのね」
意識が戻され、反射で振り替えると、そこには、真っ白の服に金色の髪をたなびかせた少女が立っていた。
「ごきげんよう。お隣にお邪魔してもよろしくて?」
クスクスと笑いながら、ふざけた言葉遣いで彼女はそう言った。これが、僕と彼女のはじめての出会いだった。