第二章 突き刺す雨、嘲笑う魔術師④
梓の住むマンションから五分程度歩くと、ビジネスホテルが目に入る。
警察が指定した一般的なホテルだ。エントランスに入るとクラシックの落ち着いた音楽が微かに流れている。
フロントの方に目をやると、女性スタッフが優しく微笑む。
受付時には警察から一報入っており、資金については免除されるらしい。受付を済まし、そのまま指定された8階のフロアに移動する。
ホテルの部屋は驚くほど静かだった。
無機質で泊まるための最低限の設備という印象だった。
(今日はすごく疲れた)
安心感からかどっと背中に重たい疲労がのしかかる。目の前にある整えられたベッドに身を投げ出すと、意識は一瞬にして暗闇へと沈んだ。
(あれ──)
何時間、眠っていたのだろうか。
窓から入り込む冷たい隙間風が頬を撫で、冬夜の意識は呼び戻された。
肌寒さに身を起こしていた。辺りをキョロキョロ見渡すと、カーテンの靡から窓が開いていたことに気がついた。
水分を失い、カラッとした瞳を擦りながら窓に近づいた瞬間。
部屋の奥。
カーテンの揺れる影の中に、誰かが立っていた。
淡く、間接照明に当てられる水色の髪。現実から浮いたようなその色を冬夜は知っていた。
「起こし、ちゃったかな…?」
柔らかな囁き声が、宙を舞い、静かな室内に落ちる。
その光景に冬夜は言葉を失った。
そこには、あの少女が温もりのある笑顔を浮かべて佇んでいた。
揺れる長い髪を見つめながら、あまりにも急すぎる情景に今の光景が夢なのか現実なのか分からない。シーツの感覚、妙に脈打つ体、頬に触れる夜風を持って、今が現実たらしめる状態であると認識できていた。夢だとすれば、あまりにもリアルすぎる。
「君は…」と何の言葉を発すべきか定かではないまま、口が動いてしまう。
その様子を見て、少女は優しく微笑んだ。
「ごめんね、氷夏に関わるなって言われたそばから」と華奢な指先を体の前で絡ませていた。
「なんでここに?それにどうして俺の場所が」
その質問に対して返ってきた言葉。
「あなたと話をしにきたの」
窓から吹くそよ風に溶けるような声色で、悪戯っぽく少女は微笑んでいた。
月夜に照らされる彼女の容貌は、少し幼く、恐らく冬夜よりも歳はいくつか下になるだろう。
驚愕した直後、その無垢な笑みに悪意がないことを理解する。そうして冬夜は小さく息を吐いた。
「話って、入り口から入ってこればいいだろ。それに、こんな時間に忍び込んでくるなんて」
やれやれとした顔を目の前に、少女は反省する素振りは見せずにくすりと笑う。
「エントランスから入るとホテルの人に止められちゃうからね、外からえいやーって入るしかなかったの」
「…まぁ、悪いことしますって感じではなさそうだな」
「うん、私何もしないよ」
朗らかに笑う彼女があまりにも自然で、魔術師たちに交戦で見せた冷たい瞳とは、まるで別人のようだった。
冬夜は腰をかけているベッドの位置から少し横にずれ、話場所の席を用意するように顎でその場所を指した。
それに応えるように彼女は空いたベッドに腰をかける。心なしか、その足は浮き足立っているようにも見えた。
「あいつ──えっと、御門氷夏に見つかったら怒られるんじゃねーか」
「怒られちゃうかもね。でも今だけはいいんだ」
頭を掻く仕草を見せ、自身の行動の重大さに気づいていながらも罪悪感はそこにはない。
今だけ、その言葉が冬夜の頭の中で複雑にひっかかる。
「で、何を話すんだ」その投げかけに、んー、と首を傾げている。
少女はホテルの部屋を見回した。冬夜が選んだ部屋でもないが、シンプルな天井、真っ白いクロスで覆われた壁、必要最低限の机、座った箇所だけシワが目立つベッド。
日本にならどこにでもあるようなビジネスホテルだ。
「なんか簡素なホテルだね、イギリスとは違うや」
唐突なコメントに反応が遅れそうになる。
「外国でも同じじゃないのか?」
「もう少し温かみがあるというか、ここは無機質な感じがする」
外国に行ったこともない冬夜からしてみれば、普遍的な様式だと思っていたが外国人からの認識に興味をそそられる。
「あとね、匂いが違うかも。ロンドンとか雨の香りというか湿った匂いと石畳の匂いが混ざってる感じ」
「へぇ、じゃあ日本はどんな感じなんだ?」
「んー、癖がなくて素朴な感じ?都市部の方はそんな感じ」
「そんな違いが分かるもんなんだな」
「うん、明確な違いというよりも肌感覚でのイメージの違いみたいな」
真剣な様子で答える彼女と話していると、高校で友人と話す感覚に近かった。
「あとね、イギリスにはブルーベルって花もあって、四月ごろになると森一面に広がって、地面が青く染まるの」
「あまり聞いたことない名前だな」
「日本だと環境的にも咲いている場所は限られてると思うよ」
「日がさすタイミングなんかだと、すごく綺麗なんだよ。もし海外旅行でイギリスに来ることあったら行ってみて!」
はしゃぐように無邪気な笑みが溢れている。まるで妹の面倒を見ているような感覚に駆られる。
足を大人しめにバタつかせてるのがベッドの振動でよく分かる。
「当分行く予定はないけど、頭の中に入れておくよ」
「うん!」と小さな部屋で響く声。
仲良くするというよりも、一方的に懐かれている印象だった。「話をしにきた」という言葉はほぼ一方通行も会話劇のことを指していたのだろうか。
しかしながら、嬉しそうに報告する姿を見ては止めに入るのも野暮というものだろう。
「あ、あと!街中で見かけたけど、商店街にあったお菓子屋さん!タイヤキって言うんだっけ、すごく美味しそうだったなぁ」
「食べたことないのか?」
「うん、この髪の毛だとあまり人前に出れないからね」
自嘲するような発言に眉を顰めたが、無理もない。明るい髪色ならば髪の毛を染めている年相応の女の子になれるが、彼女の髪の毛は一本一本ほのかに明るさを持っていた。
冬夜自身もその光に見覚えもあった。右手の力で吸収した魔力がまさしく青白く光それであった。
彼女は溢れ出る魔力が髪の毛までに流れているというのだろうか。
「そうか、ここから二駅先にあるところのたい焼き屋さんは絶品だぞ」
「お、おぉ〜!」
「あそこのは生地がほのかに甘くて、中身のあんこはぎっしり入ってる。梓──、俺の幼馴染は苺チョコがオススメだって言ってたかな」
「食べてみたい!」前のめりに冬夜の方へと跳ねていた。
犯罪者などと形容する言葉はこの子には似合わない。直感的にそう感じていた。
深夜、街一帯が眠りにつく中、ホテルの一室で繰り広げられたのは、ただただ他愛もない会話だった。
そのあとは、イギリスと日本で見える星座の違いや、好きなアーティスト、過去に観たことのある映画の話。そんな、どこにでも溢れかえっている話題を少女は冬夜に話し続けていた。
そこには魔術の話も、魔術師たちとの交戦についても、千香のことについても触れることはなく。
ひと時だったが何もない日常に帰れた気がしていた。
気がつけば、時間だけが静かにすぎていく。
そしてぼんやりとだったが、冬夜は一つの違和感が生じていた。
(この子──)
死ぬつもりの人間の話し方ではないと。
こうして他愛ない会話をするのは、兵器でも犯罪者でもない。ただの普遍的な女の子だった。
「そうだ、名前…」
その発言に少女は驚きの顔は今後忘れることはないだろう。
その後、小刻みに揺れると思ったら、突拍子もなく声をあげて笑っていた。
「ふふ、そうだね、そうだよね。ごめんなさい」
こほん、咳払いを一つ。
そして少女は冬夜の顔を真っ直ぐ見つめて己の名前を口ずさむ。
「──私の名前はリオナ」
小さな部屋の中で、その響きはやけに澄んでいた。
水面に落ちる朝露のように、静寂とした空気をわずかに震わせている。
柔らかな表情が目と鼻の先にあった。
彼女は、殺伐とした魔術の世界でその顔を見せたことがあるのだろうか。隙だらけで、一切そこには警戒という言葉はなかった。
緩んだ頬が持ち上がり、その光景に冬夜はすっかり見つめてしまっていた。
「リオナ、か」
そう言って、口の中で転がしてみる。
どこかで聞いたことあるようで、馴染みのない音。しかし、心地の良い響きだった。
「耳馴染みがいいな」
「…ありがとう。」空中の中で消えてしまいそうな声。ほのかの嬉々とする表情が浮かぶ。
「俺の名前は──」
「冬夜」
その名を口にしたのは意外にも、リオナの方だった。
「どうして、俺の名前を?」と疑問を掲げる冬夜に対し応える。
彼女は息を呑んで、少しばかり反応に遅れる。
「覚えてない?……私たちは昔、会ったことがあるんだよ」
ほんの僅か細い声が耳に届いた。
その問いは冗談めかしているようにも思えたが、リオナの目を見たらそんな軽率なことではないことに気付かされる。
だがその答えに相応しい言葉はどれだけ思考しても思いつくことはない。
静かに、そして正直に首を横に振った。
「悪い、思い出せない」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥が小さく軋むのが分かる。
謝る理由はないはずなのに、何故か謝っている自分がいた。
リオナは数秒間、目を伏せた。
彼女の長い睫毛の影が頬にかかる。
「そっか」顔を上げても笑顔は崩れていなかった。
同じ笑顔でもほんの少しだけ温度が変わったような気がした。
「俺さ」
ぽつりと口から出ていた。
呑み込めなかった空気を吐き出すように、冬夜の口が静かに開く。
「少し前の記憶が無いんだよ」
その一言はリオナにとっても衝撃だった。胸の奥がゆっくりと波打ち何かに触れそうになる。
小さな部屋で二人は暫し言葉をなくしていた。
「五年前」
静止した空間の動かしたのは冬夜の方だった。
その言葉は、冬夜自身の空白でもあった。
「品川で起こった事件に巻き込まれたらしいんだ」
“らしい”という言い方が、どこか当事者でない聞こえ方もする。リオナはそのまま斜めだった体を冬夜の方に真っ直ぐと向けて鎮座している。
「その時の怪我なのか、事故のショックなのか。記憶の一部が欠如しているって医者が言っていた。その辺りだけ、思い出の中にぽっかりと穴が開いちまっている」
その穴は真っ黒いわけでも、痛むわけでもない。
ただそこには思い返そうとしても、何も印字されていない紙っぺらのように薄くて、白い。指先で触れようとしてもそこには微塵も記憶の欠片は存在せず、冷たい何かをなぞるだけなのだ。
リオナはその話を黙って聞いている。
「その事件の一年前後の記憶だけがまるっきり、どこかで落としちまったんじゃないかってくらい、何も残ってないんだよ」
「…うん」視線は冬夜の腰あたりだったか、同じく冬夜も視線を下げると彼女が掴むシーツの皺が増えている。
小さなため息。
何かに気づいたような、確信したようなそんな表情だった。
「冬夜は、無くなった記憶、見たいと思う?」
その何気ない質問で、眉がぴくりと動く。体重を後ろにかけ、天井を見上げる。
白いクロスと無機質な常夜灯がじんわりと冬夜を照らしている。
「見れるに越したことはない」
そう断言する。しかし正論でもある。
けれど。
「でも今は見たい気分でもない」
そこにある感情は、情けでも遠慮でもない。
しかし、今こうして過ごす日常の中で欠落した記憶が必要になった場面なんてない。きっとこの先も訪れないかもしれない。
化学室での件。風の魔術師は品川の事件の犯人がこの少女であると語っていた。多くの犠牲者を生んだ大災害。
正直、許される行為ではない。
「そっか」リオナはそれ以上、踏み込まなかった。
ただ見上げるように冬夜の顔を眺める。その視線はまるで確かめるようだった。
視線を感じながら目のやりどころに困っていると、卓上に置いてあるデジタル時計に目が行った。
時刻はすでに深夜三時を回っていた。
夜は一層深い静けさを放っている。
その視線に気がついたリオナも同じくデジタル時計の時間を見つめた。
「もう、行かなきゃ」
ぼそりと呟く。長いようで短い時間であったこの無機質な空間も、何気ない談笑によってほんの少しばかりか暖かさがあった。
ベッドから立ち上がり、窓の方へと赴くと風に揺れるカーテンを白い指が撫でる。
「御門から聞いたよ…全部」
その華奢な背中に向けられた声は冬夜の声だった。
尻すぼみになる声を聞き届け、リオナは振り返る。
「……うん」先ほどの笑顔はどこかに消えてしまったかのように寂しげな表情が露わになる。
「…死ぬ気、なのか?」
一瞬、視線が揺れたあと、彼女は小さく頷いた。
「うん。私は死にたい」
迷いはそこにはなかった。
虚な瞳。光を反射していない瞳にどこか吸い寄せられそうになる。
「私の手はね、もう血で汚れすぎちゃったから。罪人はそれ以外に選択肢は無いんだよ」
その言葉は口にするには非常に重く、彼女に似つかわしくない台詞だ。
声色は不安を駆り立てない程度の柔らかい声色が余計に不協和音を奏でているかのようだった。
「操られてたんじゃないのか」
「…」
ゆっくりと首を傾げていた。どこか他人事のように感じているみたいに。
「気づいたら、私はしゃがみ込んでて、清教徒に回収されてた。人を殺した記憶なんて、私の中には存在してないよ」
「だったら──」
言いかけた冬夜を、リオナはやさしく遮る。
「体が刃物でできてたら、握手なんてできないでしょ?」自嘲するような微笑が余計に冬夜の喉を締めていく。
笑って、泣いて、怒ることができるただの女の子がいたはずだった。
しかし、目の前に立っているのは魔術師。もう口角は上がってはいなかった。
「私は、どんな理由を並べたって“兵器”なんだよ。人には戻れない」
「……それで、いいのかよ」
冬夜はその言葉の重みを全身に受け、爪が食い込むほど強く拳を握った。
震える手を見据えて、リオナは自身の指に髪の毛を絡ませる。青白く柔らかな光を内包する髪の毛を見て、今まで見たことのない冷徹な眼差しだった。
危険な存在であると自白しているようなものだ。
「気づいたときには、もう魔術の世界にいたの」
彼女は窓の外を見つめるもその視線の際は定まってはいない。
「平和な世界に足を踏み入れるとね、拒絶されるの。どんなことをしても。だから私は魔術の世界でしか生きられない」
一拍、間が落ちる。
風が水色の髪をそっと撫で、リオナは冬夜の方を一瞥する。
俯いている彼に、返答をさせる猶予も与えなかった。傾聴している心に吹きかけるように。
「こんな世界にいるくらいなら……死んだ方がいい」
「……そんな言葉、今は一番聞きたくない」
拳は強く震えている。
命を二度も救ってくれた恩人から聞きたくもない言葉だった。自ら死を選ぼうとしている者をそっと見送るだけでいいのか。
大切の者の命が奪われる経験はすでに済んでいる。だからこそ目の前で死を望む光景ほど許し難いものはなかった。
「……そうだよね」
その声は、ひどく小さかった。そして一歩近づく。
「あなたをここまで巻き込んでしまったこと…本当に、ごめんなさい」
「俺は、謝ってほしいとは思わない」
冬夜は首を振る。そして、リオナの細く硝子のように今にも砕けてしまいそうな肩に触れる。
「むしろ、今生きてるのは君のおかげだ。リオナがどう思おうと俺としては死んでほしい」
真っ直ぐで力強い眼をしていた。
肩に置かれた手を、リオナは少しだけ躊躇ってから取った。
拒めば楽になる、しかし受け取れば揺らぐ。
それでも冬夜の手を払うことはできない。そっとその手を握った。
「私は……、ううん。」
何かを言いかけようとしていたが、すぐに口を紡いでしまう。
触れている手から温かな脈を感じる。その手を下ろし、ゆっくりと手を解いていく。
「そんな顔、しないで」
下から顔を見上げるように冬夜の垂れる前髪の隙間から、微笑む姿が見える。
「冬夜……」そう囁くと、リオナの細く白い指が冬夜のこめかみの辺りに触れる。
ひんやりと冷たい感覚が肌と接触し、びくりと肩を揺らす。
ぱちり、と。
静電気のような感覚が、頭の奥を走る。
視界が一瞬だけ白く歪み、リオナの顔すら靄がかかるように滲む。
鼓動が跳ねる感触がそこにはあった。
「……ごめんね」
何かを訴えかけるような瞳。リオナは必要以上に口を開けなかった。
頭の中にある糸が切れるような感覚、もしくは何かが外れるような。どちらにせよ少し、すっきりしたようなものが頭に残る。
しかし、何か目の前で変わるようなことなはい。
「何、したんだ……?」眉をひそめる冬夜に対して、リオナは笑って答える。
「ううん、汚れがついていたから。もしあれだったら自分で拭ってみて」
その笑顔の奥に、安堵と後悔が混ざっている。
気づかないふりをしたのか、それとも本当に気づいていないのか。触れられたところに自分から触ることはなかった。
「やっぱりさ、リオナっていい名前だと思うぜ」
不意な言葉。
急に声をかける冬夜は、離したら果てのないところまで飛んでしまう風船の紐をしっかりと握るようにしたかった。
「変なの。殺戮者の名前だよ」
イタズラに笑う彼女に安堵すると同時にまたいつ、寂しい表情をさせてしまうか分からない恐怖心があった。
「関係ないさ。響きがいい」
「悪魔みたいな名前だって、よく言われた」
「悪魔だろうが、殺戮者だろうが」
冬夜はしっかりとリオナの目を見て、一言一句聞こえるようにはっきりと言った。
「俺にとっちゃ、関係ねぇよ」
沈黙が落ちる。
「なぁ……もうすぐ、その“期限”なんだろ?」
「うん」
「最後に、やりたいこととかないのかよ」
「……やりたいこと」
急にきた漠然とした質問に少し頭を捻らせながらもリオナは言った。
「高校生活って、楽しい?」
「え? あぁ……ドタバタしてるけど、意外と楽しいぞ」
「勉強とかは?」
「あんま好きじゃねぇけど、たまに面白い授業はあるかな」
「そっか……いいな」
ぽつりと、憧れをこぼす。
「友達と一緒に授業受けて、学校終わりに遊んだり……」
冬夜が話す何気ない日常の記憶。
下校中に寄るコンビニ、テスト前には大騒動、くだらないことで談笑する休み時間。
続け様に言う冬夜の言葉一つ一つに彼女は頷いていた。知らない世界の物語を聞くように。
そして「他には?」と首を傾げるリオナに問う。
「花火…。大きいやつ、目の前で見てみたい」
「見たことないのか?」
「うん」こくりと頷く。
幾度と国を転々としていた彼女にとって、その空に浮かび上がる祝福の煌きは、縁もゆかりもなかった。
頭をぽりぽりと掻いたあと、一つの光景を思い出しては呟く。
「ニュータウンででかい花火大会あるぞ。三ヶ月後だけどな」
やりたいこと、死ぬことを望む人間の前で言うことではないのかもしれない。
「三ヶ月、か」
世界最悪の犯罪者と、ただの高校生。歪な組み合わせがどこか調和が生まれているようにも思える。
誰も殺すつもりのない、人間の顔で彼女は冬夜の声をしっかりと聞き届ける。
「あぁ、頭ん中に入れときな」
「うん、そうする」
その相槌は約束をするという声色ではなかった。忘れないようにする、と自分に言い聞かせる響きだ。
リオナは身を翻すと窓に足をかける。風が髪をさらい、月明かりがその輪郭を白く縁取っていた。
そのアクションが、どこか儚く、もう戻ってこれない。確証はないけれど予感がそう感じさせる。
しかし、これ以上に美しい顔の少女がなぜ、死を選ぶのか。理屈はわかっているが、本当の理由は分からない。
その瞬間、冬夜は彼女の手を掴んだ。
「なぁ……最後に聞かせてくれ」
驚いたように目を開き、少年の瞳を見つめる。
「本当に、その決断……間違ってないのか」
ほんの一瞬だけ、言葉を放つのに躊躇った。
驚いたように目を見開き、
それから両手で冬夜の手を包む。
「うん」
空中に消えてしまいそうなほど、微かな囁き。
小さく息を吸って。
「あなたに会えた。それが、最後の未練」
その言葉は終わり提示しているが、どこかの始まりをも彷彿とさせる。
「結果は変わらない。」
ほんのわずかに視線が揺れた。
“変わらない”と言い切るには、三ヶ月と言う時間が少し、いや非常に長い時間だったのかもしれない。
手と手が離れていく。
瞬きを重ねるたびに彼女が遠のいていく、近づこうとしても遅すぎる。
そして。
「──じゃあね、冬夜」
微笑んだまま、彼女は身を投げた。
「リオナ!」
窓の外。
彼女は中でホテルの壁を蹴り、近くのビルの屋上へ渡り、漆黒の宵の中へと消えていく。
——なのに。
その背中が、どうしても脳裏から離れなかった。
目を細めると、遠くに彼女の姿が見える。
こちらを見据えて、佇んでいる。
「────」
声は届かない。
それでも。
彼女が泣いていたことだけは、はっきりと分かった。




